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探偵助手は狂わない  作者: にょん
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一咲の過去

「だーはっははははは!」


 それはそれは下品な笑い声が響き渡ったのは、昼下がり。大学から帰ってきた全治のものだった。


 全治はソファにちょこんと座る一咲を指さして大いに笑っている。笑われてる方の一咲は、顔を赤くしてじっと彼を睨んでいる。


 彼女の長かった髪はすっかりばっさり肩より上で切りそろえられ、垂れ下がっていた前髪も眉よりも上で散切りという風体になっていた。


 彼女の髪を無残に切りそろえたのは他ならぬ将太である。


 確かに彼には妹や弟の髪を切った経験があった。それも随分ひどい有様にしていたのだが、彼は切ったという事実だけを過信して、うら若き乙女の髪にはさみを入れてしまったのだった。


 ―何が切ってあげようかだ。調子にのるもの甚だしい。


 将太としてはちょっと切ってあげるつもりだったのだ。それが切りそろえてはバランスを見て、また切るを繰り返し……納得いく頃には、この短さになっていた。 


「はぁー……めちゃくちゃ笑った。似合ってんじゃん」


 全治はにやにやと口元を歪めたまま、一咲の頭を撫でる。


「触らないで!」


 全治の髪を振り払って、一咲はカーテンの奥へ消えていった。


「本当にごめんなさい……で、でも僕は短いのかわいいと思うから……!」


「ほんと、ほんとかわいいー!あははははは」


「ちょっと全治!……一咲ちゃん、ほんとにごめん!」


 将太は全治の口元を押さえつけて、カーテンの向こうに呼びかけるが、返事はない。


 ―折角関係が一歩前進したと思ったのに、これでは逆戻りどころか悪化だ。髪は女性の命だというのに。これは嫌われたに違いない。


 頭を抱える将太を横目に、全治は笑いすぎであふれた涙を拭う。


「いやぁ。気に入ってると思うよ。将太君が思うよりずぅーっと」


   *


 全治の言うことは、存外間違っていなかった。将太は一咲に懐かれたようで、日中はよく彼の隣に座るようになった。


「一咲ちゃん。おやつ食べる?」


「食べる」


 将太の日課に一咲とお菓子を食べるというものが追加された。お菓子を食べているときの一咲は、なんだか年相応に見えるので、将太はこのまったり過ごす時間が好きだった。


 今日のファイル整理も終わり、あとは定時になるまでテレビを見て過ごすだけだった。


―全治が来たらみんなでボードゲームをするのもよいかもしれない。


 そんなことを考えながら、呆けていると、将太はふと、一咲がテレビを凝視しているのに気が付いた。

 何を見ているのかと思えば、ワイドショーの1コーナー、スイーツ特集であった。テレビの中では女性タレントが「ほっぺたがおちそー」など、お決まりのセリフを吐きつつ、フルーツのたくさんのったプリンアラモードを口に運んでいる。


 今日のおやつは老舗の栗羊羹。これはこれで美味であるが、テレビで生クリームたっぷりスイーツを紹介されれば、そっちも食べたくなるのがご愛嬌だろう。栗羊羹を頬張りながらも、その視線はテレビに釘付けだった。


「一咲ちゃん。お菓子好きだね」


「まあね。甘いものは脳の栄養になるし」


「今日の栗羊羹はどう?」


「おしいよ。昨日のゼリーよりおいしかった」


「昨日は安物だったらかな」


「いや、ゼリーもおいしかった。比較的な話をしているだけ」


「ならいいんだけど」


 一咲は、初対面の陰鬱な印象とは違い、本当はずっと友好的で話好きな少女だと将太は感じていた。

 髪を切ったことにより、表情もよく見えるようになった。お菓子の話題をすれば目を輝かせるし泣けるドラマには涙を流す。豊かな感情をもった。どこにでもいるような女の子だった。


「そういえば、将太は一体どんな仕事をしてるの?」


「え……」


「だって、ファイルを本棚しまったら、あとはこうして私とくっちゃべってるだけじゃん。一応現職警察官なんでしょ」


「あはは……残念だけど。それが今の仕事なんだよ」


「めっちゃ窓際じゃん。というかここ追い出し部屋なの?」


 ど直球の返しに、将太はずきりと抉られた胸を抑えた。


 追い出し部屋。有体に言えばそうなのかもしれない。


 返す言葉もなく項垂れていると、一咲は心配そうにこちらを覗き込む。


「何やらかしたの?」


「ちょっとした大失敗をね」


「ふーん。まぁ。いいけど」


 元から大して興味もなかったのか、一咲は栗羊羹のおかわりを黙々と頬張る。全治の分だったのが、将太にとってもどうでもいいことだったので、そのまま黙っていた。


「この分類係ができるまで、一咲ちゃんはどうしてたの?ずっとここに?」


 栗羊羹を机に置き、一咲はため息をつく。


「どうも、何も変わらないよ。最初は親戚のとこたらい回しにされてたけど、結局引き取り手もいなくなって。ここ来てからはテレビ見たりゲームしたりしてた。将太が来るまではここはただの物置だったから。アイツ以外の人は滅多に来ることなかったし、私が奥にいるって知らない人も多かったんじゃないかな」


 一咲は全治のことを「アイツ」と呼ぶ。どうやら嫌いらしい。全治の分のお菓子に手を出すのは、わざとだ。


「本当に十年間一度も外に出たことはないの?」


「ないよ。ここに来てからはね。出る必要性も感じないし。この足だから」


「足?足がどうかしたの?」


 妙な単語に引っ掛かり、将太はその部分を復唱する。


「私、歩けないの」


「えっ、でも」


 一咲は自分の力で立ち上がり、独房を出て、ここまで歩いてきている。


 どこが不自由だというのだろう。と、将太は首を傾げた。


「私が、どうしてひきこもるようになったか。知ってる?」


「……お父さんが殉職したんだってね」


 それを聞いて一咲は吹き出す。「はは」という、乾いた笑い。


「そういえば、表向きはそうなってたね」

 

 一咲は目を伏せると、そのままスカートのすそを軽くまくる。


「ちょっと何して……」


 将太は顔を背けるが、一咲はそれを見てけらけらと笑った。


「中身までは見せるわけないでしょ。足だけ」


 将太はゆっくりと視線を一咲に戻す。確かに、捲し上げたスカートは彼女の膝あたりで止まっていた。しかし女性の生足、というか。女性が自らスカートを上げるなんてシチュエーションにドキドキしてしまうのは男の性。しかし薄目で見ていたその脚に、ピントがあってくると、将太は言葉を失った。


 彼女の白い。本来あればさぞ美しいであろうその足には、古傷と思われる跡があった。おそらくは刃物のようなもので傷つけられた後。大なり小なり。まるで模様のようにそこにあった。


 一咲はスカートから手を放すと、ふぅと息を吐く。その顔は無機質で、寂しげだった。

 将太はかける言葉を探すが、見つからない。見かねたように一咲が代わりに口を開く。


「本当はね。殺されたのよ。家族旅行で出かけた先で。母は犯人を責めなかった。父が死んだのは、私のせいだと、通夜の後、包丁で……」


 一咲はスカートを直して、その上から傷を撫でた。


「見かけよりは深い傷ではないの。機能的には治ってる。……ただ、外に出ようとすると、動かなくなる」


「……どうして、お母さんは……君のせいだなんて」


 将太は言葉を選びたくても、ストレートにしか問いはでない。気の利いた言葉も選べない。その代わりのように声だけが小さくなっていた。


「将太はさ。よく人に道を聞かれない?」


「……聞かれる方だと思うけど」


「どうして?」


「どうしてって……そういう質なんだよ」


 そんなこと聞かれても、明確な答えなんて持ち合わせてない。要領を得ず、将太は口ごもった。


「それと一緒なの。ただの質。名探偵体質っていうのかな。なぜだか私が出かけると、出かけた先では事件が起こる……」


「そんなの偶然だろう」


「偶然も何回も続けば、立派な必然よ。現に母はそれを信じて、私がもうどこにも行けないようにと刃を下した……お前は外に出てはいけないと。一応私を想ってのことなのよ」


 明るく。それでも無理するように一咲は口角をあげた。


「まぁ、そんな暗い顔しないで。しかたのないことだから。私が外にさえ出なければ事件なんて起こらないんだから。平和でいいじゃない」


「しかたがないなんてことあるもんか!」


 荒げた声に、一咲の肩が震える。


「君が外に出るから事件が起こるなんて……」


「驚いた。何をそんなに怒って」


 呆気にとられる一咲を置いて、将太は棚からファイルを引っ張り出し、彼女の目の前に積んでいく。


「いい?一咲ちゃん。君が外に行こうと行かまいと一日に、いろんなところでたくさん事件は起こっているんだ。毎日毎日箱いっぱいにここに運ばれてくるんだよ」


 益子将太は正義の味方になりたかった。かっこいい刑事になりたかった。


 しかし現実は忌まわしい事件が起きたって、ただそれを仕分けるだけ、被害者や遺族に声をかけることもできない。


 それが将太にとってどんなに歯がゆいことか。情けないことか。


 ―理想の自分は、ここにはない。


 正直八つ当たりだった。


 傷ついた過去を平然と語り、仕方がないと語る少女への八つ当たり。


 自分が外へ出なければ、事件は起きないと、平然とこの部屋で呟く彼女への八つ当たり。


「お父さんのことも、お母さんのことも……事件のこともみんな君のせいなんかじゃないよ。運が悪かっただけなんだ。全部……このファイルが証拠さ。君がどこにいようと事件なんて簡単に起き続けるんだ」


 偶然事件に巻き込まれた経験があるだけ。


 ただその偶然が1つの家族をばらばらにし、一人の少女を追い詰めた。


 ただそれだけのこと。


 自分が情けなくて、一咲が可哀そうで、将太の目頭は熱くなっていた。スンと鼻をすすると、一咲は俯いて肩を震わせた。


「ごめん、一咲ちゃん。泣かせるつもりじゃ……」


 将太がその肩に手を置こうとすると、一咲は顔を上げて高らかに笑い出した。


「あっはははは。あははははは!運……運だって、あっはははは!」


 大きな口を開けて、ひぃひぃと苦しそうに息を上げる一咲に面喰らい、行き場を失った手を浮かせたまま将太は固まることしかできない。


「一咲ちゃん……なんで笑って」


「……運って…ははは。私の体質のこと聞いて、気味悪がりもせずに運って……あはは」


 一咲は再び俯いて、肩を震わせる。


「いくらなんでも笑いすぎ……」


 将太は言いかけて、固まったままの手を一咲の頭に乗せた。


 笑う声はいつしか嗚咽になり、汐崎一咲は声を上げて泣いていた。

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