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探偵助手は狂わない  作者: にょん
24/24

探偵助手はもういない

 腕に抱かれたのは白い小花であしらえた小さなブーケだった。


 徐行するタクシーを横目に駐車場を駆け、エントランスまで到着すると将太は額の汗を拭った。


 自動ドアが開き、少女が一人、看護師に付き添われて出てくる。


 病院には似つかわしくない。黒いワンピースを着た少女。その髪は肩まで伸び、夏の日差しにあてられて白く、透き通るように輝いている。


「一咲ちゃん!」


 名前を呼ばれ、少女はびっくりしたように目をぱちくりさせながら将太を見つめ返した。


「あれ、将太」


「もう!今日が退院する日だったら教えてよ……迎えにこれないところだったじゃん」


 ブーケを手渡し、将太はため息をつく。


 あの忌まわしい事件から3か月。一咲はずっと、両足の複雑骨折で入院をしていた。一時は後遺症で歩けないとまで言われたが、彼女は積極的にリハビリをし、自力で歩けるようになった。


「だって今日は平日だよ。私と違って将太には仕事があるじゃん。わざわざ休暇取ってくれたの?」


「休暇とってないよ?」


「は?じゃあサボり?」


「ちがうちがうやめたの。警察」


 さらりと告げる将太に、一咲の目が点になる。


「は?へ……?え?やめたの?」


「うん」


 言葉をなくして呆然としている一咲に将太はあっけらかんと頷く。


「なんで!」


「うーん、やりたいことがあったから?」


「呆れた……これだから最近の若い奴は」


 老人のようなことを口走り、一咲は怒ったようにブーケを押し返た。そのままやってきたタクシーに乗り込む。


 将太もそのあとに続いた。


「……警視庁まで行っ」


「いえ、この住所までお願いします」


 一咲を遮り、将太は運転手に名刺を渡す。


「なんで、家に帰りたいんだけど!」


 苛立つ一咲に対し、将太はのほほんとシートベルトを着ける。


「だってもう分類係ないし、一咲ちゃんの部屋ももうないよ」


「は?」


 分類係はもう存在しない。


 一咲がミユキと飛び降りた直後、全治はほとんど抜け殻のようであった。それこそ自身で助けを呼んでからは誰の声かけにも反応せず、自力で立ち上がることもできない状態だった。そのため、彼も共に病院に運び込まれた。しかし医者の診察も束の間。誰の目もすり抜けてその姿を消したのだ。


 もともとあってもなくても変わらないような組織だった分類係は、全治の失踪、将太の退職、一咲の長期入院で一気に主人を失い。瞬く間に解体されてしまった。


 今やあの地下室は完全な倉庫になり、一咲の家財道具一式もとっくに処分されていた。


「じゃぁ、私はどこに帰ればいいの」


「ああ、だから……ここ」


 運転手に渡した名刺と同じものを将太は一咲に渡した。


   *


 タクシーが停まったのは、小さな古ビルの前だった。


 2階の窓ガラスには「益子探偵事務所」とペンキで書いてある。


「まさか、将太が探偵になるなんて本気?」


「だって役割を交代したじゃないか……これでも月に何件か調査依頼はあるんだよ」


「どうせペット探しとか浮気調査でしょう」


 ぐうの音も出ず、将太は肩を落とす。将太を置いて一咲は外に出ようとドアに手を掛ける。すると、「お客さん」と、運転手に呼び止められた。


「代金ならこの人が払うけど」


 指を指され、将太は苦笑いをする、もとよりそのつもりだったが、メーターをみると結構な代金で、駆け出し探偵には少々胃が痛い。


「ちがいます。これ」


 運転手は助手席に手を伸ばすと、両手では抱えきれないほどの大きな花束を一咲に押し付けた。


 漆黒のバラの花束。


「ひぇ、病院のサービスですか?」


 将太が驚いてバラを覗き込む。自分の白いブーケがかすむようでなんだか恥ずかしかった。


「いえいえ、このタクシー手配した方が、退院する女の子に渡してほしいって。サプライズですかね」


「え……。このタクシーって」


「迎車ですよ。代金もいただいています。多めにねー。金持ちはいいですね」


 こんなに気障で、バカみたいなことをする金持ちの知り合いなんて一人しか思いつかないと、将太と一咲を顔を静かに見合わせる。


「……将太。持ってて」


 一咲は黒バラを将太に押し付けると、代わりに白いブーケだけ持ってタクシーから降りた。


 将太は運転手にお礼を言って、下車する。その瞬間。


「将太君。しばらく彼女をよろしくね」


 そう、運転手が囁いた。


 将太が振り返ったときにはすでにタクシーは扉を閉め、エンジン音を立てて走り去っていった。


 嫌な汗を背中に感じるが、一咲に呼ばれ、将太は再び振り返る。


「さぁ、行きましょう。探偵さん。役替わりしたってことはあるんでしょう」


 手すりに手を掛け、一咲は足取り軽く階段を上る。


 ―ああ、本当に彼女はなんて推理力。


 将太は感嘆代わりに息を吐く。


 事務所の陽当たりの良い場所に立派な椅子を置いてある。探偵の安楽椅子ではない。その椅子はただ一人の少女が座るだけの椅子。探偵助手の椅子だ。


 その席では最初に彼女の髪をきってやろうと将太は思っていた。


 切りすぎてしまったら、今度こそ彼女は怒るだろうか。


 わからない。案外また、気に入ってくれるかもしれない。


 怒られたときは、おいしいお菓子で謝ろう。


 お菓子候補を考えながら、将太は一咲の後を追って階段を駆け上った。




(了)

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