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探偵助手は狂わない  作者: にょん
20/24

第三の殺人

 がくっと、肩が揺れる感覚で自分が寝ていたことに将太は気づいた。


 寝てしまったという事実の自覚は驚くべき速さで意識を覚醒させ、体を立ち上がらせる。


 窓の外からは陽光が指していて、チュンチュンと小鳥が囀ずる声が聞こえた。


 向かいでは全治も寝息を立てて寝ている。とても静かな朝だった。


 とりあえず、自分達の身にはなにもなかったことに将太は胸を撫で下ろす。


―一咲とミツキには部屋を締め切るに伝えていたし、とりあえずは無事だろう。


 安堵のため、201号室に視線をうつしたが、その瞬間に今で感じたことのない。ぞくりと、粟立つような感覚が将太の全身を支配した。


 201号室の戸が、少し。開いていた。


 何故、開いているのだろう。一咲、いやミツキがトイレにでも、立ったのだろうか。強ばった表情のまま、将太はトイレに視線を移すが、そこに灯りはともっていない。


 ゆっくりと。現実から目をそらすように、にじりにじりとドアに近づく。随分と時間をかけて将太はドアノブに手をかけた。大丈夫。戸を開ければ、そこにはぐっすり眠る一咲とミツキがいるはずだ。何度もそう言い聞かせて、ゆっくりゆっくりノブをひねる。


 でも、ベッドの中を確認する間もなく。戸を開けた瞬間。それは視界に嫌でも入ってきた。


 ドアの真ん前。部屋の中心。天井の梁から。それはぶら下がっていた。


 だらりと、体中の力が抜けて、将太はその場に座り込むことしかできない。


 そこにぶら下がっていたのは目に光を失い、四肢に力を失い、生を全て失った。首を吊った加賀美ミツキの姿だった。


 将太は言葉も出ず、うつむきもできず、ただ、情けなくそれを見つめていた。


 感情が追いつかない。目の前で起こったことに整理がつかない。


 何故、ミツキが目の前でぶらさがっているのか。


 状況を掴もうとしているのか、やっと首と目だけがきょろきょろと辺りを見渡す。そしてミツキが、首をつっているすぐそばで一咲が倒れていることに、気がついた。


 あれだけ呆けていたにも関わらず、気付いた瞬間には彼の体は動いていた。


「かずさ……一咲ちゃん!」


 叫ぶように呼び、その体を抱き起こす。一咲の体は暖かい。口からは吐息が漏れていた。将太はそのまま一咲の体をゆすった。


「一咲ちゃん!」


「うっ……うう」


 小さな呻き声が一咲から漏れ、その瞳がぱちりと開いた。


「えっ……将太?」


 その声を聞いて、やっと将太の心に安堵が広がる。ぎゅっと一咲の体を抱きしめて年甲斐もなくわんわんと泣いた。


「な、なななに!ほんと何?」


 一咲は顔を赤くして身をよじるが、将太はこの安堵感だけを今は感じていたかった。

 きゃあきゃあ騒ぎながら身を捩り続けた一咲が突然止まり、静かになる。

 彼女の瞳もそれを捉えたのだ。


「将太……ミツキさんが……」


 震えた静かな声に、将太は頷くしかできなかった。

 

   *


 一咲の無事を確認できたところで、将太は少し冷静さを取り戻した。

 

 将太はミツキを梁から下ろすことにした。「部屋を出るか」と、一咲に尋ねるが、彼女は首を横にふる。


 将太は部屋の奥にあった椅子に一咲を座らせ、ミツキの方へ向き直った。


 ミツキは大分床から近い。50センチもないところで吊られていた。床にその身が投げ出されないように、将太はミツキの体を抱えたまま固く結ばれた縄を力を入れてほぐしていく。


 冷たく、固くなった体は重い。汗だくになりながらやっと縄がほどけた途端。死体の全体重が体にのし掛かり、将太はそのままバランスを崩して床に倒れ込んだ。


「痛っ……」


「将太、大丈夫?」


「うん…。高さがあったわけじゃないから」


 将太はミツキの体を抱き起こし、ベッドに寝かせた。死後硬直で苦悶に満ちた顔を直してあげることはできず、シーツを顔までかける。その頬には涙のあとがあった。それが将太にはなおのこと辛かった。


「ミユキさんのこと追いかけての自殺……じゃないよね」


「うん。踏み台この部屋にないもん」


 是清邸の事件と一緒である。首を吊るには必ず踏み台がいる。それが、この部屋にはなかった。一咲の座っている椅子は、部屋の奥にあったものであり、ベッドも吊った場所からは遠すぎる。それが示すことはただ一つ。


 ミツキは誰かに首を絞められて、そのまま天井に吊られたのだ。


「そうだ将太。月の写真は?」


 言われて、将太も気付く。もしこれが本当に殺人であれば、花と雪と同じように、今度は月の写真がペンキで染まっているはずだ。


「ちょっと、203号室に行ってくる」


「私も行く……痛っ」


 手を伸ばした一咲が、背中を押さえる。


「どうしたの」


「いや……なんか、ずっと、背中が痛くて……床で寝てたからかな」


 一咲は背中をさすって顔をしかめる。


「大丈夫?見ようか」


「えっ!いいよ……!大丈夫」


 一咲は顔を赤くして首を振るが、そんなのはおかまいなしに将太は彼女の背に回る。


「恥ずかしがらない。たかが背中でしょ。それに一咲ちゃん。床で倒れてたんだよ?君だって犯人に襲われたのかもしれないんだ。大きな傷だったらどうするの」


「でも、だって!きのうお風呂だって入ってないし!」


「大丈夫だから……」


 将太はほとんど無理矢理に一咲の襟首を引っ張ってその背中を覗き込んだ。


 そこで絶句した。


 白い彼女の柔肌にはまるで誰かにおもいっきり踏みつけられでもしたかのような青アザが広がっていた。


「これは……冷やした方がいいかもしれない。床で寝てただけじゃこうはならないよ。昨日何があったの」


「わっ…分からない。将太が部屋を出てしばらくたったあと、ミツキさんがお菓子をくれたの。食堂からくすねたもので、本当はミユキさんと食べようと思ってたから2つだけしか無いから将太には秘密だよ。って……でもそれを食べたらすごく眠くなって」


「睡眠薬でも入ってたのかもしれない。ミツキさんも眠っている間に殺されたのなら、外にいる俺に助けを求められなかったの納得できるし」


「うん……」


 背中を擦りながら、一咲は俯く。同じ部屋で自分が眠らされている間に人が殺されたのだ。そのショックが計り知れないであろうことは、想像に難くない。


 将太は自分が許せなかった。一咲は眠らされていたのだ。それが自分はどうだ。ただ寝入って、犯人が一咲たちの部屋に入るのも、みすみす人殺しをするのも見過ごしていたのだ。一番責められるべきは、なんの事件も防げない、誰も救えない自分ではないか。


 握りしめた拳にぬるりという、感触が生まれる。爪が皮膚に食い込んで、血が出ているのだと、気付いたのは、一咲がその手をとってからだった。


「将太のせいじゃないからね。絶対」


 かつて自分が誰かに言った言葉と、眼差しに自然と涙が目にたまる。溢れないようあわてて袖でぬぐって、将太は開いたら手を服に擦り付けた。


「遠西さんの部屋。確認したら包帯と氷。取りに行こう」


「そう……だね」


 気丈に。きっと無理して微笑む一咲。


 将太は再び熱くなる目頭を押さえ、ごまかすように彼女を背を向けた。


 そのまま一咲を背負い、将太は部屋を出る。


 そしてすぐに異変に気がついた。

 

 広間の中心。


 ソファにいるはずの全治がいない。


 全治がさっきまでいた場所には月の写真が置かれている。赤色のバツ印はつい先程かかれたものらしく、光沢をもって額から滴り、床を濡らしていた。  


 ―全治は手錠をしていたはず、いや、足を固定しているわけではない。逃げ出そうとすればそれは容易だろう。


 ―この状況で、この誰もいなくなった状況で逃げ出すのは。一体どういう了見だろうか。


 ―それはあれだけ否定をしといて、結局全治が、犯人であったということだろうか。


 将太の中で様々な思考が浮かんでは消えていく。


 瞬間。バチンという音が、彼の耳のそばで響いた。少しヒリヒリと頬が痛いのと、冷たいのと、やわからかい。一咲が将太の頬を力強く両手で挟み込んでいた。


「落ち着いて。さっきまでそこにいたんでしよ?それじゃあ、遠くには行ってないはず。手錠もしてるし、どのみち外も断崖絶壁。逃げ場はないんだから大丈夫」


 頬に置かれた冷たい手が体のいらない熱を奪っていく。


「追いかけて、将太」


 頬の手をゆっくりと退かし、将太は数秒間を置いて深呼吸した。今さら一咲を置いてこうとも思わない。


「一咲ちゃん。しっかりつかまってって」


 一咲を、背負ったまま。将太は転がるように階段をかけ降りた。


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