カレー作り
食堂はロビーを出てすぐ。廊下の中腹にあった。突きあたりには大浴場という表示がある。
食堂の中央には8人掛けの大きな長机があり、真新しいクロスがかけられている。将太が下を覗き込むと、2人掛けの小さな机をつなげて作ったものであることが分かった。部屋の隅には使っていない椅子や机が積まれている。ただ加賀美姉妹の姿はない。
「ミツキさん、ミユキさんいますかー?」
「こっちこっちー」
響いた声の方、さらに右奥に部屋があることが分かった。
覗いてみると、奥は小さな厨房になっており、作業台には菓子パンやカップ麺。レトルトのごはん、缶やペットボトルのお茶などが数本並んでいた。箱の中に野菜なども入っているようだった。
ミユキとミツキは、その隅で野菜の皮を剥いている。
「これ全部二人が?」
「ええ、結構いろんなものがあったわ、お肉とカレー粉もあったから。カレーにしましょう」
ミツキは牛肉のパックを見せながらにっこりと微笑んだ。
「来たなら手伝えば?7人分だと野菜切るのは大変なんだから」
手早く玉ねぎを刻み、憎まれ口を叩きながらも、ミユキはトントントンと小気味よいリズムで包丁は動していた。
「まぁ、わざわざ作ってくれてたの?ありがとう。何を手伝えばいい?」
腕まくりをし、既に東は手を洗ってミツキの指示を待っていた。
「では、人参をお願いできますか」
「もちろんよ」
「益子さんは、じゃがいもを」
「えっ……はい」
将太は作業台にあった包丁を困ってただ見つめる。じゃがいもの皮むきなんぞやったことがなかった。
将太は一咲を隅にあった椅子に置き、手を洗う。
それを見ていたミユキが、一咲に向かって玉ねぎを一つ放り投げた。慌てて一咲は落としそうになりながらもキャッチする
「あんたも、ぼーっと突っ立てないで、皮ぐらいなら座って剥けるでしょう」
一咲はびっくりしたように玉ねぎをもったまま固まっている。
「いや、一咲ちゃんは……」
止めようとして、将太がその場を離れようとするとミユキはキッとそれを睨みつけた。
「なんで?自分が食べるものを自分で作るのは当たり前のことでしょう」
「そうですけど……」
一咲は十年、何もせず。ただ引きこもっていたのだ。もしかしたら野菜の皮なんて剥いたこともないかもしれない。それが将太の懸念。
ミツキは固まったままの一咲に近づくと。
「いい。お姫様じゃないんだから。自分でできることは自分でするの。こうやるのよ」
一咲から玉ねぎを取り上げ、ミツキは指でそれを剥いて見せる。一咲はそれを凝視している。
「ほらやってみな」
半分剥けたところでミツキは玉ねぎを突き返す。
一咲はそっとそれを受け取ると、ぺりぺりと皮を剥き始めた。
ミユキはそれを見届けると。ふっとため息をついて、残りの玉ねぎを数個置いて、持ち場に戻った。その道中。将太の手元を見つめて、心底呆れたという顔をする。
「あんた、何やってるの?」
「苦手で……」
将太の手元には皮を分厚く剥きすぎて、小さくなったじゃがいもがいた。
「……皿とかスプーン。用意して」
頭を抱えながら、ミユキは大きくため息をつき、将太からじゃがいもを取り上げた。
役立たずここに極まりと将太は食器類とともに食堂の方へ追いやられる。食堂に戻る前、ちらりと一咲の方を見ると、丁寧に丁寧に、玉ねぎの皮を剥いていた。その顔は真剣そのもので、少し楽しそうだった。
*
ほどなくして、カレーは完成した。
安心感のある良い匂いが鼻腔をくすぐる。
「おいしそうにできたわね」
「カレーなんて誰が作っても同じよ」
にこにこ微笑む。ミツキに対して、ミユキはため息をついていた。
「じゃぁ、さっそくいただきましょう」
「あ、一応上にも持って行っていいですが」
皿にカレーを盛りながら、将太は天井を指さす。
皆からすれば全治は立派な誘拐犯であり監禁犯といっても過言ではない全治だが、将太としては今だ見捨てることができなかった。
「……勝手にすれば?」
「そうね。腹を空かせるほうが可哀そう」
ミツキとミユキも同意し、運びやすいようにと将太に盆を手渡した。
「じゃぁ、遠西さんにも持って行ってあげなきゃね」
東は微笑むと、手早く盆にカレーと水を乗せて食堂を出て行った。
「じゃぁ、一咲ちゃん。俺も2階行ってくるから。ミツキさんたちと食べてて」
将太は一咲を食堂へ運ぼうと手を差し出すが、一咲はその手を取らない。
「どうしたの?」
「水差し」
一咲はそういって、作業台の上に置いたままの水差しと残ったコップを指さした。
「水差しがどうかした?」
「みんなのお水そそぐぐらいなら、座りながらできるかなって……」
カレー作りに参加したことが、どうやら彼女の自信にまた一つつながったらしい。小さな一歩だが、大切な一歩だ。と将太は胸にはじんと込み上げるものがあった。
「そうだね。じゃあ、一緒に持ってこう」
水差しとコップを手渡すと、一咲はぎゅっとそれを受け取った。
*
将太は一咲から水の入ったコップを受けとると、それを盆にのせて2階に向かった。
全治は将太の姿を見つけると、嬉しそうにニコニコと手錠をされたままの手を振っていた。
「ずっといい匂いしてたもん。いやぁー。将太君なら持ってきてくれるって信じてたよ」
「餓え死にさせるのはさすがに哀れだからな」
「まぁ、一日抜いたくらいじゃ死なないけど。空腹は辛いもん」
「ほら、ありがたく食べろよ。水は一咲ちゃんがいれてくれたんだぜ」
「へー一咲ちゃんが!すごいじゃんか」
全治は手錠のまま、コップを掴んで水を飲んだ。さすがにスプーンは持ちにくそうだったかが、それでも器用に使ってカレーと飯を掬っていた。
「うまいうまい。ほら早く将太君も食べといでよ。冷めちゃう」
「そうする……」
間の抜けた全治の顔を見て、将太の気も抜けた。ゆっくり階段を下りて、また、食堂に向かう。腹の虫ももう限界で、一際うるさく音を上げていた。
*
将太が食堂に戻ると、既に女性陣は席につき、カレーを口にしていた。
ミツキとミユキが対面に座って、一番端。
ミツキの席から1つ開けて東。
ミユキから2つ開けた端の席に一咲が座っている。
皆すでにカレーを食べ始めていたが、一咲だけのカレーだけはまだ手付かずだった。
「一咲ちゃんどうしたの?あ、猫舌とか?」
将太は一咲の隣。開いていた席に腰かける。
「将太が来るの待ってたんだよ」
「なんで」
「なんでって……私の剥いた玉ねぎ。一緒に食べてほしかったもん」
少し恥ずかしそうに、それでも拗ねたように言って、スプーンをかじった。
カレーなんて誰が作っても同じ。まさしくミユキの言う通りなのだが、そんないじらしいことを言われたら。大袈裟に美味しいていってやりたくなるものだ。将太はカレーを一掬い口の中に放り込んだ。
「おいしいよ!特に玉ねぎの甘さが引き立ってる!一咲ちゃんが剥いたからだね!」
将太は少し大袈裟すぎたかと、視線だけで周りを見渡す。ミツキはビックリしたように目をぱちくりさせ、ミユキはしらっと何か言いたげな顔をして腫れ物でも見るかのように将太を見つめていた。東はクスクスと口許を抑えて笑いをこらえている。しかし当の一咲はにんまりと満足気にカレーを食べていた。将太としては恥ずかしいは恥ずかしいのだが、なんだかそれよりも父性的なものが満たされることが心地よい。
「でもみんなで食べると確かに美味しいわよね。私なんか独り身だから……こうやって大人数でご飯食べるのも久しぶり」
「そうですね。なんだか修学旅行みたいで懐かしい」
東とミツキは馬が合うのか互いに微笑みあう。
「そういえば、私の部屋にはとても素敵な写真が飾ってあったんだけど。皆さんのところはどうだった?」
「写真?」
将太は一咲と顔を見合わせるが、二人で首を傾げた。
「僕たちのところにはなかったですね」
「私たちのところには雪の写真が飾ってありましたよ。雪の結晶。季節外れなのに不思議だなぁって思ってたの。ねぇ、ミユキ」
ミツキが同意を求めるが、ミユキは覚えていないのか首をかしげ、興味ないと言わんばかりにカレーを口に運び続ける。
「あらそうなの。私のところは花の写真だったわ。綺麗な彼岸花の」
花、雪……と最近聞き覚えのある言葉が将太の頭をぐるぐる巡る。
「あ、じゃあきっと遠西さんのところには月の写真が飾ってあるんじゃないですか?」
ぐるぐると思考が回った結果。さっき学んだばかりの言葉の雪月花がぽんと将太の頭に浮かぶ。
「ああ、花に雪ときたら……そうかもね」
ミユキがぼんやりと呟く。やはり一般常識なのかと、将太はがっくりきてしまった。
しばらく談笑を続けながら、あっという間に皿のカレーはなくなった。
「なんだか美味しいもののあとはコーヒーか紅茶でも飲みたいわね……」
東がほぅっとため息をつきながら、腹を撫でる。
「あ、紅茶ならありましたよ」
「あら、ミツキさん本当?」
「ええ、棚の上に。たぶん新品だと思いますけど。缶に入った上等なのが。淹れてきましょうか?」
「いいわミツキさんは座ってて」
立ち上がったミツキを座らせ、東はパタパタと厨房へ消えていった。数分後、お盆に紅茶を5つのせた東が戻ってきた。おしゃれな花柄のティーポットとカップからは湯気がでている。お盆にはミルクピッチャーやシュガーポットも乗っていた。
「あ、僕たちの分もいれてくださったんですか?すいません」
「ええ、折角だから。お口に合えばいいけど。でも砂糖とミルクは好みで入れてね」
将太は配膳を手伝い、どんどんと配っていった。
「あ、おいしい」
「ほんとう。美味しいですよ東さん」
ミツキとミユキは紅茶を見つめて、目を丸くしている。
一咲は砂糖をたっぷり入れて、ごくごくと飲んでいた。将太もミルクを入れて飲んでみる。確かに美味しい。と、普段触れ
ない高級品に舌鼓を打った。
「本当?嬉しいわ。おかわりもあるから。どんどん飲んで」
東も席につき、紅茶を一口飲んだ。
楽しい食事のあとは楽しいティータイム。これからのこととか、どうやってこの館から帰ろうか。そういうことは二の次で将太は暖かなこの時間がずっと続くような気がしてた。
ガシャンと、何か割れる音が響くまでは。
その音の発生源。誰もが床を見る。そこには割れたティーカップが無惨に転がっていた。破片の間から絨毯に一瞬で紅茶のシミが広がっていく。
どうしたのかと視線を上げた瞬間。その場が凍るのを誰もが感じ取った。
ティーカップを落としたのは東だった。
その場に立ち上がり、口許を両手で必死に押さえている。
ごふっという咳の音ともに彼女の指の間から、深紅の液体が流れ落ちていた。
誰かが、もしくは同時に、彼女の名前を呼んだ瞬間。東は大きな音を立てて、床にその身をなげうった。
彼女の口は両手という抑えを失って、ただ血を床に垂れ流していく。
彼女を起点に広がる血の染みはまるで真っ赤な花のようだった。