第九話
「本当これ、すごいよ! 先生って絶対百キロ以上あるよね⁉」
秋穂が興奮した様子でスマホの画面を見ている。
「家庭用、180センチの冷蔵庫くらい」
伝わっているのか微妙な例えをしながらミッコはにやにやする。
「三橋さんが急に動画あげるからなんだろって思ったら、あっはははは! やっぱりダメ! これ笑っちゃう!」
「マジで巨大な芋虫だろこれ」
「さながらカフカの変身」
「それな! 松尾の顔よ、どういう表情だこれ!」
山川が口を開けて大きく笑った。
休み時間、柴田が1年A組の教室に戻ってくると先に授業を終えたクラスメイト達は皆スマホを手に盛り上がっていた。話題は『搬送される松尾先生』。柴田は後に知ったことだが彼が松尾先生を担いで歩く姿が流華によって撮影、グループチャットに送信されていたのだ。クラス中が大いに笑い、ほとんど話したことのない者も柴田に労いの言葉をかけた。
それから現在放課後に至るまでそのちょっとしたムーブメントは続き、帰りのホームルームを終え、それぞれが帰宅や部活へ行く身支度をする頃にようやく収まったのだった。
結局、こっそり搬送するというミッションは失敗したということになるのだが、柴田にとってはどうでも良いことだった。ほんの僅かでもクラスの中心になれた気がする。そんな充足感があったのだ。孤独なリレー代表に名乗り出た時は後悔したものだったが、どんな形でも級友と打ち解けられればそれで良し。乳酸の溜まったふくらはぎのだるさに誇らしさすら感じている。
「本当、帰宅部とは思えないくらいのフィジカルだよ~……ってあれ? おーい柴田くーん」
「んお⁉ あ、あぁうん、まぁね」
「相当疲れてんなw」
「おう……リレー練習の後だったしメチャクチャしんどかったから……膝ぶっ壊れるかと思った」
「自己犠牲も厭わないその献身、流石はレスキュー、レスシバ」
「?」
一人で納得したように腕組をして頷くミッコ。
「すぐに帰って休んだ方が良い……レスシバ」
「えと……うん、れすしば?」
柴田は語感を確かめるように聞き返した。
「あーこれはミッコ語ね」
「みっこご」
「うん、ミッコのネーミングセンスは独特ですぐに変な言葉を作るんだよ」
「変じゃない、最適最短の言葉で表現している」
「じゃあ、何人かが『レスキュー』って俺のこと読んでたのは」
「多分、レスキュー柴田がピンと来てないからレスキューだけが残ったんだと思うよ」
「な、なるほど」
ミッコが不満そうに唇を尖らせている。
その顔をするのはこちらのほうじゃないのか、と思ったが口には出さない柴田。
(シバケンという犬の雰囲気漂うあだ名が広まりつつあるのに、これ以上はまずい! なんというか舐められてる気がする! いや……でも、愛称と考えればいいのか? あだ名が多いのはそれだけ印象に残ってるってことだし割と良いことだと考えられなくもない?)
益体も無いことを机を枕にしながら考えていると、帰り支度を終えた山川が、
「シバケン、なんか帰る気満々ぽいけど今日だぞ?」
「何が?」
「集まり! 体育祭前に男子メンバーで飯食おうって言ったじゃん!」
今日は金曜日。補習帰りの廊下で山川と話したことを思い出した。
「そうだったな、悪い」
預けた体を机から引き起こす。
「え~男子だけ良いなぁ!」
今度は秋穂が唇を尖らせた。
「残念! 今日は男だけで騒ぎまくるんじゃい!」
「せいぜい飯食ってカラオケかボウリング行く程度だけどね」
長谷川が補足した。
「全然楽しそう! いいなぁ~女子はそういうの無いし、そんな感じでもないから」
「まじ? 流華ちゃんとかそういうの企画するタイプじゃないん?」
「どうなんだろ……いつも同じグループでいるしよく分からない、かも……?」
「キャラ的に絶対リーダータイプだろあれは! だってギャルだぜギャル! うちの学校には珍しいタイプ!」
あはは、と秋穂は困ったように曖昧な笑顔を見せた。
柴田は山川の肩に手を置き、
「野暮なこと聞くんじゃない…………ところで、店ってどこ?」
こちらの意を汲んだ長谷川が素早く立ち上がった。
「グループチャットに載せてなかった?」
「ヤボってどういう意味……?」
「あー俺そのグループ入ってない」
「え、なんで……スマホ持ってるでしょ?」
「招待されてないんだよ」
「あはは、早く言えよな招待するから」
「言って良いものかと迷ってた」
「なぁ、やぼって」
言いかけた山川の首を長谷川がロックする。二人は足早に教室を出た。
後ろに続く柴田が教室のドアを閉める時。
「またね、柴田くん」
少女がこちらに向かって小さく手を振った。
夕日が彼女の長い黒髪を照らす。
微かに幼さを感じさせるタレ目が笑うと少し細くなり、人のいない教室では小柄なその体がいっそう小さく映る。
ドアを閉める手が一瞬止まった。
「三橋は……」
「うん?」
「三橋は多分、思ってるほど怖くないぞ……見た目が少し派手なだけだ…………まぁ、俺は中学から一緒でも全然話さないからアレなんだけど……」
秋穂がぽかんと口を開ける。
急に恥ずかしさを覚えた柴田の耳が少し赤くなる。視線を廊下に移して半開きになったドアを閉め切る。
直後、再びドアが開いて秋穂が飛び出してきた。
「ありがとう、柴田君……あ、え~っと、シバケン!」
なんちゃって、と笑った。
そのスピード感に唖然とした柴田も思わずといった感じで笑う。
「いいよ、シバケンで」