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第七十四話

 その変態じみた自転車に見覚えがあった。

 前方に籠が取り付けられた所謂、ママチャリ。

 ありふれた形状の自転車はフレーム部分が金色で塗装されており、搭乗者の絶望的なセンスが反映されている。

 加納達と会議をしていた公園。山川達と練習した夜のスポーツセンター。ことあるごとに目についた金色の自転車は木場の愛車だったのだ。

「いったーい! どこに目ぇつけてんのよ!」

 男はただのママチャリをBMXの如く扱い、前輪を浮かせ、ウィリーのようなポーズを決めた。

「き、木場さん……」

 日本人離れした肉体にトレードマークのミニアフロ、とても高校生とは思えない姿をした男は愛車を乗り捨て、倒れた柴田に手を差し出す。

「若干、間に合わなかった気もするけど許してくれよな!」

「どうしてアンタが……」

 掌を掴んで立ち上がる。

 頬がズキズキ痛む。歯は欠けていないようだが口の中に血の味が広がった。

「何で俺を助けたんですか……」

 木場が少し笑って答える。

「理由なんかどうでもいいっしょ。俺がそうしたかったからそうした……。それだけのことよ……。んだよその目は、納得いく理由が必要か?」

 木場は言った。推薦で大学に行く為、問題を起こすわけにはいかない、と。だから加納と関わることはあり得ない、と。

 加納が木場を警戒しているらしい、ということは柴田にも薄々分かっていたことだが、力があるからといっても積極的に木場に助けを求めることはしなかった。いかに強かろうが、彼がこの件に無関係である以上、軽々しく協力を求めることは柴田の信条に反する。

 木場にしても、柴田が何らかの理由で加納と揉めていることは分かっていただろう。だが、「困っているなら、助けようか?」とは言わなかった。

 にもかかわらず、ここにおいて何故介入してきたのか。

 柴田にはサッパリ分からなかった。

 しかし、


「ヒーローは遅れてやってくるものだろう?」


 木場が言った何気ない一言が胸の中に入り込んだ。

 アレコレと根回しをしたり、牽制したりするよりも。颯爽と駆け付け、豪快に事態を解決する方が良い。

 その方が、カッコいいに決まってる。

 彼は自分と似た者同士なのだ。

「は……、ははははは……」

 疲れ切った身体の底から面白さがこみ上げてくる。

 説明になっていなかった。それでもこの二人には十分すぎるほどに納得できる理由だ。

 恰好つけたいから。

 どんな言い訳や理屈をこねくり回しても結局はそこに行き付く。

「俺にも先輩としてのプライドがある、リレーで負けたまま終われるかよ。柴田くん、ここは俺に任せてくれるか?」

「答える必要ないっすよね? 引っ込んでろって言ったってアンタは無視するでしょ」

「ふふ……、まぁな、本当は助けるつもりはなかったんだぜ。どんな理由があろうと自分本位に周りを巻き込み、ハナから助けてもらおうとしてる奴を助けるつもりはねぇ…………。でも、柴田くんは違った。アイツと俺が知り合いだと知って尚、自分の力で解決しようとした。中々できることじゃねぇ」

「それも嘘、ですよね? 今になって思えば、様子がおかしかった。公園で金色の自転車を見つけた時、アイツは逃げるように立ち去った。それに金が足りなくてピンチだった時、急に現れたパーカーの工業生。顔を隠すようにしていきなり10万も賭けたいと言い出した火野を名乗る男。アレ、木場さんですよね? アンタは初めから首を突っ込む気満々だった……違います? 木場、木の反対で火、場に近い言葉で野。木場と火野、ってことじゃ」

「オイオイ全部言っちまうのは野暮だぞ。恰好良くない」

「はは……失礼しました」

「ごちゃごちゃうるせぇ‼」

 ようやく立ち上がって吠える加納。額には汗が浮かぶ。かなりの速度で轢かれたはずだが、見た目ほどダメージはないらしい。

「木場ァ……、テメェに用はねぇ、消えろや!」

「はぁ……、久しぶりに会っていきなりか。お前も18歳になったんなら、まずは『久しぶり~、中学卒業以来だね~元気だった~?』くらいの挨拶をするべきだろう」

「はっ、いきなり轢き飛ばしてくるお前に言われたかねぇな」

「確かに、俺たちの挨拶は昔からこんな感じだったよな! じゃ、いつも通りか。あっはっはっは!」

 加納が気を取られている隙に、柴田は須々木の下へ駆け寄った。

 脳震盪を起こしたらしく、青い顔をして座り込んでいるものの、幸いにもフェンスがクッションになったおかげで無事のようだ。

「健星、あの人は……?」

「この学校の生徒会長。あのヤンキーの知り合いらしい。多分だけど、もう大丈夫だ」

「?」

 相対する二人の男。

 自らの攻撃性と凶暴性を誇り、隠そうともしない獣。そして、それを前にして尚、一片の恐れも緊張も抱かない規格外の怪物。

 どちらも強者には違いないが、その差は歴然だろう。

 柴田と須々木を相手にした時、獣の笑みは余裕と侮りで埋め尽くされていた。しかし、今は警戒一色に染め上げられている。子供の喧嘩に大人が入り込んでしまったような。そんな理不尽に苛立っているようにも見えた。

「これは俺と柴田の問題だ。無関係のお前がしゃしゃり出てくるんじゃねぇ。まさか生徒会長様がいきなり他校の生徒に喧嘩吹っ掛けたりしねぇよなぁ?」

「ほほう……お前の言う通り俺が出張る理由は無いな。アンモラルとはいえ、賭け行為自体はフェアだし、理由なくぶん殴るわけにもいかない、と……」

「あぁ、そう———」

 加納が警戒を緩めた一瞬、

 ボッ! と木場の蹴りが加納の顔面の横の空気を切り裂いた。

 一拍遅れて飛び退くのを確認した木場がすぐさま踏み込んで襟首を掴む。

「お金、返してくんない?」

「くっ……!」

 横なぎに振るった拳を難なく躱し、木場は続ける。

「グローブ紛失、バッシュ紛失、今日だけで生徒の私物の紛失相談が8件もあった」

「……あ、それって……」

「あぁ、柴田くんのクラスメイト、内田くんのラケットが無くなったのも含まれている……。おかしいよな、いくら一般観客が来る二日目といっても昨日までゼロだったのに急にこんなに増えるなんて……誰かが故意にやっているとだと考える方が自然だ」

「それが何だ、あぁっ!」

「どれもゴミ箱の中、自販機の上、トイレの個室などで発見されたそうだ。隠したいならもっと適した場所はあるし、試合を妨害したいなら壊してしまえば良い……。どれも中途半端で本気とは思えないよなぁ…………」

「……だからどうした」

「穏便かつ平和的な方法で教えてもらったよ、工業生にな。全員言ってたぜ………………加納に言われて仕方なくやったって」

「⁉」

「どこがフェアな賭けなんだ、えぇ? 胴元が思いっきり妨害工作をしかけてるよなぁ」

 再度、木場がにじり寄る。

「ふ、ふざけんなっ! どうあれ、テメェのクラスは負けたんだ! へ、へへっ、そうだ! 今お前がやろうとしてんのはただの八つ当たりだ! 俺は何も悪くねぇ!」

 狂犬が子犬へ、札付きの不良の迫力はすっかり消え失せ、残ったのは怯え、震えるただの少年の姿だった。

「この際、うちの生徒に迷惑をかけたことは不問にしてやっても良い……証明のしようもないしな、そこで! もう一度だけ聞く……。俺の十万返してくれる?」

「だ、誰がてめぇの———ぶっ———」

「昔からそうだったな。空手教室、学校のテスト、体育、クラス委員、何かにつけて俺に対抗してきたよな。尊敬と同時に嫉妬を集める俺にとって、何度潰しても向かってくる存在は貴重だった。多分、あの頃の友達って呼べる対等な存在はお前だけだったように思う。でも、中学に上がってからは疎遠になった。成長と共に仲良しグループが変化するのは当然のことだけど、俺は少し寂しかったよ。」

 暴力の嵐だった。

 右の回転蹴りに見せかけ、モーションの途中で膝を曲げると、つま先を人中へ叩き込む。体勢を崩したところへ飛び膝蹴り、突き出た顎にアッパーカット一閃。

 何だか二人にとって重要なことらしいが、柴田の目には血しぶきと絶叫が渦巻くスプラッターな光景にしか見えない。

「お前が悪さをするようになってしばらくした頃、久しぶりに二人で遊んだよな? あれからもう何年だ? こうやってまたお前と話すことができるなんて思わなかったぞ。経緯はどうあれ、昔に戻った気がして嬉しい」

(絶対普通の遊びじゃねぇ! 殺し合いだろ⁉)

 木場の想いが加納に届くことは無い。近くにいるだけでプライドが傷つけられる加納。本気の勝負を遊びとしか考えていない木場。ほんの少し聞いただけでも、この溝が決定的であると分かる。

「俺はただの高校生だ。金持ちってわけじゃねぇ……。成り行きで賭けちまって悪いんだけど、ちゃんと全員分の金、返した方が良いぞ。お前も悪さしたんだし、ここは痛み分けってことで」

(どこが痛み分けだよ。一方的じゃねぇか……)

 まるで風呂場の汚れを考え事でもしながら落とすように、作業的な暴力は続いた。

 殴り、蹴り、打ち、突き、掴み、捻る。バリエーション豊かに技が決まり続け、加納はあっという間に血だるまのボロ雑巾になった。

 おかしな方向に折れ曲がった鼻。口の端から粘性の高い血を垂らし、目ははれ上がり、元の顔が分からない程だ。

「ぅ…………くそっ……」

 加納は内ポケットから封筒を取り出した。茶色の封筒にはそこそこの厚みがある。

 木場は丁度10枚引き抜くと、白い歯を見せた。

「また遊ぼうな!」

「……に、二度とやるか……バケモン……がああああああああ!」

 封筒の裏に銀色に光るものがあった。

 どこまで行っても高校生の喧嘩。重大な事件や深刻な怪我など起こるはずがないし、実現させてはいけない。そこまでやらないだろう、というラインを加納は軽々と踏み越えた。

 木目の柄から伸びる銀色の金属。刃渡り10センチほどの折り畳みナイフ。

 加納は素早くそれを掴みなおし、躊躇いなく木場の腹に滑り込ませる。


 瞬間、時間が止まる。


 身を低く沈めた木場がナイフを握る加納の左腕を掴み、空いた方の手で拳を作った。

 密着するほどの至近距離で怪物が嘆く。


「———本当、残念だよ」


 木場恭平の拳が加納の顔面に深く突き刺さった。

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