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第八話

「い、いやーちょっとなー水飲もうと屈んだら一撃よ、まいったねどうも」

「いや、水分補給じゃなくてタバコですよねそこらに散らばってますよ?」

 松尾先生はバツが悪そうに顔を背けた。

 落としたタバコを拾おうとしていたらしい。握りこまれた左手の中にはくしゃくしゃになったタバコの箱が見える。

「敷地内禁煙だから、ね?」

 しー、と静かにしてというサインすら作れず土下座の体勢のまま中途半端に人差し指を立てる。

「あーなるほど……喫煙者の先生方はどこで吸ってるのかと思ってたら車の中だったんですね」

 教職員用の駐車場には当然ながら大人達の車が停まっている。校門を正面とすると裏側に位置しているため生徒たちには縁がない場所なのである。加えて、車内という個人的なスペースで喫煙する分にはあまり学校に迷惑がかかっていない。学校側も黙認しているのかもしれないなと柴田は勝手に納得していた。

「そ、そんなことはどうでも良い! ちょっと手ぇ貸してくれ!」

 顔を真っ赤にしながら怒鳴る松尾先生。

「貸すって言ってもですよ……どうするんです? 歩けないですよねその感じだと……保健室の先生呼んできます? あ、体育の先生も呼んできます? まだそこら辺にいるんじゃ」

「だ、だめだ!」

 大きな声が腰に響くのか声にならない短い悲鳴をあげる。

 柴田は髪をかき上げながらため息をつく。

(どないせぇっちゅうねん)

「……なんでです」

「い、いやその……な」

「?」

「こんな格好で助けてもらったら、照井ちゃんに恰好付かない……あいつに貸しを作るのも嫌だ……」

 何やらゴニョゴニョ言う小松先生に首をかしげる柴田。

「え? なんですか?」

「笑われるじゃないか……生徒に! 今は何でもスマホで撮って拡散されてしまうし、そうなったら俺はずっと生徒にうっすら馬鹿にされ続けるんだぞ⁉」

「いやだから生徒じゃなくて先生を」

「あぁ! 痛い痛い痛いいいぃぃぃぃぃ……」

 掠れた叫びにどこか演技臭いものを感じる柴田だが、ぎっくり腰なのには違いなさそうなので何も言えない。

 正直なところ、このまま放置したら面白いんじゃないか、と悪魔的な考えも脳裏に過ぎったが相手は担任教師。無下にもできない。

「じゃあ、どうすればいいんですか……」

 しばしの沈黙があった。尻を突き出した恰好の教師(笑)はやがてぽつりと呟く。

「……んで、れ」

「はい?」

「運んでくれ」

 身長は170センチそこそこだが体重百キロは軽く超えていると見える。たっぷり蓄えた腹肉がシャツを盛り上げ、突き出した尻は今にもスラックスを突き破って露わになりそうである。無理ゲーだ。

「無理」

「できる!」

「無理無理!」

「できるできる!」

「ぜぇったい無理!」

「お前ならできる! 絶対できる、うっ…………!」

 いよいよ体力も尽きてきたのか真っ赤だった顔面が青くなってきた。

「いやいやいや! 絶対担架とか要りますって!」

「担架は二人必要だろ! アホなのか⁉」

「助けてもらう分際でこいつっ!」

「ウソウソ! ごめん、口が滑った! 見捨てないでぇ」

 マジで踵を返しかけた柴田。しかしそのタイミングで松尾先生は言う

「自販機でジュース買ってやる……」

「ジュースぅ?」

 潰された虫を見るような目で松尾先生を見下ろす柴田。

「ほ、放課後コンビニでアイス!」

「アイスねぇ……」

 ふぅん、と柴田は指先を顎に当てる。

「期末テストの出題範囲!」

「それは期末が近くなったらどうせ発表するやつですよね?」

「ぐっ……じゃ、じゃあテスト問題の引用元の参考書!」

「よっしゃ!」

 教師としての意地なのか答えを教えるとは言わなそうだった。もう少し揺さぶってみてもよかったが、流石に良心が痛むのでこの条件を呑むことにする。

「分かりました、約束守ってくださいね」

「頼む……保健室まで頼む……今の時間照井ちゃんいないはずだから」

「照井ちゃん⁉ 何の話です!」

 言うが早いか柴田は松尾先生の目の前で背を見せてしゃがむ。

「足上げようとすると痛みますから、まずは何とか腕の力だけでしがみついてください」

「頼もしい……んっ! んごおおおぉぉぉおおお!」

 柴田は昔見たゾンビ映画を思い出していた。負傷した恋人を背負った瞬間、彼女はゾンビ化し、そのまま暗闇に引き摺りこまれる衝撃のシーンだ。自分とそのキャラが被っている気がしたが、今背負おうとしているのは恋人ではなく汗まみれの小太りおやじである。どっちがマシだろう。

 豚のような叫びに鼓膜を叩かれながら立ち上がろうとするが、上がらない。

 松尾先生の腰から下はだらりと力なく地面に伸びており前足、もとい、腕が背後から首を絞める形になっている。

「ごっ……ぶうぇ……っ!」

 チョークスリーパーを決められながらも無理やり上体を前傾にする。背中と胸は密着できた。あとは足かスラックスの端でも掴んで立ち上がるだけだ。

 ぎっくり腰患者にとってもこれは相当辛い姿勢である。松尾先生は痛みを逃がすと言われる妊婦のラマーズ法の呼吸を使いながら無言のまま耐えている。

 いよいよである。

 リレー練習で疲労した体に今一度気合を入れる。

 ちぎれそうな筋肉と軋む骨を無視して柴田は立ち上がる。

「おおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおお!」

 一瞬も力を緩められない。一歩、また一歩と慎重に歩みを進める。極力振動が松尾先生に伝わらないように静かに着地する必要がある。痛みで身じろぎされれば落としてしまうし、下敷きになるのは柴田自身だ。緊張の糸を張り詰める。

松尾先生のオーダーはあくまで目立たぬようにこっそりと保健室まで運ぶこと。休み時間に突入すれば生徒たちが廊下に出始めてしまう。4限終了のチャイムまであと2分を切った!



多目的教室A

 内田との卓球ダブルスの練習は練習にならなかった。他クラスのペアとの試合は圧勝。1セットも取られないどころか1点のミスもない完全試合もあった。理由は単純だ。内田が強すぎるのだ。多少のミスをしようがその全てを内田が完璧にカバーする。相方が完全な素人でも結果には影響ないだろう。

 三橋流華は隣に立つ内田に掌を向けた。

「うぇい! 完勝お疲れ!」

「あ……う、うん、お疲れ様」

ちょん、と内田の指先が控えめに触れる。

「ちょ、何それ~、逆になんか恥ずかしい!」

「ご、ごめん」

 ひとしきり笑った後、汗を拭きながら何気なく窓の外を見た。教職員用の駐車場と水飲み場がある。

 流華は目を見開いた。はじめ巨大な芋虫のように見えた。が、人が倒れてうずくまっているのだと分かった。

「や、やば…………え」

 直ちに体育教師に報告しなければと思った瞬間。そのうずくまった影はその姿勢のままゆっくりと移動し始めたのだ。本当に芋虫が這っている様だった。

「は⁉」

 流華は更に大きく目を見開いて驚愕の声をあげた。何事かとその場にいた生徒の視線が集まる。

「なに~どしたん?」

「あれあれ!」

 他クラスの友人が集まってくると流華は窓の外、下の方を指差した。

「え⁉ 松尾じゃん! 何してんのおもろ~w」

 何者かにおんぶされて搬送される松尾先生。確かに面白い。が、流華が指をさしたのは松尾先生を背負っている方だ。

「シバケン本っ当おもろ~!」

 流華はジャージのポケットからスマホを取り出しカメラアプリを起動させた。

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