第六十九話
6×400の2400メートルリレーは正式な陸上種目ではない。西高は一学年6クラスであり、それに合わせて作られたのが、この学年対抗リレーである。正面スタンドからスタートし、400メートルのコースを丁度一周し、スタート位置に戻ってきたところでバトンを渡し、次の走者が走り出す。
正面スタンド客席ではスタート、バトンパス、ゴールの全てが目の前で見られる為、体育祭の目玉となっている。
スマホのレンズを向けて、かけ声を繰り返す観客、風にはためく応援旗、どこかで指笛を鳴らす音が聞こえる。
日が傾き始める午後4時過ぎ、浮雲が空高く流れている。真昼の初夏の熱もおさまりかけ、清涼な風が吹くトラックフィールドで最後にして最大の戦いが始まった。
スターターピストルの火薬が炸裂したと同時、第一走者が飛び出していく。
『第一走者が、今! スタートしました!』
実況の声が響くと歓声も一段階大きくなる。
「ペースなんざ考えんな! とにかく全力で走れぇ!」
「後半でバテるんじゃ……」
「抑えたスピードで走ってもどうせ後半にはバテる。なら、はじめっから全力疾走した方が得だ。少なくとも俺はそう教わった。どうせ陸上経験者じゃねぇんだ、難しいこと考えるよりも死に物狂いで走った方が良いだろ?」
「ま、まぁ一理あるかもしれないけど……俺は俺の走りをするからね?」
「あぁ、赤井はそれで良い」
柴田の咄嗟のアドバイスを聞いてか聞かずか、1年生の一走は快調に飛ばしていく。
同時に走るのは3人と少人数の為、内レーンと外レーンの距離差の有利不利など細かいルールは存在しない。とにかく他の選手よりも早く走れ、という脳筋仕様だ。
柴田と赤井が陸上理論について話していると走者はあっという間に向こう正面へ、中盤に差し掛かかった。
400メートル走も厳密には100メートル走と同様。無酸素運動に分類される。だが、走り慣れていない者が100メートルを全力で走る感覚と同じように走れば、途中で潰れることは必至だ。
第一走者は赤井と同じサッカー部。陸上の練習はこの一か月間のみ。元々の運動能力とポテンシャル頼みである。
「お、おぉ! 速い……結構速い!」
3名の差は僅か。時間にしてみれば1秒のタイム差もない。
だが、ゼロコンマの世界で一年生走者が確かに先頭をキープ。
「当然だね。サッカーだって常に走るスポーツなんだ。400メートルくらいのスタミナなら陸上にだって負けないさ!」
「お前、サッカー始めたの高校からで、なんでそんな解説顔できるんだよ! 言うほどサッカー詳しくねぇだろ!」
スタンドに詰めかける全校生徒の大歓声、空のペットボトル同士を打ち鳴らし即席のメガホンにしている者が見えた。クラスの垣根を越え、学年全体での勝利を願う者たちが走者へエールを送り続ける。
「もう少しぃ! 上げろ上げろぉぉおおお!」
柴田も同様だ。喉が張り裂けんばかりに声を出し、疲弊した選手を鼓舞する。
やがて、走者が最終コーナーを曲がり始めた。
必死の形相をした3人が猛然と向かってくる。
中盤からの差はほとんど変わらない。
スタンド前に入り、選手達はラストスパートをかける。
荒い息を繰り返しつつも、最後の力を絞り出す。
加速する力など残ってはいない、それでも一歩でも先へという執念が彼らの身体を動かすのだ。
3名がもつれ込むように第二走者へバトンを渡した。
『差はほとんどありません! ほぼ同時にバトンは第二走へ渡り、駆け抜けていきます! 第一走者の皆さん、ナイスラン! お疲れさまでしたぁ!』
ヨロヨロと倒れ込むのを堪えて、第一走者が柴田達のいる待機列の横に向かっていく。
「お疲れ様! ナイスラン!」
「良いスタートだった! リードも出来たし最高の一走だったぞ!」
お世辞でもなんでもない。柴田は心の底から感謝した。
当の本人は苦悶の表情を浮かべ言葉を発することができないらしい。
荒い息を吐き、精いっぱいのVサインをこちらに向けた。
ドォッ! と、客席の動揺が広がり、悲鳴のような声も混ざる。
続く1年生の第二走者が100メートルを超えたあたりで第一走者が作ったリードを早くも消費し始めているのだ。
「追いつかれるぞっ!」
当然、リレーは一人では勝てない。木場との一騎打ちに集中しようが、その展開に持っていくのは柴田ではない。他の5名だ。
「あいつ、何部だっけか⁉」
「確かバレー部だよ!」
「ば、バレーかぁ……っ、あんまりラントレのイメージねぇな……、もちろん走ってるんだろうけどよ!」
「クラスによって運動部の数にバラつきがあるからね、数少ない運動部だからって理由で代表に選ばれた可能性も……」
彼は決して遅くはない。
ただ、他2名が速いのだ。当然と言えば当然。運動歴が長い年上である。
分かってはいたものの、みるみる消費されていくリードを見ていると胸がざわついてしょうがない。
できるだけ離されずにバトンを運んでほしいところだ。
しかし、
そのままレースは流れ、迎えた最終コーナー。
驚くべきことに、彼は貯金を使い果たしてはいるが、借金まで作ることはしなかった。
『さぁ、最終直線を迎えます! 先頭から最後尾までほとんど差はありません! 団子になって突っ込んでくる‼ 1位は3年生! 2位は2年生! そして1年生が後ろになっています! 皆さん、ゴールはもうすぐです! 頑張ってください!』
「ペース配分だね。ラストスパートの余力を残してたんだ!」
「よし! よし! オッケー……! 何とか離されずに済んでる! このままいけばマジであるぞ!」
一走とほぼ同じ、もつれるように6名によるバトンパスが行われる。
まったく無駄がないスムーズなバトンパスとは言えない。だが、それは全学年同じだった。
4×100リレーと異なり、バトンパスの重要度は低い。その分、個人能力次第とも言えるのだが……。
ともあれ、ここで決定的な差が乗じることは無い。
柴田は遠ざかっていく第三走者に「頼む!」と叫んだ。
「す、すまん皆! はぁはぁ……っぐ、お、思ったより捲れなくて、はぁっはぁっ……」
「いや全然大丈夫! 食らいついただけでも十分なアドバンテージだよ!」
「そう! まだ決定的なリードはされてねぇ! 謝ることないぞ!」
柴田と赤井にそう言われた選手は安心したのか、地面に倒れ込んだ。
100メートル走では中学生でも世界選手権の決勝でも、どれだけ全力で走ったところで、一歩も動けなくなるほど力を出し切ることは不可能だ。だが400メートルは違う。一流のアスリートでもゴール後に座り込んでしまう光景はよく見られる。
未だ第一走者達の息の入りも十分ではなく、足を攣ってしまった人が芝生の上で寝転び、体育教師と養護教諭の処置を受けている。
無酸素運動の限界、それが400メートル走なのだ。
「さっすが運動部だな! 力の出し切り方をよく理解している!」
体育教師が待機列の持ち場を離れたのを確認した木場が近寄って来た。
「そうっすね、普通なら苦し過ぎてどこかで息を入れたり、力を抜いたりしますからね」
「速さはどうあれ、ぶっ倒れる程頑張れるってのは、それだけでかなりのトレーニングを必要とするからな!」
「どれだけ自分を追い込めるかが勝負のカギだと?」
「さぁ……どうかね。頑張ったからって必ず良い結果に結びつくとは限らん。ほれ見てみろ。お前んとこの三走、既に限界が近いぞ?」
柴田が向こう正面の方に視線を送る。
「くっ……離され……!」
1位と2位、2位と3位の差が、徐々に開いていく。
隊列が伸びながら第3コーナーに入っていく。
「練習で走るのと衆目に晒されながらの本番では条件が違うからな。緊張もするだろうし、周りとの距離感に焦ったりもする。そういうちょっとした変化が体力を削いでいくんだ。あの子は少し繊細なタイプかな。大歓声に押されて、序盤で出し尽くしちまったんじゃねぇの?」
両手で丸を作って双眼鏡のようにしてランナーの方へ向く木場。
「逆のパターンって人もいるでしょうよ」
柴田が皮肉っぽく口の端を上げた。
「本番の緊張感がマイナスになる奴もいれば、プラスのエネルギーに変換できる奴もいるってことっすよ」
柴田の肩に触れ、赤井もそれに同意する。
「ちなみに、俺もそのタイプです。応援の声が大きい程燃える性質です!」
一瞬、きょとんとした木場。
すぐさまニヤリと笑い、
「本当、可愛い後輩どもめ♪」
そして柴田は身震いをした。
(自分自身、後者だとは言い切れねぇんだが…………。まぁ、精々カッコつけてやるさ。約束したからな)




