第六十八話
体育祭もいよいよクライマックス。直前で木場の煽りメッセージが流されたことも重なり、盛り上がりは最高潮に達している。3年生対1年生というシンプルな構図は生徒達を熱狂させるには十分だったようで客席の熱気は離れた場所に立つ柴田の肌にも伝わってくる。絶え間なく叫ばれる応援の中、競技が始まる。
『第一走者、B組、浅田啓介くん!』
選手紹介が始まった。
呼ばれた選手が手を振り、客席が声援と拍手を送った。
正面スタンドに人がぎゅうぎゅうに詰められ、歓声が上がるとかなりの迫力になる。
「……」
6×400メートルで行われる、学年対抗リレー。最終競技とあって進行役の声にも力が入る。毎年、体育祭で最も盛り上がるのがこのリレーであり、運営もそれを理解しているのか、選手紹介も丁寧に行われる。
各クラスから選抜された学年を代表する6名の走者が横一列に並び立つ。皆、何らかの運動部に所属するフィジカルに自信のあるスポーツマンで、紹介されるたびに大きな声援が飛ぶ。
「……」
次々と名前が呼ばれ、自分の番が近づいてくる様子を柴田は横目で確認する。
足裏にあるはずの地面の感覚が無い。冷たい掌に汗が滲む。喉が渇き、息が浅い。
何よりも鼓動が煩い。騒がしいはずの客席よりも自分の心臓の音の方がはっきり聞こえる気がした。
やはり、自分は何も変わらない。
開き直った様でも直前になって緊張し、不安で頭がいっぱいになる。今にも逃げ出したくて、どうしてこうなる、と後悔すらしている。
だが、
『第五走者、E組、赤井颯太くん!』
ひと際大きな歓声に耳を傾けつつ、柴田は地面を思い切り蹴りつけた。
(痛ぇ……)
衝撃が脛に伝わる。食いしばり過ぎて奥歯が痛い。氷のような掌に手首を当てると意外なほどに温かい。
一度、深く息を吸い込んで吐き出す。そして、一歩前に出た。
『最終走者、A組、柴田健星くん!』
背筋を伸ばし、胸の位置を高く、顎は少し引く。
柴田はA組のいる辺りを見て手を挙げた。
「うおおおおおお! 頑張れ、シバケーン!」
アンカーだと言うのに先に紹介された赤井よりもやや控えめな歓声。だが、A組の、彼らの声は肌を震わせるほど大きく響く。
柴田は人差し指だけを突き立て、歓声の方に向けた。
「約束守れよー! 絶対一着だぞー!」
「ぶっちぎれええ!」
「勝てば総合優勝!」
誰がどの言葉をかけてくれているのかは分からなくても、関係ない。応援とはそういうものだ。
何らかの言葉を発しようかとも考えたが、結局、柴田はそのまま手を引っ込めて元の位置へ下がった。そして、そっと目を閉じる。
上手く言葉にできそうもなかった。気の利いたセリフの一つでも残してやろうと思ったが、木場の様にはできないと思った。無理に口を開けば意味不明な叫び声を上げていたかもしれない。
積極的に思い出したくもないのに、思い浮かぶ景色があった。自分の感情を整理させようと脳が意思とは無関係に思い起こさせる。
この光景、観客の声、期待、プレッシャーがあの時と重なる。
中学の陸上部を辞めて二年。間違えた自分は独りぼっちになった。噂話に好奇の視線、腫れ物に触れるような態度。不信、怒り、焦り、後悔が渦巻き、逃げるように遠くの高校に進学した。以来、駅で見かけることはあっても、かつての同級生と話すことは無い。
(本当、何の因果だよ)
逃げて逃げて、見ないように、触れられないように、思い出さないようにしてきたはずが、今、柴田が立っているのはレーンの上。逃げまくった先がぐるりと回って同じ場所とは……。
係が第一走者に白いバトンを手渡した。こんなところまで同じかよ、と心の中で呟く。
『最終走者、C組、木場恭平くん!』
たちまち洪水の如き大歓声に地面が揺れる。生徒だけではない。保護者、そして他校の学生と思われる男達も歓声を上げている。
わずか一クラス分の期待でも柴田には重荷だというのに、一学年分の期待、あるいはそれ以上の期待を背負って尚、木場は涼しい顔で客席に手を振る。
『なんと言っても注目は3年生対1年生! この学年リレーは各クラス全てに得点が入ります! 現在1位は3年C組、2位は1年A組となっており、もし1年生チームが一着になればA組がC組を抜かし、総合優勝となります! 皆さん、張り切って応援しましょう!』
競技が始まればこうして考えることもなくなり、この一か月の悩みの結果があと数分もしない内に終わるだろう。
「………………はぁ」
柴田は改めて思う。
きっかけが無ければ始まることすらなかったはずだ、と。
あの日、英語の授業だったはずの6限目。体育祭の出場種目決めの時間。
友達もおらず、周囲の目を気にしていた頃。強制的に背中を押したのは流華だった。迷惑で疎ましいとさえ思っていた彼女。しかし、それがきっかけだった。
それから流されるがままにリレーを引き受け、また一人で過ごすのかと落胆した。
なんだかんだと気にかけてくれた山川と長谷川。秋穂とミッコ。
決起会のファミレスで男子達と騒いだ日。その後、最悪な目にあって、それは今でも続いているが、あれがあったおかげでクラスメイトとも打ち解けられた。
自分の失敗で周りから人が離れていくのが怖かった。
期待を裏切り失望させる自分が許せなかった。
そして、かつての過ちとは何だったのか。この一か月をかけて少しずつ分かってきた。
それは、自分が恥ずかしい程に子供だった、ということ。
勝手に期待し、持ち上げておいて、トラブルが起これば、話も聞かずに自分から遠ざかっていく者たちを裏切り者のように捉えていた。自分は被害者で間違ったことは何もしていない。かつての自分はそう考えていた。
だが、なぜ彼らは遠ざかって行った?
先輩が怖かったから? 周りの友達も避けていたから同町圧力で?
確かにそうかもしれない。一面的には正しいのかもしれない。
では、翻って、自分は何をしていた? 柴田健星はその間、何をしていた。
お前は何もしなかっただろう?
遠ざかる友人の態度にショックを受け、腹を立て、「誰も分かってくれない」と初めから決めつけ、誰かに理解してもらう事を諦めた。幼児のように唇を尖らせ、いつまでもふてくされ、コミュニケーションを断ち切ったではないか。
それこそが過ち。彼の失敗だ。
あの時、繋ぎとめていれば、その努力をしていれば今とは違う現実になっていたのかもしれない。意味のないIFだが。
柴田が目を開ける。瞳に映るのは1年A組のクラスメイト達。
1年A組の彼らがかつての同級生達と比べて優しいわけではない。きっと似たような状況になれば、彼らも柴田から遠ざかっていくだろう。
それを踏まえた上で柴田は、今、思う。
(今度は間違えない)
ボウリング場で男子達に事情を話した。バレーメンバーに過去の話を打ち明けた。そして友人らを頼り、協同した。
少し前の自分では考えられない、自分らしくない行動だ。孤独な自分を正当化する自分らしくない。
柴田健星はどうしようもない恰好つけたがりだ。変えられない癖だ。だが、それは決して孤独であり続けたい、と願っているわけではないのだ。
友達に頼っても良い。相談しても良い。誤解が生じたときは「誤解なんだ!」と叫んだって良いのだ。それは全然恰好悪くないのだから。
今更だ。もう随分と前から気づいていたような気もする。
「木場さん」
アナウンスに従い、第一走者がスタート位置に着く中、柴田は木場の方へ向かう。
「おー柴田くん! 無理なお願いだったのに聞いてくれてあんがとな! 勝った方が総合優勝って場面で、お互いのクラス代表者がアンカーで激突、くぅううう! 燃えるなぁ⁉」
「木場さんは……後悔、ってしたことあります?」
「お?」
「いつも自信に満ち溢れてるみたいっすから、そういう経験、したことあるのかなって」
「ふふふ……」
「?」
「ねぇよ!」
きっぱりと言い切った。
「俺は常に全力、常に最善だと思う選択肢を選び続けている! 失敗した時は反省する。反省はするが後悔はしない! んなもん、クソの役にも立たねぇ! 柴田くんもそうだろ⁉ 俺と同じ匂いがすんぜ!」
「俺は…………いや……そうっすね……」
やはり木場はブレない。異常なほど自己を確立している。
(クソ、腹立つくらいカッコいいな……)
分かった。
『全部』分かった上で、柴田は、
これまで以上に格好つけることに決めた。
「じゃあ、今日初めて後悔することになるっすね」
「いやもう、柴田くん。お前…………、本っ当最高だわ!」
競技場に号砲が鳴り響く。




