第六十一話
一緒にコートへ戻るのも妙な気がして、木場から遅れること数分。ベンチに戻った柴田が苦笑いを浮かべた。
「シバケン、おかえりー。秒で終わらせるからそこで見てて」
山川が自信に満ちた笑顔を向け、他のメンバーも「おかえりー」と言った。
すっかりコツを掴んだ長谷川のサーブがサイドライン際に突き刺さり、ボールに触れることも無く見送ってしまった相手選手が苦い顔をして天井を仰ぐ。
笛が鳴ったと同時、歓声が爆発した。
プレー中はあまり気にならなかったが、一度離れてから戻ると、賑やかさと熱狂ぶりに驚く。
(俺はこんな中でプレーしてたのか……最終セットってこともあってさっきより人数も増えてるんじゃ……)
第4セットが終了した。つまり次が最終セット。第2セットを大幅リードされた状況で抜け出した柴田からしてみれば、混乱してしまうほどの接戦ぶりだ。
木場が出場していないとしても相手は3年生。よくここまで持ちこたえたものだ、と素直に感心した。
「血は止まったみたいだね」
「あぁ、腫れてもいないしもう大丈夫だ。それより、木場は……」
相手ベンチを見やると、木場はドリンク片手に談笑している様だった。
「シバケンが抜けた後、なんでか引っ込んでそのままー。戻って来ても試合には出てこないんだよなー」
「そうか……」
柴田は顎に手をやり考える。
(言った通り、俺が出なきゃあいつも出てこないのか……。現状、木場を抑えこむ手立てはないし、俺が出ないことで相手チームの攻撃の要がいなくなるなら、いっそこのままこいつらに全てを任せた方が良いのかも……)
相手チームは矛を失い、自分たちは盾を失う。残された者たちが裸で殴り合い、勝敗は運任せ。2セットずつの良い勝負をしているのだから、それが現実的な作戦という気がしてくる。
目指すは総合優勝。木場には悪いが『次期生徒会長』なんて玉座に興味は無い。試合から逃げた臆病者と木場に失望されても問題は無い。
問題は無いのだ。
「……ちっ」
だというのに、胸がチクリと痛むのはなぜか。
大した傷でもない、指のささくれが無視できないストレスになっている、と気づいてしまったように。不快な想いが腹の底に溜まっている。
(バカじゃねぇの。生徒会長だとか、イベントが盛り上がるだとか……。んなもん、アイツの願望じゃねぇか! 勝手に期待を押し付けてんじゃねぇよ…………クソッ……)
頭の中で言葉にして気づいてしまう。
期待。自分は木場に期待されている。
期待に応えたい。だってその方がカッコいいから。
そういった考え方をしていたから、いつも面倒なことになってきた。
柴田は一人、首を横に振る。
もう御免だ。調子に乗ってできもしないことを安請け合いして、良いことなんて無かったじゃないか。
間違えるな、体育祭の目標は総合優勝だ。ささくれを無視して柴田は立ち上がる。
すると、ドリンクを置いて息を整えた仲間たちが何気なく言った。
「いやー、シバケンが戻ってきてくれて良かったー。最終セットは木場さんも出てくるし、そうなると止める奴がいないもんなー」
「怪我して途中退場じゃ、勝っても後味悪いしね」
「そもそも、バレーに誘ったの俺たちだしなぁ。怪我までさせちゃってごめんな!」
「はっははは! 工業にボコられるより先に会長にやられるとは思わなったけどー」
「それな! つーか忘れたわ! そうじゃん、勝たないとシバケンが危ないんだった! まぁ、シバケンが戻って来たならイケるっしょ、理論値だそうぜ、理論値!」
「それフラグじゃん? ま、気負わずやろう。得点は言い出しっぺの俺たちが取るから、シバケンは守り、頼む」
「お前ら……」
言葉に詰まる。
自分は出場しない、と、ただそれだけ言えば済むのだが、自分の意志に逆らうように唇がブレーキをかけて、発言を許さない。
時間は待ってくれない。
2分の休憩は逡巡する間に過ぎ去る。
結局、言えなかった。
空気が読めない奴だと思われたくない、とか、そんな理由ではない。ただ、道理ではない気がしたのだ。
純粋に体育祭を楽しみ、自分と共に勝つ気でいる彼らに「あとは勝手にやっておいてー」などと水を差す冷めた言葉を、一体誰が言えるだろうか。
そんなことが言える奴は『ダサい男』に違いないだろう。
柴田は一歩踏み出し、チームメイトの輪に加わる。
「俺の力が必要なようだな」
「おっほ~! やる気やん⁉」
柴田は親指を自分の方へ向けて、
「何の為の補欠だ? 俺を参加させたこと、後悔はさせねぇ」
自然に口が動く。
損な性格だと、こんな自分は嫌だと思った。
でも、ほんの少しだけ、
柴田はそんな自分がかっこ良いとも思ってしまっている。だから変えようとしても変わらない。当然だ、根っこの方で、変わろうとしていないのだから。
(俺は……)
そこまで考えてようやく、そして今更に、自分のことを少しは理解できた気がした。
木場を軸に据えた圧倒的な攻撃は相変わらず脅威だったが、それでも1年生男子は必死に食らいついている。こちらの攻撃パターンが決まる場合は少なく、相手のミスによる得点がほとんどではあるものの、柴田達の連携とボールコントロールの技術は一枚上手で、ラリーを繋ぐことで引き離されずに済んでいる。
ボン、と大きく鈍い音がする。相手のレシーブミスによってボールが大きく弧を描きネット際までやってきた。
「任せろ!」
叫んだ柴田が助走なしで飛び上がり、自陣までやってきたボールを力任せに叩く。
ベチン! と、お世辞にも上手いとは言えない柴田のダイレクトスパイクが決まった。
スコアボードの数字が追加される。5対8。
「ナイス!」
パン! 仲間とのハイタッチにも力が入る。
痺れる程の勢いだが、心地よさがあった。
「よっしゃ、決めたれ長谷川!」
「はいよー」
サーブ権が移動し、長谷川がサービスゾーンに下がる。
長谷川が打つまでのわずかな時間。会場が静かになる一瞬。
柴田と木場の視線がネット越しにぶつかる。
木場は笑みを絶やさない。だが、いつものふざけた調子ではない。木場は唇を舐めると、
「行くぞ……」
言葉が柴田の耳に届いた瞬間、長谷川のサーブが打ち出された。
鋭いサーブがネットギリギリのところを通過する。
しかし、相手の後衛の正面。フルセットで長谷川のサーブを受け続けた選手は、既に慣れてしまっているのか、落ち着いた動作で拾い上げる。相手セッターが滑るように移動し、ネット際に優しくトス。
瞬間、柴田を含む前衛3人が同時に動く。トスが上がったのは木場がいる方だった。
既にボールコンタクトは2度目。フェイントは無い。
万全の態勢で男たちが飛んだ。
「ぐ……っ……!」
時間にしてみれば1秒に満たない一瞬。だが、目の前のこの男は永遠と錯覚するほど、長く、そして高く飛ぶ。背中から膝裏にかけて反らせた完璧な姿勢はそこから繰り出される圧倒的な威力を想像させる。
3人は覚悟を決めた。
「っっっしゃあっ!」
木場が叫んだ。
強烈なスパイクは3枚の壁を粉砕し、柴田の指先を弾き飛ばすと、ボールははるか後方の壁に激突して、ようやく動きを止める。
笛の音が響いた。
「厳しいな……3枚でも正面突破かよ」
苦々しい表情の山川。
「とにかく徹底的に木場以外を崩すぞ。最終セットは15点先取だから、一度流れを掴んだら勝ちだ」
「そ、そうだな! よっしゃ、繋いで繋ぎまくるぞ!」
「「「「「おう!」」」」」
気合を入れなおす一同。
ローテーションにより、相手サーブは木場に。
「っし!」
当然の如く、ジャンプサーブを繰り出してくるが、厳しいコースではない。
それでもかなりの勢いがついており、味方後衛がなんとか拾い上げる。
追いついている長谷川が声を張る。
「シバケン!」
長谷川がトスを上げると同時、柴田が踏み切っていた。
少し遅れて、反対側前衛の山川も踏み切る。
「フェイント!」
木場が指示をするも、既に他の者は柴田の動きにつられている。
バックトスが山川の直上へ。強烈なスパイクが相手コートに突き刺さった。
「おっしゃあああああ!」
山川の背を叩いて労い、長谷川にも声をかける。
「ナイストス。バレー部並みじゃねぇか。次の機会があった時は俺にも上げてくれ」
「え、シバケン、アタックなんてできないじゃん」
「俺が攻撃できないってことバレるわけにはいかねぇだろ? 形だけでも『俺』っていう攻撃パターンを意識させておかねぇとフェイントにならない、と思ってな」
「はっは、なるほどね……。おっけ、でも次のプレーは交代だよ」
「あ、サーブ俺かよ……」
柴田とて相手コートに入れるだけのサーブならできる。だが、サーブ権の重要度が増すこの局面で、サーブに不安がある選手を無理に使う必要はない。審判に交代を告げ、柴田はベンチに引っ込んだ。
「頼む」
「あいよー」
チームメイトと短い挨拶を交わして水を飲み、改めて木場を見る。
(正直、手の内のほとんどを見せつくしたって感じだな……、フェイクセットにクイック……見よう見まねでなんとか誤魔化してきたけど、もうそんな小技じゃ通用しなくなってきてる……。しかも俺がアタックする攻撃パターンが無いことも木場なら分かっているはずだ……)
それでもここまでやってこれたのは、秋穂の指導の賜物だろう。彼女の豪快なサーブやア
タックに慣れていたおかげで連携を保っていられたのだ。
だが、その反面、攻撃に関しては引き出しが少ない。フェイクセットもクイックも付け焼き刃だ。決定力の差。それが最終セットのこのタイミングで現れてしまっている。
「考えてもしゃあねーけど……」
頭を捻って、絞って、今のこの状況。もう出せるカードなどなければ、都合よく必殺技を隠しているわけでもない。
できることは何か。
まだ、やれることが残っているはずだ。
詰み、の二文字を意識して脳から追い出す。
最後まで、自分たちにできること。
疲れきった頭を回転させ、柴田は一つの回答を出した。
「おら山川ぁ! 全然飛べてねぇぞ、疲れたんか⁉ 俺と変わるかこらぁっ!」
それは最後まで諦めないこと。
柴田は叫んでから少しだけ笑う。
バカみたいだ、と自分でも分かっている。甘っちょろい綺麗な気持ちが自分の中にあったのか、と笑ったのだ。
それでも、
それでも、それしかない!
自分と自分たちに残されたもの。
それはスポーツ物の創作物において、ありふれていて、やりつくされた感のあるもの。
勝敗を分けるもの。それは体力でもなく、技術でもなく、作戦でもなく、経験でもない。
「『根性』見せろ! お前らぁっ!」




