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第七話

太ももが熱い、肺が破れそう。鼓動がエンジンのようにうるさく耳鳴りさえした。

「はーいお疲れ―」

倒れこみたい気持ちを抑えながら噴き出す顔の汗をTシャツの裾で拭うと、頬に冷たいものを感じた。

松尾先生がスポーツドリンクをこちらに向けていたのだ。

「差し入れだ、まだ涼しいけど水分補給はしっかりな」

「はぁはぁはぁ……あ、あざす」

「全員分あるからな!」

他5名の生徒が礼を言ってペットボトルを受け取る。

「しっかし、柴田本当に速ぇなぁ! 400メートル52秒って運動部並みだろ?」

「はぁ、はぁ……ど、どうすかね……はぁ、陸部なら50秒切るんじゃないですかね」

「まぁまぁ、一位の赤井だって50秒台だ、ブランクあるのに大したもんだよ!」

がっはがっはと松尾先生が笑う。笑うたびに腹が揺れた。

「先生、陸上詳しいんですか?」

「いや全く、学生時代は新聞部だ」

何でこいつがリレーの監督してんだ? 柴田を含めた6名全員が同じ疑問を持った。

「んじゃ、後は適当に流して時間つぶしとけー、一応日陰で見てるけど怪我すんなよー」

のしのしと校舎の陰にある駐車場の方へ歩いて行った。

ふと手にしたドリンクに視線を移す。おそらくこのドリンクは松尾先生の個人的な差し入れだ。1年A組ではなく1年生のリレーメンバーだけに贈られたものだと思う。

なぜ?

監督どころか、教師として怪我がないように見守るという業務でさえ面倒そうにしていた男がなぜわざわざ差し入れなどするのだろう。

不思議に思うも、リーダー(仮)である赤井の号令があったため意識はそちらの方に向いた。

「ということで、先生はあんな感じで技術的な指導は期待できない。まぁ指導があったところで1か月でタイムが急に縮まったりはしないから関係ないんだけどね……とりあえず、俺たち一年生が上級生と戦うために必要なのは個人のタイムよりバトン練習だと思うんだけど、その練習から始めてみない?」

1年E組 赤井颯太あかいそうた。名前から受ける印象の通り爽やかなイケメン。柴田は知る由もないがサッカー部で1年生ながらかなりの腕前である。身長は柴田と同程度だが、細身で足が長くスタイリッシュな雰囲気の優男である。

赤井の提案に異論はなかった。お互いが知らない者同士の6名だが、赤井の堂々としたリーダーシップに早くも信頼の様なものが生まれつつあるのかもしれない。

(すげぇな……これがカリスマか……?)

柴田は素直に感心した。

後の練習は簡単なものだった。バトンパスの基礎を確認しただけだった。テークオーバーゾーンの把握、渡し、受け取りを何度か繰り返すだけ。2400mを通しで一本走ったが、タイムは一本目よりも遅くなったような実感があった。一日に何本も全力で走ることはできないし、もも上げとダッシュ練習をした後だったことを考えても当然の結果だった。

体育教師にサボっていると思われない程度に流しつつ解散の時間まで過ごすことになった。

「柴田くん、俺のこと分かる?」

「え?」

汗を拭く姿すら爽やかな赤井がはにかみながら近づいて来た。

「えーっと、ごめんどこかで会った?」

交友関係極狭の柴田がいくら思い返しても赤井という男に覚えはない。

「いやいや、いいよ! 俺が一方的に覚えてただけだから!」

(やっべー……全然思い出せない! せっかく話しかけてもらったわけだし失礼だよなぁ……どうしよ)

「中学の時に」

「あーそうそう! 陸上だっけ⁉」

「そうそう! 覚えてたんだ⁉」

(あっぶなー)

勘で答えただけである。目を輝かせる赤井を見ると心苦しい。

「話したことないけど、何度か大会で同じ組で走ったよね!」

(覚えてねぇ!)

「あー……そうそう! いつも俺が負けてたけど」

「そうかもしれないけど、綺麗なフォームだなっていっつも思ってたんだよ」

「嘘つけよ、同じ組で走ってて他人のフォームが見れるかよ」

「あはは! 録画で見たんだよ、ブレが無くてすごい体幹だなって思ってたんだ」

「そ、そう」

 自分でも意識していないところを褒められるとどうにもむず痒くなる柴田。

 朗らかに笑う赤井には一切のウソが無さそうであった。

「部活には入ってないみたいだけど、トレーニング続けてたんでしょ?」

「まぁ筋トレは、習慣みたいなもんだから」

「やっぱり、速かったもんね!」

 今日のタイム赤井50秒ジャスト、柴田52秒1。

 こいつナチュラルに人を傷つけるタイプだな、と柴田は確信した。

 ともあれ、リレーメンバーに知り合いができたことは柴田にとって喜ばしいことである。他のクラスメイトはバレーやバスケを楽しくプレーしている時間に一人黙々と走りこむのは正直キツい。話し相手がいるだけでも気楽というものだ。

 加えて、カリスマある人気者であり柴田の実力も認めているのだからこれ以上ない程、仲間としては良い男である。

「でさ、ちょっと聞きたいんだけど……」

 赤井は更に一歩こちらに近寄って。

「三橋さんの……連絡先とか知ってる?」

 前言撤回。こいつぁ羊の皮を被った狼! 他人をだしにする邪悪だね!


適当にはぐらかしていると体育教師がやってきてリレー組に教室に戻る許可が与えられた。終業の5分前。体育後のトイレのラッシュアワーを考えると早めに汗を処理しておきたかった。幸いにもシューズを入れていたスポーツバッグにはタオルも入っている。グラウンド脇の水飲み場で顔を洗うことにした。

残念がる赤井を引き離して校舎の角までやってきた。

が、そこで奇妙なものを見た。

奥には教員が使う駐車場が見える。その手前、目的の水飲み場の前にうごめく塊がある。巨大な芋虫のようなシルエット。

「し、しばたぁ~……先生こ、腰やっちまったわ~、保健室まで……運んでくれない?」

蚊が飛ぶような呻きを上げていた。

丸々と肥えた体を土下座の姿勢で固定し、脂汗を浮かべた顔をこちらに向けている。5月の気温を考えればそれが暑さに由来するものではないことは分かった。

「ぷりーず」

哀れな芋虫の正体は松尾先生だった。

グラウンドは旧棟に面している。保健室があるのは新棟の一階であり、ちょうど反対側。赤井やその他のメンバーも早々に自分の教室に帰っているだろう。

「どうすっか……これ」


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