第五十四話
まるで時間が加速していくような実感があった。
無論、現実の時間はビデオの早送りのように進むことはなく、常に一定なのだが、次々と消化されていくプログラムを見ているとそんな錯覚に陥る。
つい先ほどまで昼飯を食べながら談笑していたはずだが、気づけば午後2時。体育祭は佳境にさしかかっていた。
けたたましい笛の音が第一体育館に響き渡る。
歓声と拍手が爆発し、柴田達も合わせて叫んだ。
「おめでとおおおおお!」
プレー中とは打って変わり、いつもの柔らかい笑顔で応える秋穂。
小さい身体のどこにそんなバネがあるのか。秋穂は終始、圧倒的な攻撃力を見せつけた。
キャプテンとしてチームを引っ張り、ゲームの流れをも作り出すスター性。普段の彼女からは想像もつかない大活躍だった。
また、活躍したのは彼女だけではない。チームメンバーも素人が多い中で十分な働きをした。ワンマンチームが優勝できるほど団体競技は甘くないのだ。
まさに男子顔負け。現時点で優勝レースに最も貢献したのは彼女たちだろう。
表彰状が渡されるだけの簡単な表彰式を眺めつつ、柴田は胸を撫で下ろす。
「はぁ~……よかったぁ~……」
手すりに身体を預け、ぐったりとした。
「やっぱ秋穂はすごいね。1年生で本当に優勝しちゃうんだから」
「相手チームって総合順位は結構下の方やんな⁉ ってことはこの優勝で結構順位伸びたんじゃね?」
「良かったね、シバケン。首の皮はまだ繋がっているよ」
そんな友人達の言葉も耳を素通りしていく。
時間が経つにつれて、加速度的に重圧が、ストレスが、不安が増大していく。
試合内容を見れば、今の女子バレー決勝は圧勝と言えた。だが、相手に点を取られる、そんな当たり前の攻防一つ一つに神経が削られた。
「内田と三橋はどうなった? ウチの筆頭だぞ」
「うーん、まだ連絡は無いな~。直接見に行った方が早いんじゃない?」
女子バレーは優勝。卓球組も既に上位に食い込んだ。柴田達男子バレーも残すは決勝のみ。
こう並べると、相当強そうに聞こえるかもしれないが、彼らは現時点で3位。その他競技が予選敗退だったこと、そして大縄跳びで最下位だったことが響いていた。
慌てるな、と自分に言い聞かせてみても、落ち着かない不安に変化は無く、ただ応援するだけの時間がもどかしい。
加納の顔がちらつく。
一度会ってからは姿を現さないが、腫瘍のように無視できない存在感を感じる。
どこかでにやけ面を晒し、観戦しているに違いない。
優勝が叶わなかった時、自分はどんな目に遭うのだろう。
考えていると、腹が痛くなってきた柴田。
後で第2体育館に行くと伝え、トイレに急ぐ。
非日常ももう少しで終わる。テンションのラストスパートをかけるように、すれ違う生徒達は高揚している。
思い出を残そうと写真撮影に精を出す者。試合に向けて入念に準備運動をする者。プログラムを確認し、応援に急ぐ者。やり切った顔をして水分補給をする者。
それぞれの形で体育祭を楽しんでいる様だった。だが、柴田ほど深刻な顔をしている者はいない。
自業自得とは言え、何故こんな事に。腹痛か、あるいは後悔か。柴田は奥歯を噛みしめた。
(神様。いつもなら腹痛を治してもらうところですけど、今だけは! 今日という日が無事に終われるようにしてください! もう多少の不幸はどうでもいいんで! どんだけシャーシャーのう〇こにしてもらっても構わないんで!)
角を曲がり、トイレがすぐそこに見える。
だが、それを塞ぐように、男たちが立っている。泥の付いたジャージを着た少年が囲まれていた。
「君さぁ、あそこでフォアボール出すか普通? マジで戦犯じゃん。俺の金返してくれよ~!」
男が言うと、周りの者が笑いだす。
「か、金って何の話だよ」
少年が戸惑っていた。
「お前のクラスに賭けてたんだよ! てめぇ、返せよ」
「そ、そんなの俺にか、関係無いじゃないか!」
「カ、カンケイナイジャナイカ! だって! ウケる!」
見るからに西高の生徒ではない。
(アカン、アカン、アカン!)
そう思った瞬間。柴田の身体は弾かれたように動いた。
少年と男達の間に身体をねじ込む。
「何だお前」
あからさまに嫌そうな顔をする男達。
柴田はジャージの少年の肩を押す。
「ごめんな、行っていいから」
「おい、まだ話してる途中なんだよ。何のつもり」
「うるせぇよ、トイレに行く人の邪魔だろうが」
間接的に自分のせいでジャージの少年は絡まれたのだ。知らないフリはできない。そしてなにより、このままではトイレに行けない。
「加納に言われてないのか? 揉め事起こすなってよ」
柴田はズバリ言った。このカードが最も有効だと思ったのだ。
実際、男達は動揺し、互いに顔を見合わせている。
(やはり、工業生徒。そして、加納は工業でも相当に幅を利かせている!)
だが、
「なんでお前が賭けのこと知ってんだぁ? 参加者は基本的に工業生だけのはずだけどなぁ⁉」
(あ、やば)
「ちょっと、付き合ってもらおうか。加納のとこまで面ぁ貸せや」
あっという間に囲まれた。
トイレは目の前だというのに。
「離せよ。そんなことに付き合ってる暇はねぇんだ。痛い目みないうちに消えろ」
いよいよ限界が近づいてきた。ブツが玄関の戸を叩いている。
しかし、そんな事情を汲み取ってくれるはずもなく、男たちは更に興奮する。
「調子乗んなよ。もうこんなところに用はねぇ。小競り合い起こそうがもう関係ねんだよ」
男の声が低くなり、柴田の胸倉を掴んだ。
ぎゅるぎゅる、と腹がうなりを上げる。
(神はいないのか……あ、いるからこんなことになってるのか? さっきの願いが聞き入れられたせいでこんなことに⁉ 言ってる場合じゃねぇ! 本気でヤバい!)
いっそのこと、この場で開放してやろうかと半ば覚悟しかけた時、
「ふぃ~、どっさりどっさり。お腹スッキリ丸~っと……お? 柴田くんじゃん」
ミニアフロの大男がトイレから出てきた。
「き、木場……⁉」
几帳面にハンカチを折りたたむと、木場は工業生の方へ向き直る。
「どちらさんで?」
さばけた調子そのままで、しかし、眼光だけは鋭かった。
「はぁ? お前こそ誰……」
「揉め事かな?」
瞳だけで柴田を捉える。
柴田は唾を飲み込んだ。
「い、いや……知り合いの知り合いっすよ。揉め事なんてありません」
ヤンキーっぽい男の視線は木場と柴田の間で行ったり来たり。
黙り込んだかと思った次の瞬間に、木場は明るい調子で言う。
「男子バレーの決勝までもう少し時間がありますから、他の競技でも見てお過ごしください」
大きな掌を工業生の肩に乗せた。
「楽しんでいってください」
声とは裏腹なニュアンスが込められているのではなかろうか。
そう思ってしまうほどに奇妙な凄みを感じさせた。
工業の男たちは何か言いたげな顔をするが、舌打ちをして去って行った。
(ともあれ、助かった……)
いそいそ、とトイレに向かうと、今度は柴田が掴まれた。
「大丈夫か?」
ひゅ、と喉が鳴った。
「何の話です?」
「ふふ……いや、何でもない。次は決勝だな? 楽しみだよ」
「そ、そっすね……。お互い頑張りましょう」
肩に乗せられた手がどけられる。ようやく用が足せる。
「家族も見に来てるんだろ。優ちゃんに格好良いところ見せてやれ。家族が来ているからって委縮するようなタマじゃねぇよな?」
個室のドアにかかった手を止めた。
氷ついた体を無理やり回転させて、木場を見る。
「なんで……」
「三橋流華ちゃんだっけ? あの子、柴田くんの恋人か? あの子にもアピールしないといけないよな? はっはっは!」
「は……」
「赤井は惜しかったなぁ! 期待してたんだが……。ま、それに勝った柴田とやれるんだから別に良いか」
嫌な汗が滲む。
手洗い場に腰を下ろしてこちらを見る木場は不敵な笑みをこぼす。
(なんだ。どういうことだ。何で優ちゃんを知ってる? いや、そうじゃない! この件の関係者を的確に……、どういう意味で文脈で言ったんだ⁉ まさか………………脅しか)
木場と加納。その関係ははっきりと分からない。
加納が僅かに見せた動揺と嘘。それを根拠に両者に友好関係はないと決めつけていた。
だが、それは柴田の希望的観測によるところが大きい。
分かっていた。そうではない可能性もまた十分にあるということは分かっていた。だが、それが目の前に巨大な問題として立ちふさがるとは。
木場恭平。
この男のことを何も分かっていなかった。
含みのある言い回しの裏にあるものは分からない。
だが、
「俺に勝つのは無理かもだが……、まぁ、頑張れ。お前も大変そうだもんな。あ、もしお前が」
木場が言い終わるのを待たなかった。
「優ちゃんと三橋は関係ねぇ。手ぇ出したら殺す。加納に伝えとけ」
木場の方は見ずに手洗い場を出ていく。
腹の痛みはもう無かった。




