第六話
5月16日。放課後。
「暗記もまともにやってこないお前らは、これを恥ずかしいことだと認識すべきだ。補習課題は教科書見ながら解答しても良いから早く帰りたい奴はテキパキ進めるように」
高校の授業が始まって一か月経つが、こんな人間がいるのか? と柴田は思う。
世界史担当教師・斎藤正成は如何なる時も表情を変えない。数年前の冬に校舎屋上の雪庇が落ち氷柱が頭部に直撃した時でさえ、血まみれのまま表情を崩さなかったという伝説を持つ。鉄仮面、サイボーグ、ター〇ネーターだとか多くの異名で知られこの学校屈指の変わり者と思われている中年の男性教諭だ。
「受験における地理歴史・公民なんてものは基本的に暗記だ。サービス問題と捉えられる。にもかかわらず、その点数をみすみす逃す者がいるならば、それは最低限の勉強すらしていない愚者であると言えるだろうな?」
とはいえ感情がないわけではないらしく、現に今の説教も嫌な皮肉がたっぷりだ。
コーミン……? グシャ……? と馬鹿みたいに呟く山川を除いて補習生徒は既にお通夜状態だ。
(そういえば昨日、三橋が世界史の小テストがどうのって言ってたっけ)
今日は無駄に早起き&ランニングのせいもあって休み時間はほとんど睡眠に当ててしまっていた。早朝にやるべきは小テスト対策だったのだ。
他クラスの生徒も含めて20人ほどが補習を受けている状態だが見知った顔は少ない。一応、山川がいるが特に親しいというわけでもなく、隣の席に座っているとはいえわざわざ話しかけることもない。シャーペンをカチカチして補習プリントに向き合う。
教科書を見ながら問題の空欄を埋める。内容としては非常に簡単だ。と言っても補習を受けている段階でそんなことを言える立場ではないのだが。
(20分もあれば足りるか)
課題の空欄を順調に埋めていく。答えを見ながら回答している様なものなのだから当然と言えば当然である。
三橋の言ったことを覚えてれば、朝に勉強してきたのに……そういえば三橋は何で俺に話しかけてきたんだろ……友達でもなければ会話らしい会話だってほとんどしたことが無かった。教室に入っても無視することだってできたはず……まさか『同じクラスなんだしそれってもうダチっしょ!』とか言うタイプなのだろうか。リアルで友達百人できるかなの精神を持っているとしたら、あまりの自分との差にショックを感じてしまう。
「……はぁ」
柴田はため息をついた。
放課後に怖い先生に睨まれながら居残り&隣には日焼けした坊主頭の男。こんなことなら昨日、思い切って流華と共に自習室に行けばよかったかもしれない。色気があって可愛いギャルと一緒に勉強会。想像するだけでも素晴らしいシチュエーションだ。
夕暮れの1年A組の教室。昨日、あの時。
思い返すとあの瞬間、自分は少し昔に戻った気がした。
俺ならできるという自信があって、自分に期待していた頃の自分。
ロクに話したこともない女の子で少し苦手なタイプ。すぐに会話を切り上げても良かったのだ。だが柴田はそうしなかった。
彼女と話す時、そしてリレーを引き受けた時。不思議とあの頃の感覚に巻き戻された感覚があった。
(前の俺はそんな感じで……)
今になって思う。結局のところ自信を取り戻したかったのだ。友達を作りたがること、三橋とお喋りしたこと、全ては自信を取り戻したかったが故である。
馬鹿話をする友達がいて、可愛い女子の前では恰好つけて、人から頼りにされる……そんな過去の
自分にどうしようもなく憧れる。
ギャルと勉強会などという実現不可能な妄想をする程度に憧れているのだ。
そこまで考えて柴田は自嘲的に笑う。
(何で三橋と会話することが自信になるんだ、話して嬉しくなるのはせめて栗田さんの方だろ! ふん、あんなギャル全然好きじゃないんだからねっ!)
思わず出た脳内ツッコミ、そのキモさに自分でも嫌になる。
ダラダラと作業と化した回答を終えた頃。課題を提出し教室を後にする者が出始めた。一応、回答を見直し提出しようとした時。
「シバケン……シバケーン、ヘールプッ」
焦った様子の山川が小声で救難信号を発している。
斎藤先生は提出されたばかりのプリントに向き合っていてこちらに気づく様子はない。
「どうした?」
柴田もウィスパーボイスで応じる。
「最後の3問……これ資料集ないと解けないやつ!」
「あぁ……ほら」
厳しい斎藤先生のことだ。私語がバレたら面倒な目に合うのは必至。察しの良い柴田はカバンにしまい掛けた世界史の資料集をコソっと手渡した。
「マジ神! 終わったら返すから待ってて」
「おう」
速やかに席を立ち、課題を提出して教室から脱出する。
窓の外から運動部の掛け声と吹奏楽部の音合わせが聞こえる。
この学校は玄関ロビーを挟んで新棟と旧棟に分かれる形となっている。新棟は通常の受業を行う教室と職員室、事務室などが集まっているのに対し、旧棟は主に移動教室で使われる理科室、家庭科調理室などが集中し、部室もここに集まっている。
遠くから聞こえる賑やかな音は旧棟からのものだ。
静寂に包まれる廊下。柴田は気を逸らすようにスマホの電源を入れる。
待てと言われたら待つほかないので、スマホをクルクル弄び、興味のないネットニュースをスクロールしていく。『この夏トレンド! 校則に引っかからない男子高校生のモテ髪5選☆』『にゅ~バズ! 人気の現役高校生配信者の爆笑あるある!』『見せすぎない夏のJkセクシーコーデ☆』
(どれもこれもどこかで見たような内容ばっか……)
即座に最後の記事をタップする。
いかほどのものか、と僅かに期待感に胸を膨らませ……
「うーーーっす、お疲れぃ!」
「うおぁあ!」
バシンと背中を叩かれ心底驚く。
「はははははは! ええ? そんな強くやってないっしょ!」
「普通に出て来いよ」
「あーおもろー、何、なんか見てたん?」
スマホ画面をのぞき込まれる前に即座にスリープ。この男も中々気を抜けない奴だ。
特に興味もないのか、山川はそれ以上追求せず資料集を差し出してきた。
「ま~じ助かったわ~、あんがと」
「おう」
山川はそのままグラウンドへ直行するらしく玄関まで行先は同じだ。
廊下を歩き始めて数秒無言が続き、何か話した方が良いのかと柴田がモヤモヤしていると、シバケンはさー、と山川が切り出してきた。
「遠くから通ってるんだっけ?」
「そう、電車乗り継いで片道90分かかる」
「うはー遠いなー、あーなんだっけ、流華ちゃんと同じだっけ?」
「三橋か……まあ一応、町は違うけど」
「フーン……しかしそんなに遠いとメイクとか身支度すんのも大変そうだよな」
「はは、確かにいつもバッチリだしな」
「流華ちゃんは中学ん頃どんな感じだった?」
「うーん……目立ってはいたと思う……生徒は少なかったけど接点なさ過ぎて俺は全然……同じ高校になったのも入学してから知ったぐらい」
「ぶはっ、確かにシバケンはストイックそうだしなー、なんか世界観が違う感じ! あ、そうそうそういえばあれ! 昨日のマジ?」
山川は目の色を変えてグイッと一歩にじり寄る。
「?」
「陸上! 全道大会まで行ったとか」
「うん、一応行った」
「それマジですごくね? え、部活入ってないよな? もったいねーサッカーとかなら活かせそうなのに」
「家まで遠すぎるからな、電車の時間とか勉強のこと考えると部活してる時間ねぇんだ」
「あーなるほど……あなるあなるぅ」
「しょーもねぇ!」
「ははっ、ナイス」
笑いながら肘で脇腹の当たりを小突かれた。
「山川はここが地元?」
「そ! ここらでそこそこの高校はここぐらいだからなー、東高は頭良すぎるし工業は治安が悪すぎる、はっはっは!」
「そうなのか……知らなかった」
「工業なんて中退率3割越えだぜ? 暴力事件に万引き、妊娠とかしょっちゅうって話! とにかくヤバい奴らが多いからシバケンも気をつけろよー、あ、シバケンは結構ゴツいから大丈夫か」
「ヤバい奴……山川はどっちかって言うと、工業寄りじゃないのか」
「ひど過ぎぃw! 言うじゃない!」
「はは、冗談だって」
二人は昇降口にたどり着くと上履きから外靴に履き替える。山川はスパイクシューズだ。
「シバケン、金曜暇?」
「まぁ……特に何もないけど」
「体育祭がんばるぞー的な会をファミレスかどっかでやろうかって話になってんだけど……あ、もう知ってる感じ?」
「いや当然知らない」
「そ、そうなんw でさ! 男子だけなんだけどやるってなったら来る?」
目を見開く柴田。
チャンス到来だ。
「おー……行く行く」
身を乗り出しそうになる興奮を抑えて、あえての余裕な態度である。
「おけおけ、よっしゃ! これであとは内田だけかなー、まグループチャットで聞けば良いか」
(もうそんなに知れ渡ってんの⁉ 内田が最後でその前が俺? ………………うーん……いやまぁ、うん……いいか……)
言葉にできない悔しさというか残念感があるが今はこれ以上考えるのをやめる。そうした方が精神衛生上良いだろうという判断だ。
「まだクラスTシャツも決まってねぇけど、こういうのって早い方が気が引き締まるだろ? うん? 身が引き締まるか? どっちだろ……ま、いいか、そういうことだから! んじゃ、お疲れぃ!」
「おう」
言うがはやいか山川はグラウンドの方向へ駆け出して行く。
その姿を横目で確認しつつ柴田も駅までの道を駆けだした。
風を切る感覚が心地よく、自然と口角が上がっていった。






