第四十五話
体育祭二日目の朝。第一体育館ロビー前に到着した柴田は唖然とした。
7時50分。玄関が開錠されるにはあと10分ほど時間があるはずであり競技の開始時間はもっと遅い9時ちょうどだ。
そのはずにもかかわらず、既に全校生徒数を超える人数が玄関前と駐車場に集結していた。
「おはよー柴田くん。いやーすっごい人だねー。こんな大勢の前でプレーするなんて中学以来だからもう緊張してるよー……」
「秋穂はプレーと違って繊細」
「ひどいよみっこ~」
「あぁ、二人ともおはよう。この学校の体育祭って毎回こんなに人集まるの? うちは私立でもなければスポーツ校でもないよね、こんなもん?」
柴田が疑問を口にしたのと同時に一足遅れて山川と長谷川が到着した。
「去年見学した時来てたのはナンパ目的の野郎と暇つぶしに来た奴ら、あとは親たちが少しって感じだったわ。出し物とか販売があるわけじゃねぇから学祭ほど客は入らないはずやで~」
「木場さんが色んな所に声かけたんじゃないか? あの人派手好きだし、「オーディエンスは多いほど良いってもんよ!」とか言ってそう」
言いながら長谷川は柴田の肩に腕を回し、小声でささやく。
「どう考えても、体育祭ギャンブルのせいだよねぇ? 見てよ、他校の生徒のほとんどが工業生だ。大方、賭けを見届けたくて集まったんだと思う」
言われて改めて周囲を見渡すと、やんちゃそうな男共が多く目につく。
冷や汗が滲む。
柴田が知る工業生といえば加納とその愉快な仲間たちだけだ。全員があそこまで凶悪ではないだろうが、それでも心肝を寒からしめるには十分だ。
「派手にやり過ぎたんじゃない? ギャンブルの情報が漏れるのも心配だけど、これじゃあ、どこかで暴発することの方が不安だよ」
「た、確かに……」
予想外の盛況ぶりに唇を震わせながら頷く。
休日、他校、非日常的イベント、金、ギャンブル。軽く列挙しただけでも何か起きそうな要素が多すぎる。役満だ。
「で、でもまぁ……、バレても警察や教師が俺に到達することは無いだろ。俺が関わったって証拠は無いし、加納だって俺を恐喝していたことは隠したいはずだ。大丈夫、前向きに考えよう。今日、俺たちは優勝する! それだけ考えよう」
「そうじゃなくて、うちの学校の生徒が難癖付けられて絡まれるのが心配なの」
「……」
体育祭が始まり昼休みにもなればギャンブル参加者による観戦数は今以上に増えるだろう。ただでさえやんちゃな工業生。嫌な予感が膨れていく。
下品に笑う工業生のグループを見ながら長谷川は呟いた。
「何も起きなきゃいいけど……」
「フラグ立てんな」
「今日が終わったら俺、紗季ちゃんに告ろうかと思ってるんだ」
「すごい畳みかけるじゃん」
そして、ついに開錠の時間がやって来た。
体育教師が号令をかけ、生徒がぞろぞろ建物内に入っていく。
加納ら工業生のことは一旦、思考の脇におくことにした。
バレーの試合、クラス対抗大縄跳び、リレー。柴田が直接参加する競技だけでなくクラスの得点や順位も気にしておかねばならない。
昨日の全競技終了時点で1年A組の順位は第5位。1年生の中ではトップだが、一位との差はまだかなりある。優勝にはどこかの競技で優勝する必要があるだろう。
だれがその立役者になる?
(俺だ)
少年が自答する。
(俺が勝つんだ)
少年は一度深呼吸をしてから玄関へ歩き出す。
胸の位置を高く、顎は引く。自信がない時ほど堂々と。 いつものように、いつも以上に。
不安が絡みつく重い身体を振り切るように一歩一歩進んでいく。
今日が終わる時、きっと俺は笑っているはずだ。そう言い聞かせた。
「柴田くーん! 今日も派手に楽しもうなァ!」
ドン! と丸太でぶん殴られたのかと思った。
背中に強い衝撃を受けた柴田はつんのめり、倒れそうになるのを何とか堪える。
痺れるような痛みに顔を歪ませ、声のする方を睨みつける。
「悪ぃ、悪ぃ。ちょっと強すぎたな! 気合が余ってどうにも加減できなかった!」
「き、木場会長……」
短めのツイストパーマを小さなアフロのようにした筋骨隆々、身長190㎝オーバーの大男が笑う。
「いっやー、昨日は盛り上げてくれてサンキューな! 俺の煽りに皆慣れたみたいで最後の方は反応がイマイチだったんだよなぁ~……、今日はマジメ系でいくかぁ⁉ 『なぁんだ、木場も保護者とか他校が見に来てると大人しいんだ』、と思わせておいてのハイテンションでドカン! このふり幅はウケるべ⁉ なぁ⁉」
ビー玉のような瞳をまっすぐ向けてくる。全身からあふれ出す雄の空気とは裏腹に香水とミントの香りがした。
「ど、どうっすかね……、木場さんがやるなら何でもウケるんじゃないすかね……はは」
ふぅん、と一度唸ると木場は顎に手を当ててから、突然、柴田の肩を力強く掴んだ。
指が柴田の筋肉にめり込み、骨がギリギリと軋む。
(い、痛ぇ……っ! マジで何なんだよこの人!)
「今日は工業生多いよな。柴田くんも盛り上がるように頑張ってくれ……。昨日のは本当に良かった……。本当に、『俺よりも目立ってた』」
木場の声から熱が失われていく。
ゾッとするような迫力。獣に見られている、狙われているという実感がリアルな冷たさをもって全身を駆け抜けた。
「真剣勝負だな」
「えっと……」
「今日は『最後まで』楽しもうなぁ!」
がっはっはと豪快に笑い柴田を解放する。
ロビーの方へ歩いていく木場の背を見て残された柴田はぎこちなく後ずさった。獣じみた目。加納と同種のものを感じずにはいられない。
(どういう意味だ……、『最後まで』ってどういう意味だ。最後……、体育祭の終わりか? それともバレーの試合か? もし違うとしたら…………っ)
木場の人間性など分からない。何が好きで何が嫌いなのかなど分からない。
しかし、『真剣勝負だな』、『最後まで』と言った時の声と表情が脳に焼き付く。あれはコート上のパフォーマンスでみる木場の立ち振る舞いとはかけ離れている。
頼もしいジョーカーの笑みが邪悪なものに変わっていく気がした。
木場は味方なのか。それとも加納側の敵なのか。
柴田はぎゅっと瞼を閉じてから、
「木場さん!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
「あ」
しかし、
柴田は木場の目を見た瞬間、
「絶対……良い勝負になりますよ! 最後まで楽しみっすね!」
本当に言いたかった言葉を飲み込んだ。
そして、
体育祭、最終日が始まる。




