第四十三話
体育祭1日目の全競技が終了した。
第一体育館ロビーから解き放たれる生徒達。今日はすべての部活動が停止されるとあって、皆晴れやかな顔をしている。
基本、毎日練習がある野球部員達は体育祭ごときで疲れるわけがない、といった調子で放課の時間になっても騒ぎ通しであり、「これからバレー練習だぁああ!」と体力が有り余っていた。
「シバケンはどうする? また俺の家泊まってく⁉」
鼻息荒く提案する長谷川に柴田は掌を出して制止する。
「朝からこの時間まで連チャンで試合した後なのにまだやる気かよ」
スポーツバッグを肩に掛けてため息をつく。
「今日はさすがに帰るわ。俺の本番は明日だし今日は早く帰って休む」
「まぁまぁ、そう言うなよー。シバケンさんがいなかったら始まらんやんかー」
山川がふざけた調子で放ったパンチが肩に入ると、鈍痛が走って痺れた。
「痛ってぇ! や、やめろ、あちこち打ちまくって全身青あざだらけなんだよ!」
「お疲れさんやでぇ~、シバケンがいなかったら危なかったわ~! 地味だけどMVP級の活躍! 地味だけど! はっはっは!」
「二回言うな」
M・V・P! M・V・P! の合唱がロビーに響き、まばらに残った周囲の生徒たちがクスクスと笑いながら通り過ぎていく。その中から「あ、上裸の人」という声が聞こえた。
(何か変な覚え方されてるし……)
リベロとしてかなり頑張ったと自負していたのだが、周囲はそこを評価してくれてはいないのだ。がくりと肩を落とす。
(俺の活躍は重要じゃねぇけどさっ、もっとこう……あんだろ!)
1年A組の男子バレーチームは一日目の予選を全勝で突破した。
苦戦した場面もあったが、そもそも野球部を中心に結成されたチーム。持ち前の運動能力の高さが結果として表れたと言える。
上級生相手でも十分以上に戦うことができた上に、多くの三年生チームが別トーナメントで敗退してくれたのが僥倖だった。バレー男子たちは優勝が見えてきたとあってテンションが高いのだ。
とはいえ柴田は疲労困憊。ここ一か月、走り込みとトレーニングは続けてきたが幾度もの連戦により精神力や集中力といったものが底をついていた。加えて、昼休みの土嚢運びの影響もある。
結果は3位だった。ポイントは獲得できたがやはり木場には届かなかった。
その後の『借り物競争』では、全員共通のお題で『より長いもの』を3分以内に持ってくるというゲームが行われ、木場を挑発して盛り上がっていた1年A組はその流れで代表を柴田に決定。3分間会場中を走り回った挙句、みっこが「男子バレーのポールは2m43cm」というありがたい言葉を授けてくれたので、柴田はスチール製、重さ60㎏のポールを運ぶことになったのである。ちなみに、二日目にクラス対抗大縄跳びに使う大繩を持ち出した木場が優勝。柴田は普通に負けて2位となった。
そんなこんなで柴田は広い背中を丸め、しょぼくれていた。
本来ならば明日の学年別リレーの為のミーティングがあるのだが、何を聞かれても「うゆ」としか答えられない柴田を気遣って赤井が一足先に帰してくれた。それほどまでに柴田は体力を消耗しているのだ。
リレーメンバーとの打ち合わせ。バレー練習。木場とのコンタクト。加納への警戒などやっておくべきこと、気にしておかねばならないことが多々あるのだが、今はそれよりも早く帰って寝たかった。
「な~本当に帰るん?」
「あぁ、明日の決勝トーナメントは短縮じゃなくて25点、5セットマッチの長丁場だ。お前らも早く帰って休めよ」
じゃあ、とだけ言うと柴田は外履きのスニーカーに履き替えてロビーを出た。
昼間の生き生きとした暑さが残る午後4時53分。夕暮れというにはいささか日は高く、久しぶりにゆっくり帰れるな、と肩の力を抜く。
「今日は流華ちゃんと一緒に帰らないのかー⁉」
ピュー! と口笛と共に囃し立てるのが聞こえたが、彼は中指を突き立てるジェスチャーだけを後方に向けて歩き出す。
「何勘違いしてるんだ、アイツら……」
やれやれ、と後頭部を掻いてふと思う。
(そういえば、こうしてゆっくり帰んのは随分久しぶりな気がする……)
ヤンキーと公園で待ち合わせることもギャルと一緒に下校することもない帰路は随分久しぶりな気がした。リレーやバレーの練習も無いとなると本当に自由だ。何にも邪魔されず好きなことをしていられる権利を得たのは一か月ぶりだ。
音楽でも聴こうとバッグの中を漁るもイヤホンがないことに気づく。いつもバッグ内の小ポケットに突っ込んでいたはずだ。
(やべ、どっかに置いてきたか……。あれ、俺いつからイヤホン使ってなかったっけ?)
思い出せなかった。
高校に入学してからの一か月。帰り道はよく音楽を聴いて過ごしていた。
それが、いつからか全く聴かなくなった。ついこの前まで肌身離さず持っていたはずなのに、いつからその習慣を辞めたのかも思い出せない。
信号が赤色に変わり、立ち止まる。
前後左右、どこを見ても歩行者も車もいない。左側は田んぼだ。こんなところに信号が必要か? とも思うが信号無視はしない。小さい時からそうだ。信号は守るものだと意地になって決めている。体育祭ギャンブルなんてアンモラルなことしておいてよくそんなことが言えるな、と柴田の中のシニカルな部分がツッコミを入れる。
うんざりしながら信号の先をぼんやり見ると鳩が先の歩道で立ち尽くしていた。キョロキョロと左右を確認する姿はどこか人間臭い動作で、鳩自身はそんなことを分かっているはずもないのだが、柴田の目にはそれが面白おかしく映った。
「ははっ、鳩が信号待ちしてる」
三橋、あれ見ろよ、と喉まで出かかった。
一人で勝手に恥ずかしくなっていると信号はすぐに青に切り変わった。
当然、青になったからといって鳩は歩き出さない。クック、クックと喉を鳴らしながら辺りを見回すだけだ。
鳩を避けるように横断し、横目でチラリとその鳩を改めて見た時、鳩が一羽だけであるのが分かった。鳩と言えば群れで行動する生き物のはずであり、エサが落ちているわけでもないのになぜこんなところに一羽なのだろう。
素朴な疑問が浮かんだと同時に応えはやって来た。バサバサッという音がして驚いて振り返ると、どこからやってきたのか鳩は十羽近くに増えていた。仲間がやって来たのだ。
ビー玉のような目から感情など読み取れるはずもないがきっとさっきまで信号待ちをしていた個体は喜んでいるのだろう、と思った。
「……人も同じだな」
少し詩的で気取った物言いに顔が赤くなる。
瞬間、鳩の群れが一斉に羽ばたいた。翼が当たりそうな至近を抜けて鳩が逃げるように飛んで行く。
彼は思わず顔を庇って両腕を上げたのだが、
「あっはは、ビビり過ぎだから! マジウケる!」
会場からそのまま抜けてきましたと言わんばかりの半袖短パン姿を晒す流華が自転車を停車させた。
「動画撮っておけばよかったわ~」
どんよりと肩を落とす柴田を見てさらに笑う少女。
「う、うるせぇな。いきなり飛び掛かってきたら誰でも驚くだろ……。大体、こんな時間まで何してたんだよ。解散になってから結構経つだろ」
「普通に駄弁ってたけど? 早く帰ろうにも乗る電車は結局同じだしね~。シバケンもそうっしょ?」
「まぁ確かに」
通常授業よりも早い放課になろうとも遠方から通学する二人は結局、『5時電』に乗るので家に着く時間はいつもと変わらないのだ。むしろいつもの通学路よりも長い道を行く必要があるため労力は普段以上だ。
「ほら、きゃもーん」
自転車の荷台をポンポン叩いてみせる流華。
いつも明るく活発な彼女だが体育祭終わりのせいか野球部並みに妙な調子になっている気がした。
「何すか?」
「疲れたっしょ? 今日は私が送ったげる!」
「ニケツかよ! 補導されるぞ……」
「良いじゃん別に! 駅に近づいたら降ろすし裏道使えばバレないっしょ。……ほら速く! 送るって言ってんの! さっさと乗れ!」
バッグを担ぎなおして頭を掻く柴田。
(どうしよ……初めて女性の誘いを断りたい気持ちになってきた……。疲れてんのに、なんで今日に限ってテンション高いんだこの子は)
とはいってもギャルの頼みを断る勇気がない少年はいそいそと銀色の荷台に跨る。
レッツゴー! と威勢の良い合図とは裏腹に自転車がのそりと動き出す。
ウェーブがかった長髪が風になびいて目の前に広がる。自分と同じように一日中運動していたはずなのに風呂上りのような香りが鼻腔をくすぐる。
(一緒に帰って噂とかされると恥ずかしいし……とか言ってたのに、どういう風の吹き回しだ? なんであれ俺的には得な展開だけども……)
流石に後ろから思いきり吸い込んで堪能するわけにもいかないので、できるだけ彼女から遠ざかるように上半身をのけ反らせて後ろ手で荷台の端を掴んでバランスを取る。
「……」
風を切る感覚が心地良い。まだ何もやり切っていないが不思議と心身は充足感で満たされていた。
遠くには山、脇には田んぼ。土の匂いに微かなカエルの鳴き声。二人は北の大地を流す。
一度も考えたことは無かったが将来的にバイクの免許を取るのも良いかもなーと柴田が妄想していると、突然、緊張した声で流華が、
「ちょっとシバケン、ちゃんと掴まってよ! 危ないから!」
細い肩と腕がプルプルと震えていた。
「え、いや……でもな? 掴むところなんて無いじゃん?」
「ここアスファルトボロボロで走り辛いの!」
グラリ、と車体が揺れ、流華のドラテクでなんとか持ち応える。
「だってぇ、変なところ触らないでよ! とか痴漢! セクハラ! とか失礼なこと言われたくないしぃ」
「言わないし! マジ、コケるから早く!」
(こ、これ思いっきり抱きついて良いのか? 大義名分はある! だが…………っく! 無理だ。冗談ぽく抱きついても下心を感じさせた瞬間。殺される! つーかキモ過ぎる! 俺も陽キャならこういう時迷わず行けるのにっっっ!)
じゃあ、と柴田は遠慮がちに流華の両肩に両手を乗せる。暖かく頼りない感触が掌に伝わって、思わず唾を飲み込んだ。
(肩、細いな)
彼の心拍が少しだけ速まり、掌に汗が滲む。
Tシャツ一枚越しに伝わってはいないかと不安になる自分が情けない。
「……」
「……」
二人乗りにも慣れてきて、安定感が生まれてきた。規則的なリズムで踏み込まれるペダル。流れる景色の中、二人はしばし無言だった。
隣に並んで歩いた時とは別種の気恥ずかしさと気まずさ。
送ってやる、と言ったのは流華の方だ。いわばホストであり彼女から話題を提供するのが筋というものではないだろうか。などと面倒くさいことを考える。
(さっきまで異様なテンションだったのに…………、帰る時いつも少し大人しいのは何でなんだ……。嫌われてるってわけじゃないと思うんだが……)
耐えかねた柴田は何度か咳払いとフィラーを挟んでようやく切り出す。
やはりリードするのは男の役目だ! と女子の自転車の後ろに載せられながら決意した。
「実はな、さっきの鳩。信号待ちしてたっぽいぞ……」
「はは、何の話―?」
「いや、マジなんだって」
「動画はー?」
「う、撮ってない……」
「それ信憑性ゼロー!」
くだらない話を共有したい他人といること。それがどんな意味を持つのか。彼女と過ごす内に、柴田はそ朧気な輪郭を掴み始めた。
分からないまま体育祭一日目が終わる。




