第四十二話
階段を下りて客席の前の方へ戻ってくると柴田は奇妙な居心地の悪さに戸惑った。まるで自分以外の全員が自分の知らないところで盛り上がっている様なそんな違和感。
その感覚は正しかった。クラスメイトのほぼ全員が柴田を見ているのだ。約40人、80個近い目玉が柴田を捉えていた。
「え、なに……何なのこれ」
説明するより早く山川が仰々しく頭を下げた。
「シバケンさん、オナシャス! シャーっス!」
続けて男子生徒数名が頭を下げると、流華が横から口を挟んだ。
「シバケン出番だよ。フィジカル勝負なら他にいないって皆言ってるし、出たら?」
「そうそう、松尾を運べたんだから余裕じゃん⁉ 重さは実質半分以下だし!」
(何、何なの⁉ 猛烈に嫌な予感がする! 何も知らないけど既に断れない雰囲気なのが怖い!)
もう何度目かのこの光景。柴田を置き去りにして物事が進んでいく事態。
「いや、だから俺は何を……」
「柴田くん、もしかして体調悪いの? そうだったら無理しないで誰か他の人がやった方が良いんじゃないかな……」
「栗田さん、戻ってきてたんだ。いやそうじゃなくて! 皆、主語が無いんだよ。俺は何を期待されてんの? フィジカル勝負って何の話⁉」
「何って……あれだよあれ! もしかして聞いてなかった?」
秋穂が指差した先。コートの端の方に大きなクッション? のようなものが並べられていた。係の者が台車を使って運び入れているところだが、やたらと手際が悪く、ヨタヨタと頼りない姿を晒していた。
「土嚢運び競争だよ。40kgを運んで競うんだって! 柴田くんの得意分野だと思わない⁉」
「ど、土嚢……?」
主に土木作業現場で使用され、戦争映画などで高く積まれているのを見たことがあった。
ポリエチレン製の袋に土砂を詰めた土木資材。人間の手で何往復も持ち運ぶことを前提とした場合その重さは大体20kg程度である。それよりも重い。
コートを見下ろす。距離はざっと50m。
(ふざけんな! 自衛隊じゃねぇんだぞ⁉ 身体能力だけの勝負にさせないための『対決・木場』じゃねぇのか⁉ おもっくそフィジカル勝負じゃねぇか! こんなの木場相手に正面から打ち勝てって言っている様なもんだろ! ………………無理だ。勝てるわけねぇ……)
「柴田くん以外に勝てそうな男子いないよ!」
「う……」
「オナシャス!」
「うぅっ……!」
期待の眼差しが突き刺さる。
流華がニマニマと意地の悪い微笑みを浮かべているのが見え、柴田はこめかみに青筋を立てる。
自信はない。勝てる気がしない。恥をかくだけかもしれない。
それでも柴田は、
「任せろ、40kgぐらい100mでも200mでも運べるぜ!」
柴田が吠えたと同時、ふぅ~! とふざけた歓声が起こって1年A組は熱狂。
「またやってるわ俺……」という誰にも聞こえないひとり言を呟きつつ、柴田はコートに向かって走り出した。
松尾先生が「何で俺が運ばれたこと皆知ってるんだよー!」と叫ぶがそれを無視して長谷川が言う。
「最近、シバケンの扱い方が分かってきた気がしますわ」
「それな、意外と単純だよな。馬鹿おもろいけどw」
「あんた達、全然分かってないなー。シバケンが面白いのはここからなのに」
ソムリエみたいなことを言い始めた流華はいつの間にか客席、最前列に陣取っていた。
(ポジティブに考えよう)
柴田は単純な身体能力には多少の自信がある。1年A組の中で最も可能性があるのが自分だろうということも分かっている。やるならば俺以外いない。どうせ皆も本気で勝てるとは思っていないだろう。この半日で木場という男の圧倒的な実力は全員が知るところだ。ダメで元々。割り切り、開き直って臨むべきだ。
加えて、考えようによってはチャンスかもしれないのだ。木場と接触できる機会としてなら参加に意味があるだろう。
コートに到着した柴田は先ほどまで自分がいたあたりの客席を見る。コートを照らす照明が明るすぎて席に座るクラスメイトはよく見えない。手すり付近に立つ山川、長谷川、秋穂、みっこ、流華の姿は確認できた。
相変わらず流華は妖しく笑いながらこちらを見ている。少し興奮しているようにも見えた。
「何を期待しているんだ、あいつは……」
やれやれ、と頭を掻きながらコートの端で待機する。先ほどのストラックアウトとは異なり、単に力自慢を集めるだけなので、各クラスの代表者はすぐに集まった。野球部、バスケ部、剣道部、柔道部、陸上部の砲丸投げ選手等、当然運動部のパワー系が顔を並べる。
こうして並んでいると、自分の異質さが目立っているような気がしてならない柴田。
他クラスに友達などいるはずもなく、知り合いと言えばせいぜい赤井やリレーチームの奴ら。運動部コミュに属さない柴田は「誰コイツ?」的な視線を感じ取っていた。
(こういう時、デカいと不便だよなぁ……嫌でも目立つ……)
すると、ひと際大きい声援? がコートに届けられた。
「シバケーン! デカい、デカいよぉ! 他の奴らよりも可能性あるよ! ワンチャンあるでこれぃ!」
一番デカい奴? あーあの人かー、と会場の視線が集中した。
(あいつっ……! マジで殺す!)
冷や汗をかいて毒づく。
『は、発表いたします!』
突然、進行役の女子がパタパタ走ってきた。
『えー……当初、木場会長が見本として走り、そのタイムを基準にそれよりも良い記録を出したクラスが得点、という形で想定していましたが……。たった今、協議の結果。『そもそも木場会長より早く走れる者がいなくてはゲームにならない』との結論に達し、一部ルールを変更します! その1、木場会長に勝利ではなく、タイム順に上位5チームがポイント獲得となります。その2,もし木場会長よりも早いタイムが出た場合にはその代表クラスのポイントを倍にします!』
『まぁ、俺に勝てそうな奴いないし当然だよねぇ⁉』
会場は大盛り上がり。
第1ゲームのストラックアウトでポイントを獲得する者が現れないという不測の事態に陥り、緊急対策でルールを変更せざるを得なかったのだろう。
だが、これで柴田にも光明が見えた。木場に勝たなくても得点できるのだ。そう思った瞬間、胸が軽くなった気がした。
『俺は最後に走ろう、いきなり絶望的なタイムが出ちゃったら、皆やる気なくなっちゃうもんね☆』
『いちいち煽らないでください!』
観客もいよいよ木場の煽りに慣れてきたのか、それとも木場に勝たなくても得点できることへの興奮によるものか、良い意味で会場が沸き立つ。
レースは1年生から始まる。柴田が首を回して体をほぐしていると隣の代表者たちの会話が聞こえてくる。
「でもなぁ、これ本当に持ち運べるの?」
「前に自衛隊員が訓練でこういうことしてる動画みたことあるわ」
「どうだった?」
「ゴールできない奴もいた」
「えぇ~じゃあ無理くね。引きずるのはダメだし、きつそ~」
柴田はそちらを見ずに口の端を釣り上げた。
スタート位置に立ち、その時を待つ。
『さぁ、まずは1年生の挑戦です! 先ほどは1年A組の長谷川君が大健闘を見せてくれました! 1年生は木場会長を倒すことができるのでしょうか! それでは参りましょう! よーい…………!』
最前列で柴田の活躍を期待する一同。
坊主頭をじょりじょり撫でながら山川が言う。
「いや正直楽勝なんじゃね? 木場さんに勝てるかどうかは置いても、シバケンは100kg超える松尾先生も運べたんだし得点は固いだろ」
「どうかな、しがみ付いてくれる人間と意識のない人間を運ぶのは全く違うって言うしね。土嚢って中身は砂とか土だし、掴み上げてもぐにゃぐにゃで運び辛いんじゃない?」
「シバケンなら絶対大丈夫だし」
コートを真っすぐ見つめながら流華が呟く。唇を尖らせた子供っぽい不満げな仕草に男子だけでなく秋穂も驚いた顔をした。
直後、ぷふっ、と思わず吹き出して笑う秋穂。
「流華ちゃん、本気で柴田くんに勝ってほしいんだね」
流華がわたわたと掌を振ると、
「え、いやいやいや! 別に本気とかそういうんじゃなくて! あいつに頑張ってもらわないと優勝できないし!」
「優勝……?」
「ほ、ほら! あいつって中学からこういう土壇場とか無茶ぶりに強い奴だったし、ワンチャンあるかなって!」
「そ、そうなんだ……」
「そうそう! 学校祭の有志発表でバンドメンバーが抜けちゃった時なんて、新メンバーとしてたった3週間でベース弾けるようにしてきたし! 修学旅行で置き引きに遭った子の為に犯人取り押さえたこともあったし!」
猛烈な勢いで柴田のエピソードを披露する流華の耳が少し熱くなる。
その様子を黙って見ていた山川と長谷川が思わずといった感じで目を見合わせて頷く。
「長谷川……これってもしかして……」
「うん……そういうことだな……」
「シバケンって俺らが思ってるより凄い奴なんじゃね? 出てくるエピソードが主人公のそれだ……!」
「そうじゃねぇだろ! 馬鹿かお前!」
「?」
甘い気配を感じ取った長谷川がやれやれとため息を吐き、少し目を細めてコート上の柴田を見下ろす。
「あ、もう始まるみたいだ」
進行役が1年生を誘導し、スタート位置に立たせる。
「何か笑ってね?」
「自信あるんじゃない?」
各クラスが代表者に応援の声をかける中、『スタート!』と威勢の良い合図。
同時に選手たちが床に置かれた土嚢を持ち上げた。抱き抱えるようにヨタヨタと歩き始め、レースと呼ぶにはあまりに緩い光景だが選手達は至って真剣だ。
そんな中、柴田は土嚢を胸のあたりに抱えたままスタート地点から動かない。
「おい、もう始まってんぞ! 急げ!」
山川が叫ぶ。
意に介さない柴田は直後、奥歯が割れるかという程、思いきり食いしばった。
ふしゅー、ふしゅー、と蒸気機関の如き音を発生させて肩を上下させると、そのまま
「おおおおおおっっっらぁあああああああああああ‼」
会場中に轟く獣じみた咆哮を上げ、土嚢を首の後ろに回して肩に載せた。
『1年A組柴田くん! 遅れて今、駆け出し……、は、速い速い! 猛烈な勢いで他選手をごぼう抜き!』
他の選手全員はスタートと同時にはやる気持ちをそのままに運び始めたのが徒となった。重いものを運ぶ際に重要なのは重心である。身体の前に抱えるようにするとバランスが崩れ、大きく体力を消耗してしまうのだ。現に張り切って動き出した幾人かはスタートから十数mの地点で土嚢を落としてしまっている。これではいかに鍛えていようと無駄である。
柴田はこうなると予見していたのだ。
(このレースで肝心なのはスタートじゃねぇ! いかに正しい姿勢を取れるか、だ!)
ズシン、ズシン、ズシン! と怪獣の如き歩みを響かせ驀進する。
「んぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぃいいいいいいい!」
『柴田くん! 凄まじい気合です!』
1年A組だけではない。会場全体がどよめく中、友人たちは。
「ぎゃははははははははは! エグいエグい! バカ速ぇ! 機関車やん!」
「あっはっはっは! 凄すぎるってシバケン!」
大爆笑。
「あはははは! 柴田くーん! あと少しー! そのままそのま……、ぶふっ! あ、ダメだ笑っちゃう!」
「…………っふふ、ふふっ、必死過ぎる」
内心、少し心配していた秋穂は笑いを堪えきれないし、基本表情の変わらないみっこも珍しく秋穂の肩に倒れ込んで笑う。
「……がんばれ」
1年A組がのボルテージが上がる中、ウェーブ髪の少女は嬉しそうに呟いた。
腕組みをしながら訳知り顔だ。まるでインディーズ時代から知っているバンドやが音楽番組に出た時、「昔から知ってましたけど?」と古参アピールをする厄介なバンギャのような感じだ。これがアイドル好きの男なら「後方彼氏面」と揶揄されるところだが、彼女はちゃっかり最前列の特等席をキープしていた。彼女は変に気取ったり格好つけたりしないのである。
「…………見てるよ」
その言葉は熱狂と声援にかき消され、彼にも周囲にも届かない。
彼女だけのものだ。
その十秒後、柴田は倒れ込みながらも一着でゴールテープを切った。
進行役が活躍を大げさに称え、観客は拍手で労う。
『いやー1年A組は見せ場を作ってくれますね! 柴田くんお疲れさまでした!』
息も絶え絶えで苦しそうだというのに、彼は歓声に応えようとしているのかおもむろに立ち上がり……、
Tシャツを脱いで床に叩きつけた。
『かかってこいや木場ァ!』
会場が揺れ、山川達の腹筋は爆発した




