第三十七話
「マジでさぁ……」
潰されたカエルの如く仰向けにひっくり返った柴田を見下ろす流華は呆れた声を上げた。
柴田としてはもっと激しく罵倒されるか、笑われるものだと思っていた。だが彼女の反応はそのどちらでもなく、腕組みをしてため息を繰り返していた。組んだ腕を人差し指でトントン叩き、黙って考え込む姿はまるで子供のやらかしに頭を抱える母親のようでもある。
「本当に馬鹿でしょ、どんだけややこしい話してんの」
「身から出た錆、自業自得だとは思ってます……はい」
流華の低い声に恐怖した柴田は思わず敬語になってしまった。いつまでも寝転がっているとそれも怒られそうな雰囲気。柴田は急いで立ち上がった。
事のあらましを流華に伝えたのは失敗だったかもと柴田は今更ながら後悔した。逃げられない状況と流華の迫力にビビッて詳細を話してしまったのだが、ここまで隠してきた苦労が水の泡だ。
事情を知るのは極力男子だけに留めておきたかった。優勝を目指すとはいえ、どこから話が漏れるか分からないし、知る者は少ない方が良いのだ。
ここは一度、口止めを頼むか、と口を開きかけた時。流華の方から意外な言葉が飛んできた。
「相談してよ」
「……え」
「なんで私に言ってくれないの? 男子だけ知ってるって何それ、ズルくない?」
「いや、話が広まるとリスクがあって……」
「私がバラすとでも思った⁉ そこまで信用無いって普通にショックなんだけど」
流華がどういう感情を抱いているのか柴田には分からなかった。
ただ、怒りにも似た激しいものだということは分かる。柴田を見上げる瞳は力強く、こちらが気圧されるほどであり、思わず、ひゅ、と喉から息が漏れる。
「はっ、別にそういうわけじゃねぇよ」
誤魔化すように笑って見せるも流華の表情は少しも緩まない。むしろ緊張感が高まった。
「じゃあどういうわけ?」
言葉に詰まってしまった。
遠くに聞こえていた喧騒が随分近づいていた。この静かな休憩スペースにもじきに人がやってくるだろう。
いつまでもこうして話すことはできない。
焦ったのだ。
柴田はつい、こんな言い方をしてしまった。
「お前には関係ないだろ。話す必要がないから話さなかった……。それだけ」
まずい言い方だ。柴田はすぐに気づいた。
だが、取り繕うように慌てて訂正することもしなかった。
もう流華の目を見ることはできなかった。柴田は言い残したまま踵を返してパーテーションを抜けていく。
彼女が自分を心配してくれているのだろうということは分かっていた。初めて彼女と話したのはつい1か月前の事。まともな会話はこの一週間足らずの下校の間と札幌で遭遇した時だけ。
そんな短い時間でも分かったことがある。
三橋流華はとても賢く優しい女の子だ。
派手なギャルに見えても、成績は優秀で人のことをよく見ている。誰に対しても分け隔てなく関わる学校の人気者だ。
もし柴田が相談していれば彼女は真剣に聞いてくれただろう。あーでもない、こーでもないと一緒に悩んで、結局、『優勝するしかないね』なんて当然の結論に至ったかもしれない。
(だからこそ、純粋に体育祭を楽しんでほしい。俺の為とか義務感とかを感じずに純粋に……)
男子にはそういった義務感は無かった。あるいはあったのかもしれないが、それすら楽しみに変える胆力を持っていた。
だが、女子は? 流華はどうだろう。
真剣に考え込んでしまうのではないだろうか。
だからこそ柴田は今の今まで流華に打ち明けることを避けてきたのである。
自分を納得させながら柴田はロビーの扉を閉める。
「言い方」
声がした瞬間、カクン、と柴田は両ひざから崩れ落ちた。
咄嗟に手をついて振り返るとそこには仁王立ちの流華がいた。
「また面倒くさいこと考えてるっしょ。協力してくれーって言えば済むのに本当回りくどい」
流華はすっとしゃがんで、柴田と同じ目線になると、
「私にも相談して。孤高なふりして抱え込んで、それでどうなったか覚えてるでしょ?」
チクリと胸が痛んだ。
流華が何のことを言っているのか痛い程分かったから。
「回りくどいのは嫌い。私なら力になれるって言ってんの、返事は⁉」
「お前……呼び止めるなら膝カックンする必要なくね?」
「へ・ん・じ」
「は……はい」
もはや、はいかYesしか許されなかった。
体育祭で食事が認められているのは基本的に第1体育館だけであり、二人は昼食のため移動する。
なぜか満足気なギャルと、戸惑った様子の少年が並んで歩く。
(不思議だ……見透かすような上から目線が嫌だったのに、今は心地良さすら覚えている……思えば札幌で会った時もこんな感じだった気がする。俺が考え込んでいると先回りして思考を寸断されるような……。もしかして三橋って………………いや……アカンアカン……!)
一瞬よぎった浮ついた思考を排除する。
「本当、面倒な性格だよねー」
「自覚してるけど、人から言われるとムカつく」
「褒めてんだよ?」
「どこが」
悪戯っぽい笑みを浮かべた流華。
「男は格好つけてなんぼでしょ。弱さをひけらかすよりはずっと良いってこと」
「なるほど……さすが経験豊富なギャル。含蓄に富んでますな」
「ビッチみたいなニュアンスを感じるけど?」
「褒めてんだよ」
二人に自覚は無い。
手を伸ばせば届くほどの距離にあって尚、気づかずにいる。
肩が触れる程の近さ。
友達のそれか、あるいは……。




