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第三十二話・流華

 三橋流華は下駄箱の前にいた。

 待ち合わせを約束しているわけではないのですぐに帰っても問題ないのだが、ここ1週間ですっかり習慣になってしまった。

 友人達が昇降口から出ていく景色の中、ポツンと一人待ち続ける。

「……、遅い」

 帰りのホームルームが終わってかなり時間が経った。多くの生徒はとっくに下校済みであり、学校に残っている部活生が下校するにはまだ早い。下校の波があるとするならば今は引き潮の時間だ。周囲には誰もいない。

 柴田はいつも汗だくで自習室に飛び込んでくる。いい加減他の利用者から苦情が出るかもしれないと考え、勉強を早めに切り上げこうして昇降口で待っているのだが、今日はいくら待てども柴田はやって来ない。

「何してんだろ、私…………」

 流華が呆然と呟く。

 連絡しようにも連絡先を持っていない。正確に言えばクラスのグループチャットはあるのでそこから柴田のアカウントを見つけることは容易だ。

 素早くスマホを操作すると、柴田のアカウントはすぐに見つかった。

 『柴田健星』の名前の上にアイコンが表示され、スポーツブランドとファッションブランドとのコラボスニーカーの写真だった。

 普段から飾り気のない同じようなシャツを着回しているが、意外にもスニーカーにはこだわりがあるのかもしれない。

 そんなことを思いながら、しばしその画面を眺める。

「……」

 しかし、押せない。『友達に追加』の項目をタップするのを躊躇う。

(中学からの友達だし、勝手に追加しちゃっても別に変じゃないよね? そもそも唯一同じ中学から来てる仲間なのに未だ追加してないって方がおかしいんじゃない⁉ そ、そうだよね? 別に問題ないよね……友達だし仲間だし!)

 誰が何を言ったわけでもないのだが脳内で言い訳を探していた。

 と、一人で妙なテンションになったギャルに、

「はぁはぁ……! 良かった、まだいた! はぁーしんどー……!」

 それよりも変なテンションの声が飛んできた。

 ちょうど『友達に追加』を押したのと同時。滝のように汗を流した少年が昇降口のドアを弾き飛ばすようにやってきた。

「俺の体力も結構戻ったもんだよ。こんだけ汗かいてもまだ余裕あるぜ……。ん、なんか通知来た……あれ、三橋じゃん。何だよどうかした?

「どうかした? じゃない!」

「あれ、もしかして結構待たせてた? なんだよー学校にいるならそうと言ってくれれば良かったのに……先に帰ったかと思って駅方面の途中まで走ったんだぞ?」

「シバケンの方から遅れるって連絡すれば良いじゃん」

「い、いやーそれはな……勝手に友達追加したらキモイかなって……」

「は、はぁ? 今更そんなこと言うわけないじゃん。だからこそ私の方から追加したわけだし……」

 ひくひくと、眉を震わせながら流華がムニャムニャ言う。何だか負けたような気持ちだ。

「さっさと帰ろ」と誤魔化しながらドアに手をかけると柴田が不思議そうに聞く。

「つーか、なんで今日は自習室じゃなくて昇降口にいるんだ? まだ教室が閉まる時間じゃないよな。あ、もしかしてそんなに俺が来るの楽しみだったー? あはは、んなわけねぇか」

 流華はドアを押す手をピタリと止め、目を丸くさせた。

「は、何キモイこと言ってんの? シバケンが毎日毎日他の人の目も気にしないで教室に飛び込んで迷惑かけるからここで待ってるんだけど? オタクに優しいギャルってあれフィクションだから勘違いしない方が良いよ? もしそんな子がいたとしてもそれはオタクに優しいんじゃなくて皆に優しいだけだから、あんたにだけ優しいわけじゃないから。自意識過剰な妄想はやめた方が良いよ」

「ひどい言われよう。うぅ……、冗談じゃねぇか、そこまで言う事無いだろ⁉ 途中からオタクじゃなくて俺に言ってるし」

(ヤバ、今、私すごい早口だった⁉ 何これ、めちゃくちゃ必死みたいじゃん……)

 動揺を悟られまいと、柴田を無視して昇降口を出る。

「でも、一緒に下校できて本当良かったよ」

 校門に差し掛かった時、柴田は思わずといった調子で唐突に言葉を出した。

 ビクッ、と流華が肩を震わせて一瞬固まる。

「ま、またそういうこと言って……。ギャグにもなってないから」

 冷静に言う流華だが、髪の毛先を弄る手が止まらない。

 落ち着かない流華の顔をまっすぐ見据えながら柴田が言う。

「はじめは嫌々って感じだったけど、今じゃもうすっかり一緒に帰るのが当たり前って感じだもんな。『噂とかされると恥ずかしいし』とかヒロインみてぇなこと言ってたのが昔の事のよう———」

 言い終わるのを待たず、振り返った流華は右の蹴りを繰り出した。

 軽いツッコミのつもりで放った右足だが、柴田は思いのほか近くにいたため目測を誤ってしまった。

 空振りするはずだった蹴りが柴田の股間にダイレクトアタック。

 ぐにゃりと奇妙な感触がローファー越しに足の甲に伝わる。

 痛みの信号が脳に到達するまでには僅かに時間がかかるというが、そんな一瞬は無かった。

 流華がしまった、と思ったと同時に柴田の大きな体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

「あ、ごめ! ミスった。いやまぁでも、シバケンがしつこかったしぃ? 前から思ってたけど下校する時のシバケンって妙にテンション高いよね。毎日学校出てまた戻ってくる間何してるん? お、おーい……大丈夫? え、そんなに? あわわ……ど、どうしたら良い⁉ 腰さすった方が良い? 吐きそうなん? なんで⁉ 男子って痛すぎると吐くの⁉」

 傍から見ると、高校生の男女が仲良く下校しているシチュエーションなのだが、二人に自身を客観視する余裕は一切無かった。

 ある意味、金的が決まる程二人の距離が縮まったとも言えるのかもしれない……。


 そんなこんなで、流華の体育祭は始まる。

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