第四話
「やったやったやったやったやったやったやったやった」
放課後。未だ涼しさの残る5月の教室で柴田は頭を抱える。
「完全にやってんじゃん……」
西日が差す教室で一人項垂れる様ははたから見れば不気味そのものである。
共に教室掃除をするはずだったクラスメイトは早々に部活があるからといって柴田を置いて出て行った。半ば強制的にゴミ出しと窓の施錠をするハメになったのだがそれはどうでも良いことだった。
1年A組リレー選手・柴田健星
教室前方のドア近くの掲示板には6限目に決まったばかりの体育祭出場種目の用紙が大きく張り出され、柴田はそれを苦痛にゆがんだ表情で見つめている。
(あぁっもうっ! なんでこうなるんだよ! バレーやるつもりだったのにリレー⁉ 無理無理無理、50メートル7秒って聞いた時のみんなの反応が痛すぎる……絶対俺より早いやついるだろ、押し付けといて期待すんなよ! 俺に友達を作る機会を、青春のチャンスをください!)
両手で腕を抱きしめながら身悶えする。
(大体全部、三橋が余計なことを言ったせいだ……あのビッチ……人の気も知らないで適当なこと言いやがって絶対許さん、てか中学の頃からほとんど話したことがないのに急に何なんだよ)
北海道の一地方の中核都市にすぎない田舎にあるこの高校。そこから更に40㎞も離れた町が柴田の地元である。ファミレス無し、カラオケ無し、コンビニ一店、パチンコ一店、スナック三店、といった具合の超田舎なのだが、数年前、中学校は近隣の町村の学校と併合され、一学年3クラス程度の生徒を確保していた。学校を維持できない田舎から集まった生徒、流華はその中の一人だった。
「くっそ……なんであいつがここ受かってんだよ! あぁっ!」
バン!
唐突にドアが開け放たれた。気圧差によって生まれた風で掲示物が揺れる。
グレーのジャケットを着て、スカートの裾を揺らす少女が一人。
「三橋……?」
彼女も驚いた様子で目を丸くした。
「え? え、え~! シバケン帰宅部だよね、何してんの?」
タンタン、と上履きを鳴らしながら柴田の席までやってくる。
「いや……まぁちょっと色々と……てか、そっちも何してたんだ? 帰宅部は三橋も一緒だろ」
「私はぁ……これ!」
柴田の後ろまで行って机の中から一冊の教科書を引っ張り出した。
「あぁ、世界史の」
「そー、小テスト近いじゃん? ワタシ斎藤先生に目ぇつけられてるからやばいんだよぉ~」
「生活指導の先生だもんな、髪染めてたらそりゃうるさく言われるか」
「ネチネチ言われないために勉強してるんだ、でも別にこれくらい良いじゃんね?」
「ど、どうだろうな、ははは」
(気持ち悪、何で俺は愛想笑いしてるんだ……)
毛先を指で弄びつつ流華は教科書をカバンに突っ込んだ。ふと向き直り。
「んで? シバケンは何してたん?」
「ゴミ捨てと窓のカギ閉め」
そう言うと何故か流華はにやりと笑った。
「嘘だー、それでこんな遅くなるわけないじゃん! 放課後に自習するタイプでもないっしょ?」
「なに決めつけてんだよ、馬鹿にしてる?」
「だってー218位でしょ?」
「何で知ってるんだよ」
「後ろからちらっと」
「見るな」
気を付けなければ。プライバシーも何もあったものではない。
入学してから一か月程度でクラスメイトが柴田がどういうキャラクターなのか掴めずにいる現状で流華が言いふらした「218位のお馬鹿さん」というレッテルを張られることは絶対に避けたい。もう遅いかもしれないのだが。
「ごめんて~、あ、えっ! てかそういうこと⁉ ごめん気が利かなくて……」
何やら慌てた様子で手をばたばたする。
「告白とかそっち系……?」
「全然違う! ……掃除班の運動部は途中で部活に行くって言うから、俺が締めの作業してたんだよ、ちなみに俺から名乗り出たからな、押し付けられたわけでもいじめられてるわけでもない!」
本当はリレー代表を引き受けてしまったことを後悔し、思いふけっていたのが理由の半分なのだが、当然そんなことは言えない。
「別にそうは思ってないけど、必死か」
なんというかリズムが崩れる。会話を支配されるというか上に立たれている感とでもいうのか、何を言ってもあしらわれている気がしてしまう柴田。
キラキラした女子に対するコンプレックスのようなもので勝手に気おくれしているだけなのだが、三橋って苦手だなー、とわずかな苦手意識を感じていた。
このまま雑談を続けていたら一軍女子達にネタにされるようなことが起きるかもしれない。何せ彼女たちは箸が転んでもおかしい年ごろ。今日なんかは内田の挙動不審さを笑うに違いない。ネタにされるのは怖い! とりあえずここから離れるべきだと勝手に結論付けた。
(よし、帰ろう)
彼女は自分が教室に来た途端に帰ろうとされたら少しは傷つくだろうか。少し気にかかったが、意を決して机のフックにかかっている自分のバッグを掴んで肩にかけた。
「じゃ、俺は帰ります」
(何その敬語!)
「あはっ! なんで敬語!」
ネタにされる気配を感じ取った瞬間、泣きたくなった柴田だったが何とか堪えて席を離れる。
じゃーねー、と笑う流華に、うす、とだけ返事をしドアから出ていく。
だが、閉める直前、ふと気になることがあった。
「そういえばさ……シバケンって呼び方……」
「うん? うん、陸上の人たちにそう呼ばれてたっしょ?」
「そう、だけど」
「てか、なんでシバケンはワタシのこと三橋呼び? 中学から一緒なのに他人行儀すぎない?」
胸の前で腕組しながら聞いてきた。
「……普通にあんま喋った事なかったろ……今が一番長く話してるぐらいだし」
「そうだっけ? あっははは! 確かにそうかも!」
甲高く少しハスキーな笑い声が無人の教室に響く。
「山川がな、普通に俺のことをそう呼んでて不思議だったんだよ、三橋の影響か」
「え~ダメだった? 『シバケン』、良いあだ名じゃん! ほら、ワンちゃんみたいで可愛い!」
「どこがだよ! はぁぁもういいや……帰るわ!」
「ほーい、んじゃまた~」
今度こそ、柴田はドアを閉めて廊下を歩きだした。
結局、「シバケン呼び」というネタを提供してしまった感があるが、それはもう仕方がないことである。
今日はたまたま三橋と会話をしたがこれは稀なことだ。俺が面白い反応を示さなければ興味を持たれることもないだろう。そんなことを考えつつ。気持ちは目下最大の困難であるリレーの方へ向かっていく。
(トレーニングとかしといた方が良いよなぁ)
だが、この時柴田は理解していなかった。三橋が言った「んじゃまた~」の意味を。
北海道の田舎は列車の本数が少なく、目的の駅に行ける列車が1時間に1本という場合も多く、学生達は帰宅に適した時間の列車をそれぞれ「5時電」、「6時電」と呼ぶ。
時刻は午後5時20分。乗り換えと少ない本数の関係上、帰宅するには「6時電」に乗らなければならない。つまり地元の近い流華もその列車を利用することを意味しているのだ。
結局、シバケン呼びを弄られた上、リレー代表選出の際に大見得切ったことを散々擦られながら乗車時間を過ごした。