第三十話
いつもの教室に着いてから授業中はおろか休み時間すら後ろを振り向けなかった。
流華と目が合ってしまうのを恐れたからである。
いつも話す間柄ではないので不都合はないのだが、自分でも分かるくらい柴田は彼女を意識していた。
ここ数日間はクラスメイトと昼食を共にしていたのが幸いだった。一人で黙々と食べていたら、背後を意識しっぱなしで全然休めなかっただろう。
昼食を共にする程度にはクラスに馴染めている、と普段なら安心するところだが、結局放課後まで柴田は謎の緊張感を持ったまま過ごすことになった。
帰りのホームルームが終わり、クラスメイトが下校や部活に向かうため騒がしくなってきた。
「シバケン、この後空いてる?」
山川と長谷川が近寄って来た。
帰宅してからの予定などない。家で待っているのは下品な親子だけだ。しかし、この後すぐには。
「わりぃ、アイツらとの最終打ち合わせがあんだよ」
「アイツらって、あぁ……工業か……。もう来週の今頃には体育祭だもんなぁ。気ぃ短いアイツらとよくやってんよ」
「はは、毎回決死の覚悟で会ってんだよ」
「んで、上手く行きそうなの?」
スポーツバッグを肩から下げる長谷川が神妙な顔をした。
「どうだろうな……」
「どうだろうなって……! 上手く行かなきゃヤバいだろ、何されるか分からねぇし———」
「色んなパターンを既に考えてある。金が集まらなかった場合とか、集まったけど配当金の支払いで目標金額が手元に残らなかった場合とかな」
「集まったけど、騙してシバケンをリンチする場合は?」
「怖いこと言うなよ……」
加納には信用がどうだとか言って煙に巻いたつもりでいたが、当然その問題は残っている。目標金額に達していても、集まっていないと言われれば柴田には追及のしようがない。そうなれば一方的な暴力が待っているだけだろう。
ので、当然考えている。
「問題ない。スパイを潜り込ませている。隙をついて帳簿を写真に記録してもらってるんだ」
「マジかよ、用意周到だな」
「あぁ、だから心配すんなよ。当日は優勝に向けて頑張るだけだ」
口ではそう言ったが、問題はかなりある。体育祭ギャンブルはインモラルでイリーガルな賭けだ。開帳にはそれ相応のリスクが伴う。どれだけ偏差値が低い加納でもその認識は持っていた。加納が裏切りを警戒したのと同じように柴田も当然警戒する。
裏切られ柴田にどんな損害が発生しようが、事が事である。「体育祭でギャンブルしてたんですけど、アイツらが裏切ったんですぅ」とは言えない。親にも教師にも警察にも相談できない。対等のようでいて実際には柴田が不利な状況とも言える。
二人にはバレないように一度深呼吸をした。
前提として、30万円を集めること。1年A組に一票も入れさせず優勝すること。これだけでも困難を極めるが、いつ起こるか分からない裏切りや不測の事態も考慮しなければならない。
手は尽くしたはずだが最善だと安心することはできない。
最悪の状況に対処できるジョーカーはないものか。割り切ったように見せかける柴田の笑顔はどこかぎこちない。
「んで、用は何だったんだよ。またファミレスか?」
「いや、実際の会場で練習しようかなーって思ってたんよ。長谷川が予約してくれたんだけどさ、ちょうど19時からの枠空いててよー。部活終わってからだけど一緒に練習しね?」
甲子園に出場する高校球児が大会前に実際の球場で練習を行う、みたいなことを言いだした。
「気合入ってんな」
「当然っしょ! でさ、打ち合わせってそんな時間かからねぇだろ? やろうぜ、夜に体育祭練習って何かテンション上がるだろ? 明日は土曜日で休みだしさ」
「あぁー……でもな、電車がな……帰れなくなる」
柴田にとっての終電は20時過ぎ頃。乗り換えの関係上、その便に間に合わなければ乗換え駅からタクシーで帰るか、親に迎えに来てもらわなければならないのだ。
ド田舎高校生にとっての門限とは親に決められるものではなく、鉄道会社によって決定されるものである。
嬉しい申し出だったがこればかりはしょうがない。改めて断ろうとした時、長谷川がきょとんとした顔で言う。
「俺ん家泊まれば?」
予想外の提案。
「え、いや…………いいのか?」
「おう、全然良いよ? あ、もしかして枕変わると眠れないタイプ? シバケンそういうとこ神経質そうだし」
「いやそんなことはねぇよ。授業中もよく寝てるし」
そんなやり取りを終えると、19時にスポーツセンターに集合ってことでー、と二人が走り去っていく。
(やだ、長谷川くんイケメンだわ! そしてフットワークが軽い! これが陽キャのスピード感なのかしら⁉)
お泊りが決定した柴田がしばし、彼らの後ろ姿を見ていると、加納との集合時間が迫っていることに気が付く。
今日も柴田は大忙しだ。
スポーツセンターは学校からも駅からも遠いところにある。そばに国道があり、車の利用が前提なのか、市内のどの学校からも遠いという絶妙に利用しづらい施設に位置している。
とっぷり日が暮れた第一体育館前。
この場所だけで野球ができてしまうのではないか、という広さの駐車場には既に野球部、もといバレーチームが集結していた。
「おー来た来たー! おーいシバケーン、こっちこっちー…………っていや、あのさ、自分ほんま何なん?」
「はぁはぁはぁ、あぁ? なんやとコラ……はぁはぁ」
「決起会の時もそうだけど、なんでいっつも汗まみれなんだよ!」
「シバケンよ、趣旨分かってる? これはシバケンの実力向上のための特訓でもあるわけよ、肝心の本人が登場から虫の息ってどういう訳……」
荒い息以外のものが口からまろび出そうになるのを堪える。
「ひぃひぃ……、い、いやちょっとな……学校から公園行って……また学校戻ったは良いんだが、駅まで送って、い、いや駅に行く用事が出来ちゃって……はぁはぁ、そこからスポセンまで走って来た訳で……」
「どういう訳だよ」
「とにかく入ろうぜ、閉館まで2時間しかねぇ」
長谷川が先頭に立ち、センター内に入っていく一行。簡単な手続きを終えると第一体育館のAコートの使用許可が下りた。
「なんで自転車使わないの?」
「はぁはぁ……普段から歩いたほうがトレーニングになるかと思って……最近は駅前の駐輪場に置きっぱなし……」
市営のスポーツセンター内はどこか不気味な印象を与える程静かだった。節電の為かロビーと廊下の照明は最低限といったところ。夜の学校を思わせる雰囲気があった。
薄暗い廊下をしばらく行き、金属製の扉を開けると景色が広く開けた。
「おー久しぶりに来たけど、やっぱ広いなー!」
「おわっ眩しいー……目が焼かれるわこれ」
学校の体育館よりも広い空間は煌々とライトが照らされ、声もかなり反響する。
隣のコートは社会人のバドミントンクラブが利用している様で、こちらを見ることもなく黙々と練習に励んでいた。
野郎どもがコートの端までやって来て荷物を下ろすと、山川がパン、と手を叩いた。
「ネット設置しますか!」
うーっす、と適当な返事をすると男たちがぞろぞろと器具庫に入っていく。
「ごめん、俺ちょっと休憩…………なんなら寝たいまである」
「うぉい!」
そんなこんなで3分が経過した頃には立派なバレーコートの完成である。
柴田の呼吸も回復したところで練習開始だ。
「約束の1週間が過ぎた。見せてもらおうか、シバケンの実力とやらを!」
秋穂のシゴキに耐えてきた正メンバー。実際にネットを張った実戦練習はそれほど経験が無いはずなのだが、顔には自信が満ち溢れている。だが、そんな面々を前にして尚、揺るがぬ自信を持ち、ドヤ顔を披露する者が一人。そう柴田である
ジャージを肩に掛けて不敵な笑みを浮かべている。
「舐められたものよな。やる気になった俺がどれだけヤバいか分からせてやろう」
「お、おい見ろ! アイツ、専用のサポーターまで着けてやがる!」
「マジだ! しかも肘と膝両方に⁉」
本格的な装備に慄く一同。
(妹のやつだからすげぇピチピチなんだけどな)
柴田は形から入るタイプである。
各々が配置につく。セッターに長谷川、レフトに山川がついた。
対するコートには柴田一人。柴田の実力が試される。
「行くぞー!」
「来いやー!」
ボール出しが軽くトスを上げ、山川がそれをオーバーハンドパス。ふわりと柔らかくボールが打ち上がり、レフトの方向へ。慣性が喪失し、ボールが落下を始める。アタッカーは山川だ。
軽く助走をつけた山川の両足が地面から離れる。
(当然だけど、妹より打点が高ぇ!)
叩きつけるようなスパイクが射出され、着弾と同時、体育館全体に炸裂音が響いた。
初の全体練習はあっという間に終わった。彼らの感覚としては「さっき始めたばっかりじゃない?」という位、時間も忘れて没頭した。それだけ充実した練習だったのだ。
体力にはそこそこの自身があった柴田だったが、学校から公園、公園から学校、学校から駅前、駅前からスポーツセンターというミニマラソンで疲弊していたこともあって、HPゲージは既に真っ赤。毒による固定ダメージで絶命するような状態だった。
「いんやー、楽しかったー!」
「そ、そりゃ、あんだけ好き勝手打ち込めば楽しいだろうよ……」
「だって、手応え凄いんだもーん!」
「大丈夫かシバケン。人間サンドバッグ状態だったぞ……」
担がれるようにしてスポーツセンターを出る。
「体育祭は金曜と土曜だろ? 木曜日にまたやろうぜ!」
「いいねぇ! やろうやろう!」
「次は速攻を完璧にしようぜ! クイックできたら返せる奴なんていねぇだろ!」
「クイックって低いトスだろ? また俺の負担が増えるじゃねぇか」
(野球部の体力は底なしかよ…………もう抗議する気力もねぇ……)
「飯食う? どうする?」
「ファミレス…………は、そっか工業がいるかもしれねぇよな」
「ラーメンで良いんじゃね?」
「それだ! あー腹減ったぁ~。あのほぼ泥のスープを胃に流し込みてぇ~!」
「シバケンは? ラーメンで良い?」
「…………うゆ……」
人語を放棄した柴田。皆自転車移動なのでこの後すぐ走らされることになる上、油まみれのラーメンを食べた後盛大にゲロを吐くことになる運命を彼はまだ知らない。
皆が駐輪場に向かう中、一人ロビー前に取り残される柴田。
火照った身体に当たる夜風を堪能していると、腰を掛けている階段のすぐ脇に光る何かが見えた。
施設から漏れた明かりをギラギラ反射し、薄暗くてもそれが何なのかすぐに分かった。
タイヤが前と後ろに二つ。ハンドルが付いていて、フレームは細い。前タイヤの上には籠がついている。
「金色の自転車……?」
つい最近、同じものを見た気がするが、記憶をリプレイするのも億劫だった。
柴田はその異様なマシンを無視して、友人らが自転車に跨ってやってくるまで身体を休めることにした。




