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第二十六話

 柴田は気が重くて仕方がなかった。

 頼られたり期待されるとできないことでもできると言ってしまう調子乗りの性格なのは自覚するところだが、なにも補欠でバレーチームに参加することになったのを嘆いているのではない。今日はそういったいつもの緊張とは別の恐怖があった。

 公園と道路とを区別するようにイチョウの木と鉄柵が立ち並ぶ公園。日は傾きかけているが夕方というほどではない。

 ここはあの夜、柴田と加納ら工業生がやり合った公園。

 この場所を訪れるのはもう何度目かになるが、決まって柴田を陰鬱な気持ちにさせた。

 自業自得とはいえ柴田を苦しめる原因となった場所。あの夜とは違い日中の明るさによる多少の安心感があるが、やはりこの場所に来るのは気が滅入る。

 コンクリートの遊歩道をひたすら歩くと、次第に公共トイレの四角い輪郭が大きくなる。柴田と工業生の決まりの集合場所となっていた。

 ため息を一つついて柴田は自身の頬を叩いた。気合を入れろ、と。己を奮い立たせる。

 あの夜と同じように彼らと顔を合わせるときは常に対等以上の姿勢を意識しなければならない。でなければすぐに飲み込まれてしまう。舐められたらそこで終了なのだ。

 トイレの入り口の脇を抜け角を曲がると、

「よう柴田ちゃん、待ってたぜぇ……逃げたのかと思ったわ」

 相変わらず獣じみた醜悪な笑顔だな、と柴田は思った。

「待ち合わせにはまだ2分早いはずだ。そうやって隙あらば優位を取ろうとするなよ」

 加納は今日も手下のような友達を3人引き連れ、タバコをふかしている。

 砂利を踏みしめて柴田が一歩前に出ると加納もそれに応じる。

「おい、あんま調子乗んなよ? お前は利用できるから締めずにこうして会ってんだ。イラつかせんな」

「こんなのただの挨拶だろ? そう噛みつくなよ。あとヤニ臭いからあんま顔近づけんな」

 破顔した加納が加えたタバコを吐き捨てる。

「金が手に入ればそれで良いんだけどよぉ、俺はむしろビジネスが失敗してテメーをぶん殴れる理由ができた方が楽しみになってきたわ」

「……そうはならねぇよ……さっさと本題に入ろう。受付開始まで時間がない」

 柴田が提案した体育祭ギャンブル。

 西高で開催される体育祭で全18あるクラスのどこが優勝するか予想する、というもの。工業生を中心に参加者を募ることを前提としているため、胴元は加納が引き受けることになっており、控除率の決定権も彼らが持つ。

 目標金額は30万円。加納があの夜に思い付きで決めた額だったが、今更どうこうできる問題ではない。

 改めて彼らに説明をしながら柴田は思う。

(正直、かなりしんどい額だ……ただ集めるだけでも骨が折れる。その上、もし集められたとしても賭けの的中者がいればそいつに配当金を支払わなきゃならねぇ。そうなれば絶対にこいつ等の手元には30万なんて大金は残らない……)

 もし目標に到達しなければ柴田はリンチに遭う。否、それだけで済めばむしろ良い方かもしれない。これからの学校生活、加納に付きまとわれ、怯えながら過ごす羽目にもなりかねない。加えて、柴田が目を付けられたことにより、西高の他の生徒にまで被害が広がるかもしれない。

思い浮かぶのは背の高い制服の少女の姿。最悪の場合を考える柴田が奥歯を噛みしめる。

「———つーわけで、教師等の大人に話が漏れる可能性を考慮して賭けの受け付け開始は体育祭がある週、月曜日からにしようと思う。それと発覚を防ぐために参加者の氏名と賭けた金額は記録してくれ、密告防止になる……あぁ、ノートじゃなくてスマホでな」

 この辺りの説明も既に何度目かになる。加納らは飽きたとばかりに欠伸を繰り返しているが何度も確認することに意味はある。

 何せ高校生が勝手に賭博場を開帳しようとしているのだ。モラルとかいう話以前に完全なる違法行為。

 手順に間違いがあってはならない。身近な大人である教師にバレないように動くのは勿論のこと、参加者である博徒も厳選する必要がある。必要以上に盛り上がればその分、善良な生徒に「あいつら体育祭で賭けてますぜ!」とチクられる可能性も高まる。

 慎重になり過ぎて損は無いのだ。

「分かってらぁ、次は派手に動き過ぎるなって言うんだろ? もう何度も聞いた、いい加減しつけぇ」

「大事なことだ、金以外にも賭けてるものが多いんだよ」

「あー?」

「次に、的中者を出さないためにはどうするかってことだが———」

 神経質なほど計画を確認する柴田とは反対に、加納にはこの賭けを成立させる自信があるのかもしれない。マジメに聞いていない。

そこそこ名の知れた不良で、ここら一帯の学生は皆、加納に震えている。にもかかわらず、加納は退学にもならずに学生という身分を維持している。それは加納が非常に上手く立ち回っていることの証左だ。のらりくらりと教師や警察の追及を躱してきたのかもしれない。だからこそ、ギャンブル程度の違法行為では慌てないのではないか。

 改めてそう思うと、柴田の背中に冷たいものが伝う。

 のどかな田舎で一生を過ごしてきた柴田が遭遇してこなかったタイプの人間。悪党。

 今対峙しているのは、そういう男なのだ。

「思ったんだけどよ、俺たちのリスクが高過ぎだよなぁ?」

「…………どういう意味だ」

 2本目のタバコに火をつけ、吸い込んだ煙を柴田に吹きかけた。

「……ちっ」

 せき込むのを堪えて加納を睨みつける。

「西高の体育祭でお前が賭場を開けばバレるリスクが高いってのは分かる。だから他校である俺らが胴元を引き受けるってのも納得できる。……だがな、お前はどうなんだ? こっちに参加するわけでもなくただ指示を飛ばすだけ、共犯のようでそうじゃねぇよな?」

(こういうことには頭が回るのか、コイツ……)

「土壇場で裏切るつもりか?」

 静かな怒気を察したのか後方の取り巻き三人も柴田ににじり寄る。

 思わず後ずさる柴田。

 まだ日は高いとはいえ、公園の端のトイレ裏。外からは見えづらい位置。あの夜と同じ粘着質の緊張が走る。

 脂汗が噴き出る。眼球の移動だけで彼らの表情を見た。

「……こ、こればかりは信用してもらうしかない。お前らは発覚のリスクを負うが俺にもリスクはある。それはお前たちそのもの……いいか、もしこの計画が失敗、あるいは目標の30万に到達しなかったら俺はお前たちにボコされる。もしお前らが停学や退学処分になってもそれは変わらないだろ?」

 柴田が言うと取り巻きの一人が笑う。

「そらそうだ、そうなったら絶対に許さねぇし、ケツの毛まで毟り取ってやんよ」

 ぎゃははは! と加納も唾をまき散らしながら笑う。

「だ、だよな? そんなことになるのは当然俺も嫌だ。お前たちを裏切って、一瞬スカッとしたところで俺に得はない。だから俺は裏切らない…………分かる?」

 風に木々が揺れ、ざわざわと音を立てる。

 ふん、と加納が鼻を鳴らすのが僅かに聞こえた。

「だがな信用って言っても、俺らが真剣に金を集めなかったらどうする? テメェをぶん殴ることを優先すれば———

「それはないだろ。いくら俺にムカついても、30万をみすみす逃すマネはしないはずだ。そもそも分かっててこの話に乗ったんだろ? そうする気がねぇのに聞くなよ」

「ちっ」

「お前らは俺が言った方法で金を集め、俺は体育祭で優勝する。それだけだ……このまま何事もなく終わった方がお互いのためだと思うが……違うか?」

 取り巻きたちは押し黙り、加納は顔面を真っ赤にしながら青筋を立てる。

「…………これ見てくれ」

 柴田は袖を捲って両腕の内側を男たちに見せた。

「キモ!!! んだそれ!」

 柴田の両腕は紫の段階を超えてほぼ黒く変色していた。嫌がる妹に小遣いを渡してバレー練習につき合わせた結果だった。指先はテーピングが巻かれ、自主練習の過酷さを滲ませている。

「リレー以外にも役目が増えてな、この通り必死こいて優勝に向けてやってんだ。これほどじゃねぇけど、部活並みの気合で俺らのクラスは全員練習してる。俺の役目は1年A組を優勝させて、的中者のいない大穴馬券をつくることだろ?」

 クラスの女子は事情を知らない。あまり大人数に話が広まるとどこから漏れるか分からないため伝えなかった。だが、ここ数日男子の練習を一通り見てきた柴田には分かった。本気だ。

 バスケも野球も卓球もかなりの熱量で、それに当てられた女子も体育祭への気運の高まりが見られる。

 加えて、柴田にはまだ加納にも話していない計画があるのだ。

「それに必要に応じて次の計画の用意もあるんだ。俺は裏切る用意よりも成功させる努力をしてるんだ。分かってほしい」

「あー? それが何の保証に———」

 加納が苛立たし気にタバコを投げ捨てる。

 いっそこの場で一部の計画について話してしまおうかと柴田が覚悟した瞬間。


 取り巻きの一人が柴田の方を指差し加納に耳打ちをした。


「?」

「…………は? 間違い———西高の———ちょうって、クソ———キバ———」

 途中から柴田の話など聞かずヒソヒソやっている。

 柴田が声をかけてもうるせぇ、としか返ってこない。

 相談が終わったのか1分が経過した頃。加納は、

「もういい……分かった。とりあえずテメェの計画で進めてやる」

 突然食い下がる加納。その顔は青ざめているようにも見えた。

 柴田がぽかんとした顔をする。

「あ…………あぁ、そうか……分かってくれたなら良いけど…………何だよ急に」

 どけ、と柴田を押しのけて足早に男達がトイレ裏から出ていこうとする。

「どうした、タバコ吸ってんのバレたか?」

「違ぇよバーカ、女だ女……この後流華と会う約束してんだよ……そういうことだから次は金曜日に最終打ち合わせな」

「は? 流華って……」

 慌てて振り返る柴田。先ほど取り巻きが指していた方向を見る。

(流華⁉ 流華がいるのか? ………………………………………………………………い、いねぇ?)

 街路樹の奥に見える道路にそれらしい人物はおらず、跳ね上がった心臓が徐々に落ち着きを取り戻していく。

「それと、西高で賭けの話は広めるな、俺らで全部やる」

 そう言い残すと加納らは走って行ってしまった。

(やけに物分かりが良いようで……)

 初夏というにはいささか涼しい風が吹き抜ける。緊張から解かれた柴田は安堵からか、しばらくその場に立ち尽くした。


 公園から出ていく男達の背中を呆然と見送り、そこでハッとした。

「アイツ、マジで加納と会うつもりか⁉」

 新たに浮上した問題。『三橋流華が加納に喰われる⁉』の解決の方が優先度が高い。

 緊急クエストが発令され、柴田は慌ててスマホの電源を入れた。しかし。

「そういえば連絡先知らねぇじゃん」

 流華と話すようになったのはここ最近のことである。もし連絡先を持っていたところで普段連絡することなどないだろうが、こういう場合には非常に難儀だ。今更ながら聞いておかなかったことを後悔した。

「あーくそ、加納達追いかけて合流するの待つか⁉ いやでもそうするともっと面倒なことになるし……えーっとえーっと……」

 柴田が持つ流華の情報を総動員する。

「放課してからもう結構時間たってるし……部活には入ってねぇし……行くとしたらどこだ……」

 最近の流華との会話を思い出す。コーヒーで溺死しかけた時、札幌で食事した時。

(いやもっと前…………最初に)

『ネチネチ言われないために勉強してるんだ、でも別にこれくらい良いじゃんね?』

 高校で初めて会話した時、柴田がリレー代表を引き受けてしまった時の放課後、教室。

 彼女は派手な服装を勉強を理由に咎められないために勉強していると言っていたのではなかったか。

「自習室!」

 柴田は走り出す。

 中学の時よりもずっと速くなった脚を最大限回転させて西校へ向かった。

 だが、最大加速に到達する寸前、柴田の脚が一瞬緩む瞬間があった。


(自転車、金色? 中年のオヤジ? タンクトップ…………なんで?)


 公園の出口が見えた時、横合いから柴田の後方を横切るように妙な恰好の中年男性が見えた。

 気がした。


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