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第二十二話

 退屈な午前の受業が終わり、休み時間に突入すると運動部を中心に何人かの男子生徒が購買に駆け出して行った。この高校には学食などというハイソサエティなサービスはない。地元のパン屋が隔日で総菜パンや菓子パンを販売する購買が開かれるだけである。地方の公立高校なので当たり前と言えばその通りなのだが、入学当初、柴田は少しがっかりした。漫画やアニメのように屋上は解放されていないし、何でも屋的な部活動も、権力絶大な生徒会もこの学校には無かった。入学前にも学校説明会で一度見学には来ていたが、本当に何の変哲もない学校なのだと入学してからつくづく思っていた。

 刺激的なスクールライフへの淡い期待は入学して一か月で無惨にも破壊されていた。

「せめて学食ぐらいほしいよなぁ」

 周りに聞こえないように呟きつつ持参した弁当を頬張る柴田。

 工業生との一件があった直後から、柴田を取り巻く状況は少し変化した。

 具体的に言うと、クラスメイトから話しかけられるようになったのだ。

 あの夜の出来事が強烈だったようで、山川と長谷川は前にも増して絡んでくることが増え、その他の男子たちとも自然に話せるようになってきていた。

 とはいえ、柴田には旧知の友人もおらず、頼れるコミュニティがない。相変わらずほとんどの者が部活仲間や同じ中学の友達とグループを作っている。

 山川と長谷川もバレー練習に勤しんでいるらしく、早弁で食事を済ませて、昼休みが始まった瞬間体育館へ走っていった。

 そんなこんなで本日も一人寂しく弁当を突いているのである。

(ま、一人飯は中学で慣れているから今更何とも思わんけど)

 孤高の男、柴田は強い。便所飯もせず、周りの目が気にならない程度には中学で鍛えられた。間違っても孤独なのではない、あくまで孤高である。「なんだか今日の卵焼きは少ししょっぱいや、母ちゃん塩入れ過ぎたのかなー、あれ、なんだか目から汗が」と脳内モノローグをしていると、今日も気合の入ったなんちゃって制服に身を包む流華が柴田の机の前で立ち止まった。

 ミニスカートから伸びる脚は今日も眩しい。生足の引力に引かれる視線を誤魔化す。

 いつにも増して厳しい顔をする彼女の手には一本の缶が握られていた。

「これ」

 手に持っていた缶を柴田に差し向ける流華。

「? ええっと……? なに、くれるの?」

「そう」

 なぜか目を合わせない流華に柴田の頭の中は「?」で埋め尽くされた。

「くれるってんなら貰うけど……え、なに、俺何かした? もしかして賄賂的なあれですか、それとも口止め料的な」

「……」

「え、まじで? なんで?」

 流華は一度周囲をぐるりと見まわしてから缶を柴田の机の上に置いて後ろの席に着いた。よくみると柴田が愛飲しているメーカーのブラックコーヒーだ。

「マジでくれるんだ……サンキュー」

 背もたれに肘をかけ、半分振り向いた状態で流華を見る。

「……私が言ったこと絶対忘れて」

 掌で顔を覆った流華が呟いた。

 直近の流華とのやり取りを思い出す。思い出すのは当然、休日の札幌でのことだ。

「言ったことぉ? …………あ、あれか! 私はちゃんと見てるから、とか確かそんな感じ———」

「あああああ! 言わないでいいから! マジで!」

 手をバタバタさせ柴田の口をふさごうとする流華。

 見たことのない彼女の取り乱しように柴田がニヤリと笑う。

「いやぁ、感動したなあれはー、うん、俺の今年のハイライトに入るくらいドラマチックな瞬間だったあれは」

「マッジでうるさい! あれはそういう事じゃないから、分かってる⁉ 勢いでああいう言い方になっただけ、勘違いしないで!」

「何今の? ナチュラルなツンデレ?」

「うっさい!」

(おぉ……なんか新鮮だ、睨みにもいつものキレと迫力がない。余裕がない三橋を見るのは初めてかもしれない、うん、これは良い)

 正直、柴田は札幌で言われた「私は見てるから」発言に感動すらしていた。今こうして思い返すと、確かに少し臭いセリフであり、告白ともとれるようなニュアンスがあったが、柴田はそれを使って流華を弄ってやろう、とは微塵も考えなかった。

 なにせ、クラスメイト全員の前で「ぶっちぎりで走り抜きますから!」と発言するような男である。その程度の発言、ドラマチック柴田にしてみれば入門編の1ページ目程度のことである。まったく痛々しいとか恥ずかしいなどとは思っていなかった。

 だが、

(こうして恥ずかしがってるのをみると、多少のいたずら心が芽生えるというもの……散々、上から目線で弄ばれてきたんだ、これはやり返すチャンス!)

 柴田は生暖かい視線を向けながら、

「大丈夫、あの時のことは俺の胸の中に大事にしまっておきます。あの言葉を胸にこれからも生きていきます」

「きしょーい! 何その顔‼ 半目で見んな!」

「きしょいって言うな、俺の渾身の仏フェイスだぞ」

「仏とか以前の顔でしょそれは!」

「失礼過ぎるぞ、おいおい俺にそんなこと言っていいのかなー、山川あたりに喋ったっていいんだぞ? あーあ色々面白おかしく脚色して話しちゃおっかなー、あいつのことだから真っすぐ誤解してくれちゃうんだろうなー」

「え、それってどういう」

「山川は恋愛関係の話好きだろ? こおんなドラマチックなセリフ言われちゃったんだーって話したら、当然あいつは」

「!」

「三橋は柴田のことがす———」

 言い終わる前にすべてを察した流華は、猫のように素早くしなやかな動作で身を乗り出し、柴田の机にある缶コーヒーを掴んだ。

 流れるような動作で蓋を開けると、柴田の頬と顎のあたりを思いっきり掴みかかった。

「ちょ、なにひへ」

 万力に挟まれたように柴田の口が強制的に開かれる。

「もーやだー、シバケンが口止め料? って聞いたんじゃん」

 ギリギリと顎が音を立てる。

「その通りだよ、ボケ♡ これ飲んだら契約成立、ぜーんぶ黙っててくれるよね?」

 柴田の脳内・危機管理センターに警報発令。第一種警戒態勢を発令。だが、時すでに遅し。

「はい一気一気! ぐい、ぐい、ぐいぐいぐいっとぉ!」

「へひひふうぅ(溺死する)! ぐっ、ごぶぼぼぼぼごごごごごっ」

 流し込まれる大量のコーヒー、吐き出せば楽になれる。だが、位置的にそうすれば流華にかかってしまうのは明白。後方のギャル仲間は事情は知らないだろうが柴田が一気飲みさせられている様を見て爆笑している。この状況で流華がコーヒーまみれになれば一気にそのボルテージは急下降。下手をすれば柴田が悪者にされるかもしれない。

 飲み干すしかない! と決意しながら柴田は少し泣いた。


「シバケーン、バレー練習手伝ってくんねー? ———ってなにこれ、ギャル地獄の一気責め?」

 タオルを首に巻いた山川が教室のドアの前で呟いた。

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