第零話-6
「マジで何やってんの?」
「……」
空は雨に変わった。
男子第一更衣室に不快な湿気が漂い始め、剣呑な空気が支配する。
勝利した学校の生徒は無言で着替え、柴田ら選手の様子を盗み見ていた。とても勝利に歓喜する雰囲気ではない。
「なんで陸部のテメェがバトン落としてんだよ、なぁ⁉」
「……」
怒声が響く。
「ありえねぇだろ普通……何の為の陸部? 何の為のアンカー? 使えねぇカスがよ」
柴田は何も言わない。黙ったまま俯く。
レースが終わってからというもの、どれだけ責められても柴田は沈黙を貫いている。
「なぁ、マジでありえなくねぇ⁉ 絶対あのまま優勝できたよな? 俺めちゃくちゃ捲ってたろ⁉」
菅野が後ろにいる3年生の二人に呼びかける。
「あ、あぁ……まぁうん」
「でも、俺は遅かったから、それはどうか……」
曖昧な返事をする二人。
「は? 何、こいつの味方すんの?」
「いや、そういうわけじゃなくてさ…………、うんやっぱ何でもない……ごめん」
語気が強まったのを察知したのか、二人は視線を外して荷物をまとめる。
ロッカーを背にして追いつめられるように立ち尽くす柴田はただ茫然とその様を見る。
「お前のせいだからな? 分かってんのか? ……………………おい」
汗と雨で垂れた柴田の前髪から雫が落ちる。俯いているとその表情も窺うことはできない
「おい! 何か言えやコラ‼」
菅野が柴田の前髪を掴み、頭を強引に引き上げた。
グラグラと焦点の合わない瞳が揺れる。
「謝れよ」
「…………」
「こんだけやらかしといて「ごめんなさい」も無しはねぇだろ、なぁ謝れよ」
眼前に迫る菅野の奥に3年の二人が見える。
目線だけで頷いている。「一言謝るだけで良いから、それで済むから」
柴田にはそう言っているように見えた。
「…………」
だが、柴田は何も言わない。
徹頭徹尾、沈黙する。
やがて痺れを切らした菅野は舌打ちをした後、
「本当、何こいつ……俺らはバスケ部なんだぜ、わざわざ助っ人として出てやってるのに、肝心の陸上部がこの態度ってマジでありえねぇ!」
「がっ……っ!」
菅野が柴田の髪を掴んだままロッカーに叩きつけた。
ガシャン! と金属がぶつかるけたたましい衝突音が響く。
菅野が柴田の髪を掴んだままロッカーに叩きつけたのだ。
直後の静寂。耳が痛くなるほどの静けさ。
「まじでお荷物過ぎんよ~、あ~あ何の為に頑張ってやったのか分かんねぇなこれ!」
演劇のように、大げさに聞こえるように言った。
先輩の二人が中途半端に手を伸ばし、他校の選手がひそひそ声で囁いている
「ねぇ……くせに……」
叩きつけた後、柴田に背を向けた菅野が振り向く。
もうどうでもいい、と諦めに似た感情が柴田の中にあった糸のようなものを断ち切った。張り詰めた鋼鉄のワイヤーが暴力の鞭となって暴れるように、決定的に自制が崩壊した。
「は? なに?」
「バスケの大会なんて出られねぇくせに」
柴田に表情は無い。しいて言うのならば能面。怒りすら感じさせないほど静かに言った。
「スタートは練習通りだった、距離感も把握できてた、俺のミスじゃないお前だ」
肩を怒らす菅野が再び柴田の前に立つ。それすら気に留めずに柴田が続ける。
「あの瞬間、俺にバトンは渡ってなかった……お前のミスなんだよ! お前がイキって練習以上の距離を走ったせいに決まってる! どうせもう足が残ってなかったんだろ! だから練習通りにいかなくて俺の助走に間に合わなかったんだ! 俺のミスだと? ふざっけんじゃねぇぞ! 人のせいにする前に自分に落ち度がなかったか考えろよ、頭足りてねぇのかクソ野郎!」
捲し立てる柴田の体に熱がこもる。
「てめぇ……」
「大体、いつも舐めた態度取る割に今日の入れ込み様はなんだ⁉ どうせ、気に入った女でも見に来てたとかそんなくだらねぇ理由だろ! はっきり言ってずっっと迷惑だった! 人に当たるだけ当たり散らして、散々人を不快にさせて……そりゃそうだ! バスケのレギュラー落とされんのも当然だわ! ねぇそうっすよね二人とも!」
先輩二人は口をぽかんと開けたまま固まった。
菅野の眉が吊り上がった。
再び柴田の頭めがけて迷いなく手を伸ばす。それは明確な攻撃の意思を孕んでいた。
しかし、
パシ、とまるで飛んでいるハエでも追い払うかのような動作で、伸びてくる掌を止める柴田。
「お前がお荷物なんだ」
腕を掻い潜るように身を縮め、左足で踏み込む。最早、目標など見据えなかった。タックルのように全体重をかけて力任せに拳をふるう。
柴田の拳が、菅野の顔面に突き刺さった。
ぐしゃり、と肉とその奥の硬いものを打つ感触があった。
同時に先ほどとは比べようもない直撃音が更衣室全体を揺らす。
大柄な体躯が勢いよく叩きつけられ、手足を投げ出して転がっていく。
人間砲弾はロッカーの扉を大きく折り曲げ、背中合わせに置かれた奥のロッカーをもなぎ倒してようやく停止した。
鼻が不自然な方向に折れ曲がって、おびただしい量の血液が流れ出ている。
「大会の救護班か先生呼んであげて」
一言だけ告げると柴田は自分のバッグを肩に下げて背を向ける。
誰が叫んだのか男子の太い悲鳴がこだまする。慌てて更衣室を飛び出していく選手たち。
それに続くように柴田も荷物を持ってドアへ向かう。
サーッと潮が引くように柴田から人が離れていくが、気にも留めずに柴田は更衣室を後にした。
体が鉛のように重たい。
後頭部に触れるとこぶがあり、右拳もズキズキと痛みを発している。
一刻も早く帰りたかった。
段々と騒ぎが大きくなる。バタバタと幾人もの足音が廊下に響いていた。
「シバ……ケン?」
背後から女子? 女性? の声が聞こえるも、柴田は振り向く気すら起きなかった。
ロビーで遭遇した須々木に「先に帰る」とだけ伝え、柴田は競技場から去っていった。




