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第零話-5

 入場すると観客席には陸上部のメンバーが顔を揃えていた。全員が予選で結果を出せなかったはずだが、どこか賑やかな雰囲気でリレーメンバーを拍手で迎えていた。

「健星、頑張れよー!」

 須々木がメガホンを手に叫ぶ。

(どこから調達したんだソレ……)

 笑うと少し体が軽くなった気がした。まだ緊張が残っていることを確認した柴田は、無言のまま右腕を掲げて声援に応える。

「これより、男子4×100メートルリレーを始めます」

 抑揚のない男性の声でアナウンスがあった。

 ぞろぞろと出場者が各自の持ち場に向かっていく中、

「もっと騒げやオラぁ‼」

 観客席近くまで走っていった菅野が皆を煽り立てる。

 観客席はかなりの盛り上がりで、「まだ予選なのにあの学校なに?」と他校の生徒は異様な物を見る目を向けた。

(こういう時は頼りになるのに……そのままノリの良い兄貴分でいてくれよ……)

 唐沢先生が、早く行きなさい! と怒るのも無視して菅野は観客席にいる誰かを探している様だった。ワァ! と応援する者たちが何やら盛り上がっている。

 柴田の位置からは遠くてよく見えない。

 やがて唐沢先生にド突かれたことで観念したのか、菅野は自分の位置へ走っていった。

 よく分からないが、ともかく始まる。

 柴田はアンカーを任された。

 3年生との話し合いの末決めたことだ。全員でタイムを計ったところ柴田が2番目に速かった。最速は菅野だったが、陸上部の顔を立ててやる、と意味不明な気を遣われた結果このようになった。もしかしたら、唐沢先生の圧力なんかがあったのかもしれないな、と柴田は考える。

「第一レーン———中学校」

 出場校は6校と少ないため、いきなり決勝である。

 柴田のチームは第6レーン。最も外側に位置する。

 一部では中央レーンが最も速いという意見もあるが、実証的な裏付けやデータなどは存在しない。大外のレーンは各選手の走行距離を均等にするため、スタート位置が先頭になる。これによりレースの前半では他選手の姿を見ることはほとんどなくなり、距離感を把握しづらくなる、と言われている。

 しかし、これは中学生の大会。国際大会のような高次元での争いではない。そのような不利はあってないようなものである。

 ひたすら全力で走れ。素人3人と+1人に課されたたった一つの使命。

 バトンパスの練習だけはしてきた。なるべく減速せずに受け渡すことがリレーにおいて最も重要。たった2週間だが、4人ともその練習だけは抜かりない。

(不安はない……練習通りに……)

 柴田は一つ深呼吸をしてその時を待つ。

 すると、

「柴田くんだよね?」

 唐突に、隣のレーンで待機する選手が話しかけてくる。

「去年も400メートルで一緒だったね、まさかお互い100メートルに変わって、しかもリレーでも同じなんてビックリしたよ」

 柴田が眼球だけを動かしてその男子を見る。

 女子かと見紛う程に中性的な顔立ちをした少年が涼し気な笑みを浮かべている。骨格が分かるユニフォームだからやっと男子だと分かるレベルである。

 柴田の学校のユニフォームには学校名だけがデザインされており、個人の名前は表記されていない。ゼッケンにも番号が割り当てられているだけでどこにも「柴田」という名前は入っていない。にもかかわらず、この少年は自分の名前を呼んだ。

 去年のどこかの大会で走った記憶を辿るが、検索結果は0件。

 そこで柴田が取った行動は、

 無視である。

 顔を背けて足の筋肉をほぐす。

「え……あのー………………うん、ごめんね」

 心が痛まないわけでもないが、もうすぐレースが始まる。こんな時に話しかけてくる方が悪いのだ、と柴田は自らの身体と心に集中する。


 昔から少しだけ足が速かった。でも運動神経が良いわけじゃなくて、本当に足が速いだけだった。

 運動会も体育大会もほんのちょっぴり優越感を味わえた。だけどそれは特別な努力をした上での成果ではなかった。

 初めてだった。初めて努力をして、速くなりたいと思って練習した。

 半ば強制的に入れられた陸上部。部員はいなくて、毎日ひたすら走り続けた。

 情熱もなく、ただメニューをこなしてきた。

 だけど、応援してくれる友達がいた。

 気づかなかった。認められてるなんて思わなかった。

 心が躍った。期待に応えたいと思った。

 正直、中学の部活ごときで何をおおげさな、と自分でも思う。

 柴田ならできる! なんて根拠のない冗談だ。良い気になって失敗したらそれこそ笑いものだ。

 でも、そんな冷静なフリをしたもう一人の自分を置き去りにして走った。

 全道大会進出。極めて小さくハードルの低い目標かもしれない。だがこれで十分。

 俺が走る理由なんてそれだけで十分だ。


 競技場が静まり返る。観客の息づかいまで聞こえてきそうなほどに。

 そして……


 On Your Marks………………

 Set……


 号砲が鳴り響いた。

 第1走者が一斉に駆け出し、同時に観客が沸く。

(スタートは上々……スタートの練習をしっかりやってたっすよね)

 第一走者はバスケ部の3年。本業の部活の合間を縫ってクラウチングスタートの練習をしていた姿が思い出される。柴田はろくに話したこともないが、文句も言わずマジメに取り組む姿勢を勝手に尊敬していた。

 実力はそこそこ、学校においては間違いなく速い部類に入る。

 仕方のないことだが、走りのフォームは綺麗とは言い難い。本当にがむしゃらに走っているだけ。

 しかし、極端に差を縮められることはない。

 歓声が響き、第2走者が走り出す。

 スムーズに受け渡されるバトン。

 少ない練習時間を考えれば最高のバトンパスと言えよう。

 第2走者もバスケ部の3年。

 ここが鬼門だと柴田は考える。

 実力は中の中といったところ。4人の中では最も遅く、あまり練習にも参加できていなかった。

リレーにおいて第2走は内側レーンの選手が追いつき始める頃。バトンパスの際に混戦模様となる場合が多い。よって頭が良く冷静な性格の方が良いかもしれない、という唐沢先生のアドバイスに従ったオーダーとなった。

 本来、走力に差があり過ぎるとバトンパスが上手くいかない可能性が高まるのだが、第3走者が「俺が稼ぐから問題ねぇだろ」と豪語したこともあって、彼が第2走を任されていた。

 柴田の位置から遠景で見ると、はっきりと差が縮まっているのが分かる。

 大外のレーンだから、というだけではない。やはり他校とレベル差がある。

 緊張が高まる。

 次にバトンが渡ればその次は柴田の番。目を見開き、もう一度深呼吸をする。

 厚い雲に覆われた空は今にも泣きだしそう。6月にそぐわぬ冷たい風がトラックを吹き抜ける。

 テイクオーバーゾーンに差し掛ろうかという瞬間。

 第2走者の走りが唐突に乱れた。

「⁉」

 第3走の菅野がまだスタートを切っていない。助走を始めていないのだ。

 急減速する第2走者。

 観客席の悲鳴にも似た叫びが柴田の鼓膜を震わせる。

 そのまま不格好にもつれるようにしてバトンが渡り、菅野が駆け出す。

 時間して一瞬。だがこのバトンパスは失敗———、

「いやそうか…………どこまで自己中なんだ……」

 潰れた差がみるみる内に取り返されていく。

 遠くに見えていた彼の姿が一気に大きくなり、柴田にもその表情が見えてきた。

 笑っている。犬歯をむき出しにして凄絶な笑みを浮かべている。自尊心の塊のような少年が飢えた獣のような目をして笑っていた。

 菅野はセオリー通り十分な助走をつけるのではなく、いち早くバトンを受け取ることを選択したのだ。

 走力に差があり過ぎるとバトンパスは失敗しやすい。第3走者が菅野の加速に追いつけない可能性があった。テイクオーバーゾーンの最も手前で待つ、というのがそういう場合の一般的な対応策だが、その上、更に菅野は走り出しを遅らせた。より早くバトンを受け取ることで自分が走る距離を長く確保したのだ。助走が不十分なことを差し引いても、その方が勝算が高いと考えたのだろう。

練習も事前の打ち合わせも無し。ぶっつけ本番でこれを実行した。

 チームワークは必要ない、自分が全道大会に連れていく。笑みにはそんな意味が含まれているように思えてくる。

 なんという自信、不遜、傲慢か。

 だが、

 速い。

 他校の陸上部と競るどころか上回っている。

 柴田がテイクオーバーゾーンの奥の方で待ち構える。

 菅野のタイムは柴田と同程度。この位置で待つのはあらかじめ決めておいたことだった。

(いける)

 距離感は把握できている。

 柴田がスタートを切る間合いに菅野が踏み込む。

(今……!)

 柴田が走り出す。少し低い姿勢から踏み出し、スムーズに加速につなげる。

 後ろは振り返らない。猛然と加速し続ける。

 ゴォッ! と風の音が聞こえる。すぐ背後の足音がそれに混じっている。

 すぐそこにいる。

 この2週間の練習の通りだ。

 あと数歩でテイクオーバーゾーンが終わる。

(このタイミング!)

 柴田が右手の掌を後方に向ける。

 そして、

 差し出した手にバトンが———、

 バトンが———、

「え」


 チッ、と右手の人差し指に何かが掠める。

 テイクオーバーゾーンを踏み越える。

 右手はバトンを握っていない。

 振り返った柴田の瞳には地面に落ちていく真っ白なバトンが映っていた。


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