第零話-3
柴田が陸上部に入って1年が経過した。
新1年生の入部希望者は当然いない。
当初、唐沢先生は「柴田が去年、もうちょっと良い成績残してくれてたらなー」と口癖のように言っていたが、そんなことを言っても入部希望者が現れるわけではない。しばらく経って諦めたか、と柴田が安心した4月下旬、「ミーティングします!」と急にメンバーを招集した。
「なんだよミーティングって……早くバスケしたいんだけど」
空き教室に部員(助っ人)が全員集められていた。その中には須々木の姿もある。年の暮れに唐沢先生がスカウトしてきたのだ。
「分からん、一年付き合ってきたけど、思い立ったら即行動の人だから……」
バン! と教室のドアが勢いよく開け放たれ、唐沢先生がテンポ良く入室。
「キャプテン! 挨拶お願いします」
しん、と静まる教室。
「柴田!」
「え、俺っすか⁉」
「はぁ……正式な部員はあなただけでしょう? いいから挨拶!」
しぶしぶ立ち上がる。
教卓の前に立つ。新一年生を含めた全部員の視線が注がれる。
「えぇ、先輩方もいる中で大変恐縮ですが、今からキャプテンの柴田健星です」
教室に笑いが起こる。須々木は盛り上げようと指笛までしている。
「第一回陸上部ミーティングを始めます」
本当の意味で第一回である。
「ご苦労様、これから皆の出場種目を発表します。基本は体力テストの結果を考えた結果選んであります」
去年も同様のことはあった。だがそれは週に一度の練習日に行われた。このような平日の放課後ではなかった。
「———まずは2年、柴田健星…………100メートル! 次に———」
「100っすか⁉」
「はい、そう言いました」
「そんな当たり前みたいな顔して…………」
話の腰を折られた唐沢先生が苛立たし気に髪をかき上げる。
この一年、柴田は400メートルの練習をしてきた。100メートルは同じ短距離走に分類されるが、単純に距離は四分の一、より高い瞬発力とパワーが要求される。はっきり言って別物だ。
その旨を伝えても、唐沢先生は「頑張ってください」と言うだけだ。
(ババア! 一言くらい相談してくれても良いんじゃねぇか⁉ 俺は唯一の正部員だぞ!)
全員分の発表を終えた頃。
「今回、こうして集まってもらったのは理由があります、4×100メートルリレーに出場するメンバーを決めたいからです」
と、またも唐突に言った。
いつも種目を勝手に決められていた生徒達。ざわざわと動揺が広がる。
「原則として出場する種目は一種のみと決められていますが、リレーは別です。……そこで君たちの中から有志でメンバーを決めます」
生徒がお互いの顔を見合わせる。
唐沢先生は「では、どうぞ」とだけ言い、それ以降沈黙した。
「……」
どうするんだ、という空気。柴田以外の全員は本業の部活がある。わざわざ出場種目を増やして苦労する必要はない。
そんな中、
「じゃ、俺やるわー」
菅野が欠伸をしながら手を上げた。
「スガちゃんマジでー?」
「お前らも出ろよ、3年で固めた方が勝率高そうだ」
「えーまじかー…………まぁいいか、どうせ練習は週一だし」
「しゃーねーな、スガちゃんがやるなら良いよ」
まさに鶴の一声。一瞬にして四つある枠の内の三つが埋まった。
「じゃー後一人どうすっかー」
菅野が立ち上がってメンバー一人一人の顔を見る。
「明、お前やる?」
ビクッと須々木の体が跳ねる。
「い、いや俺、砲丸投げっすよ」
「そっかそっか! 足遅いもんなお前、はははははは!」
肩を揺らして笑っていると、同じバスケ部の三年生が唐沢先生に尋ねる。
「先生が決めても良いっすよー、誰が速いとか考えるの面倒なんで」
唐沢先生が額に手をやってため息をついた。柴田の眼にはそれが少し残念そうにも映った。
「柴田は曲がりなりにも陸上部です。この一年間、別スポーツをしていた人と違って、走ることに特化しています」
その時、柴田は息をのんだ。
「急に100メートルに転向させたのはこういうことか……」
誰にも聞こえないように口の中で呟いた。
「お前、100メートル何秒?」
「ど、どうすかね、冬は外で走れなかったんでなんとも———」
「君たちより早いことは間違いないです」
曖昧な返事は許さない、とばかりに唐沢先生が口を挟んだ。
「もし私が決めるなら柴田を推します。ですが、決めるのはあなた達です。私から強制することはしません」
どういう風の吹き回しか。今まで有無を言わさずに走らせてきたというのに、今回はあくまで生徒の決定に委ねるらしい。
「柴田に走ってもらいたのなら、お願いしてみたらどうですか?」
(白々しい……俺を100メートルに出させるのはリレーの為だろうが)
一年間練習してきたとはいえ、専門外の100メートルでは大した成績を残せないだろうと柴田自身も自覚している。にもかかわらず、出場させるのはリレーでの活躍を期待しているからに他ならない。3年生の運動能力は非常に高い。その中に陸上部の柴田を混ぜればあるいは……、と考えているのだろう。本命はリレーということだ。
不満そうに眉根を寄せて菅野が、
「じゃ、柴田走ってくんない?」
「えぇっと……俺で良いんすかね…………他の三年生にも速い人はいますし、連携も上手くとれるんじゃ」
「やったら良いじゃん、お前がリレーでぶち抜くところは幼稚園の頃から何回も見てるし、100メートル一本走って終わりよりもオモロイって絶対!」
「ちょ、お前……!」
指名の矛先が逸れたと思うや否や須々木が熱を持って発言した。
「そうしなよ! 三年生とシバケンだったら全道も行けるって!」
「去年の体育大会もぶっちぎりだったしな!」
「陸上部なら余裕でアンカーいけるだろ!」
「おぉ! それ熱い!」
「たった一人の陸上部が助っ人と一緒にリレー―……しかも2年でアンカーに……ドラマ! ドラマじゃん!」
「お前らなぁ……」
柴田を置き去りにして盛り上がる一同。須々木をはじめとして、うぉううぉう奇声を張り上げて賑やかしに専念する者も混ざって教室内にはカオスな熱気が満ちる。
他人に役を押し付けるような空気ではない。皆が期待し、口々に喋る。
「いやもうシバケン以外あり得ないまである」
「それな!」
「できるだろ?」
「シバケンならできるって!」
「応援するよー」
「できるよね、柴田くん?」
誰が言ったのか判別もつかない程一斉に、皆が柴田を焚きつけるように盛り上げた。
「俺は」
教室が過熱していくように柴田の内にも何かが燃える。ふわふわと落ち着かない気持ちが広がり、膨らみ、大きくなる。
途端に唇が、両手の指先が、太ももの内側がむず痒さに痺れる。心臓の辺りがざわざわして神経が昂るのがはっきりと分かった。
柴田は思う。
陸上部ではずっと独りだった。学校に友達はいる。一応、先生もいる。練習はキツいが辞めたい程じゃない。
でも独り。
不満がないわけじゃないんだ。誰かが応援してくれるわけでもない。よくやったと褒めてくれるわけでもない。ただ漫然と走っただけ。
注目されたい。認めてもらいたい。俺は、柴田健星はスゴい奴なんだと思われたい。
いつからかそんなことを思うようになった。単純かつ幼稚だとは思う。
でも、
理由や意義みたいなものが欲しい。走ることが特別好きなわけじゃないんだ、モチベーションになるようなことがあったって良いだろ?
皆の顔が見える。
………………………………これか?
期待に応えたい。
「アンカーでも何でもやったりますかー!」
気づいた時には自然と声を張り上げていた。
このために走ってきたのかもしれない。柴田は『この瞬間は』そう思った。




