第二十一話
そうこうしているうちに流華がそろそろ友人と合流すると切り出した。
会計は当然、柴田持ちだ。
(こんなおやつみたいなもんが普通の食事以上に高いのが解せんな……)
心の内で文句を垂らしつつ会計に向かう。この食事は流華へのお礼でもあり、なにより、こういう時に高いだの食った気がしないだの文句を言うのは女子にとっては興ざめだ。恰好つけるときは格好つける。それが男というものだ、と柴田は引っ張られて連れてこられたことを忘れてそんなことを考えた。
だが、そこで流華が自分が払うと急に言い始めた。
格好つけると言った手前、「そう? じゃあお願い」とは言えない。レジ前でギャーギャー揉めていると、店員の早くしろ的なニュアンスの丁寧な注意が飛んで来たため、有無を言わせず柴田がキャッシュレス決済で手早く会計を済ませた。
「もう……やっぱりいいって言ったのに! でもまぁ……美味しかったし楽しかった…………ありがとう……」
店を出たところで流華が少しむくれながら言った。振り返るとふわり、と長いダークブラウンの髪がなびいて広がった。
「いいよ、俺も昨日は助かった……ありがとう…………そういえば聞かないんだな、何も」
話したことと言えば、学校生活や性癖の話でどれも他愛のない話。加納に関わる話はしなかったし、聞かれなかった。
「……どうせ聞いてもちゃんと答えてくれないっしょ?」
怒るわけでもなく、どこか呆れたように流華が力なく笑う。
柴田は彼女の雰囲気が変わるのを感じた。
「別にそんなことねぇよ…………まぁちょっとヤバいし馬鹿すぎる話だから誰にでも言えるわけじゃねぇけど……、男子は知ってるしな」
言うと流華は目を見開いて、少し意外そうな顔を見せた。
「そっか…………そっか、あの時とは違うんだ」
言葉を聞いた瞬間、柴田の中にずっとあった霧のような違和感がはっきりと形になった。
胃がキリキリと痛みを発する。
「あ……あの時って……三橋……」
「全道大会…………私、見てたんだ」
ドクン、と心臓が跳ねる。
期待していた。笑い話として聞いてくれることを。しかしそうするには何があったのかを自分から話す必要がある。それはとても勇気の要ることだった。
だが柴田が陸上部だったことを流華は知っていた。はじめは交友関係が広いから誰かからの噂話で知っていると思い込んでいた。
『なんでいまさら? 陸部辞めたんしょ?』
高校に入って陸上部に入らなかったことを言っているのかと思っていた。だが、そうではない。彼女は見ていた、と言ったのだ。
それは中二で退部したことも、大会予選で何があったのかも、彼女は全て知っているということを意味する。
「知ってたのか……」
そこに触れられた自分がどういう反応をするのか分からなかった。怒りで震えるのか、情けなくて泣きたくなるのか。そうなりたくなかったから記憶に蓋をした。誰にも触れられないように、己すら騙し、誤魔化し、欺いた。
再び蓋が開いた時にどうなるのか、自分でも分からなくて怖かったのだ。
だが、
「……ったく、知っててリレー代表に推薦するとかひどくねぇか! あっはっはっは!」
落ち着いているのが自分でも不思議だった。身体が軽い気さえする。
心の底から柴田は笑った。中身の見えない箱に手を突っ込むバラエティ番組の企画を思い出した。怖い怖いと思って手を突っ込むと中身はなんてことないただのたわしだった、みたいな滑稽さを自分の中に感じていた。
本当にくだらないことだったのだ。
「ごめん……後から勝手にやっちゃったなって思ったんだけど……シバケンに走ってほしくて……」
「マジで勝手だな、おい!」
「……うん」
蓋をした中身は腐るどころか風化しており、既に灰になっていた。
「でもいいよ……おかげでクラスの皆と話すきっかけができたー、みたいなところもあるし…………それに宣言した手前、走らなきゃいけないのは変えられないしな!」
三橋も卓球がんばれよ、と付け加え、彼女とは逆方向に歩き出す。
「……」
本当は少し動揺もあった。
筋違いにも流華を責め立ててしまうかもしれなかった。だが彼女は推薦しただけ、走ることを決めたのはあくまでも柴田自身だ。
想定していたよりも嫌な気持ちにはならなかった。今はその気持ちだけを大事にしたかった。余計なことを言う前に立ち去ろう、そう思って歩き出した。
三橋はどうしているだろうか、自分の後ろ姿を見送っているのだろうか、と何とも言えないむず痒さを感じる柴田の足が段々と早くなる。
シバケンっ! と丁度曲がり角で呼び止める声がした。
振り返ると流華が小走りでやって来て。
「アキちゃんは応援してくれないって言ってたけど…………その、わ、私は応援するからっ! ちゃんと見てるからっ!」
二人の視線がぶつかる。
ヒールの高い靴を履いてもまだ柴田の方が高い。上目遣いの彼女の瞳を柴田が少しだけ見下ろす。
「三橋…………お前……」
「……あ、いや、その……ほら……今回はただの体育祭だし、リレーって全校生徒で見る感じじゃん⁉ うちの代表なんだしみんな応援しないわけないって言うか、もし失敗しても誰も責めないって言うか……ほらどんな結果でも笑い話になるし! あぁもう! それだけ! ほらもう行って!」
何も言うなとばかりに流華は柴田の背中をグイグイ押す。
「三橋、ありがとな……がんばるよ」
ふっと柴田が背中に感じていた力が消えた。
再び立ち止まって振り返ると、流華が胸の前で小さく手を振っていた。
「また学校でね」
大人びていて、背が高く派手な見た目。自分とは違う派手なタイプの人種。上から目線で弄ってくる苦手なタイプ。
「いやーびっくりした……」
一瞬、年相応の少女に感じた瞬間。その少女のことを今までよりもずっと身近に感じた。
「告白されるかと思ったわ! だって今のラブコメみてぇな———」
「は?」
「……」
「調子乗り過ぎ」
「…………………………はい、ごめんなさい」
小さくなった柴田の背中がエスカレーターの向こうに消えていった。




