第二話
「ワタシ、卓球やってたんでやる人いないならやりまーす!」
椅子から腰を上げ、大仰に突き出した左手が振り向いた柴田の鼻先を掠めかける。
「あ、ごめ」
「いや、うん」
一瞥くれると視線はすぐに松尾先生に戻される。
「お、意外だな三橋、経験者だったのか?」
「部活じゃなくて、習い事みたいな感じでー、しかも小学生低学年までなんですけどー……」
上げられた腕が所在なさげにふらふら揺れる。
「そっかそっかぁ! うん、全然大丈夫! 自発的にやってくれる子がいるなら先生はその気持ちを尊重したいゾ! よし、女子は三橋に決定! いやぁ助かる助かる……、おら次、男子はだれがやるんだ?」
(どんだけ女子に甘いんだよ、ほぼ素人だよ、経験者って言えねぇよ!)
柴田は内心ツッコむ。
「えぇ~、るかぁ、ほんとにバレーやんないのぉ?」
「うん、ごめ~ん、だれもやらなそうだったし、ウチらの中から指名されて一人だけ仲間外れになるのヤじゃん? 昼休みは一緒に練習して遊べるから」
「おいー、いい恰好すんなよー」
「そ、そんなんじゃないから!」
「どうせ一緒にやんの陰キャっしょ? 体育つまんなそー」
「はぁ? 別にどうでもいいよそんなの」
ギャルたちのそんな掛け合いを後頭部で感じつつ、柴田は先ほど顔面に迫った三橋の手、なんかふんわりいい香りしたなー、ハンドクリームかなーとか益体もないことで少しドキドキしていた。
制服のないこの学校は私服での生活が認められており、進学校という矜持からか生徒たちの自主自立に任せる校風がある。私服制度もその一部なのだが、その実態はがジャージ等のスポーツ的な装い、または、パーカー、Tシャツといった簡素な恰好をするのが大半となっている。
つまり、Tシャツにオープンカラーシャツを羽織っただけの柴田でも、男子の中では襟付きというだけで比較的フォーマルな恰好をしているといえるだろう。
女子も大体同じようなものだが、その中でも異彩を放っているのが彼女だ。
グレーのジャケットに揃いのプリーツスカート、ブラウスの胸元に鮮やかな青のネクタイ。いわゆる、なんちゃって制服に身を包んでいる。クラスの中では背は高い方で、スタイルも良い。スカートから伸びるスラリと長い脚を見れば一目で納得できる。前髪はセンターでふんわり分けられていて、レイヤーを仕込んだ長髪を胸まで伸ばしている。
三橋流華。
制服ギャルの異名を持ち、柴田の学校ではちょっとした有名人である。
そんな彼女が地味競技である卓球に出場するのは誰にとっても予想外の事態だった。流華の友人たちも一緒にプレーできないことを知って嘆いていた。が、この影響を最も大きく受けたのは、そう、当然男子である。
「卓球ありな気がしてきた」
「分かる、特典がでかすぎる」
「ダブルスもあるんだぜ」
「体育の練習時間でもペアになれるわけか」
「行っちゃいますか……」
「は、ずっる! じゃなくて、相手にされねぇって! 大人しくバレーしようや!」
山川と長谷川から分かるように、男子の間には明らかな動揺が見て取れる。教卓付近の最前列に座る男子数名はバスケに参加することが決定しているが、何だか本気で悔しそうな表情を浮かべていた。
男子卓球株が空前の急騰をみせる中、冷静なのは柴田だけだろう。
(落ち着け落ち着け……確かに三橋との卓球は魅力的といえる、だが、この高校生活で俺はしゃしゃらないと決めた、掴めるかも分からない太もも……もとい三橋よりもまずは友達だ……地に足をつけ……っうわ⁉)
集中を欠いていた柴田は突然の歓声とどよめきにハッと息をのんだ。
「ワタシ、できるだけ練習したいから付き合ってくれる人がいい!」
ストップ高である。
柴田の脳内には古いニュース映像で見た東京証券取引所の立会場の映像が浮かんだ。スーツの男たちが慌ただしく行き交い、ひな壇上のブースからハンドサインで情報を伝達する光景だ。
まさに、教室の男子の空気はそんな過熱感を纏っていた。
流華とのマンツーマン練習に胸躍らせる野郎連中の感情が発露した。仲間内で楽しくとか、活躍できそうだから、などという動機は流華の一言によって脆くも崩れ去った。もはや、柴田以外の男子の誰が名乗り出てもおかしくはない状況になった。
早い者勝ち。だが、すぐに動けば『そんなに三橋とペアになりたいのか、下心出すぎだろ』と弄られる未来になるのは明白。今か今かとチキンレースのように場を読みあう男子たち。しかし、その空気を破壊したのはまたも流華だった。
「内田くん、卓球で全中行ってなかった?」
山川の背中越しに見える内田の猫背の背中がビクッと跳ねる。
内田が……? クラス全員の視線が内田に注がれる。
「…………」
何も答えない。
「全中って、全国大会だよな? すごいじゃないか内田! 本当か⁉」
一瞬間が開いて、内田が首の後ろを擦りながら上ずった声で。
「う、あ…………は、はい」
おおー……、と誰かが低い感嘆の声をが漏らした。
「えーっと……何だ、卓球やりたくないのか? 俺も無理にやれとは言わねぇよ? でもやっぱり皆初めての体育祭だし、適材適所で全員が一つになって頑張って仲良くなってほしいと先生は思うわけだわ……内田の卓球はこれ以上ない活躍の場だと思うんだが、どうだろう?」
再び、内田の返事を待つ。クラス全員の視線が集まる。
頭、顔、首の後ろを忙しなく掻きむしる。先生を見るわけでもなく内田は何もない机に視線を落としているようだ。
柴田の耳に誰かがクスクス笑う声が届く。
やがて秒針が刻む音がはっきりと聞こえるほど、全員が押し黙ったころ、内田はこぶしを握り締めて突然立ち上がった。
「ひゃ、や、やります!」
一拍おいて、クラスに笑いが起こった。
内田は周囲を見渡すと顔を真っ赤にして座りなおした。
「おぉ! 内田ありがとうな!」
松尾先生が親指を立てるサインをつくった。
「あはははは、ないすないす!」
「ぶふっ! ……がんばれ~」
柴田からはクラス全員の顔は見えないし、この笑いがどういった類のものであるか、その全容は分からない。引き受けたことに対する賞賛か、応援の気持ちか、あるいは緊張した様を嘲ったようにも思えた。だが。
柴田は無意識に拍手を送っていた。
柴田自身、なぜかは分からなかったが、今はこうすることが自然であり当然のことのように思えた。
何となく、微かに後方からも拍手の音が聞こえた気がした。
ともあれ、これでバスケと卓球のメンバーが決まった。
「よーし、この勢いでリレー代表決めるぞー」
(バレーだな……山川と長谷川は、まぁいいとして男女どちらにも人気のある栗田さんが近くにいるならバレーに決定だ)
「これも陸上経験者か、足の速いやつにやってもらいたいんだわ」
(正直、俺にバレーのセンスがあるとは思えないけど、栗田さんが言ってくれたように、サーブとかブロックとかやることを限定すればなんとかなるかもしれない……チームが決まったらやれることをやろう、もう絶対、調子こいたり、背伸びしたり、よく見られようとか、そういうの辞めよう)
「内田みたいにすっげぇ経歴持ってるやついたら早めに申し出てくれよー、他薦もありだー、……そうそう、ちなみにって話なんだが、このニーヨンリレーな、活躍次第でメチャクチャモテるぞー、ほら男子どうだ?」
(頼まれても絶対安請け合いしな)
「柴田君が陸上で全道大会まで行ってまーす!」
三橋流華、この時間だけで何度嵐を巻き起こす気なのか。