第一話
5月15日。
6限目の英語の授業が自習になった。担任教師の松尾先生が気を利かせてくれたのである。突然の自由時間に教室が沸き立ち、運動部の男子を中心に喧騒の波が広がった。
坊主頭の野球部数人が、なににするー? と大きな声で相談し始め、サッカー部とバスケ部がこれに続く。概ね男子の反応はこのようなものであるのに対して、女子の反応は芳しくない。どうでもいいとばかりに文庫本を開くメガネちゃん、汗かきたくないよねー、と笑いあう放送部の二人。運動部に所属する女子は少数派であるためクラスの雰囲気は二分されていた。そう、高校生活における重大イベントの一つ、体育祭である! 今はその出場競技を決める時間なのだ。
非日常感、イベントを前にした高揚感、浮ついた1年A組の教室の中、興味ない、と黙るわけでもなく、積極的な姿勢を見せるわけでもなく、男子の輪の中で曖昧な顔を作る少年が一人。他の男子より頭一つ分抜けており、座っていてもその身長の高さが伺える。ピンと張った背筋と整えられた眉毛、どこか高校生らしくない精悍さを滲ませている。
柴田健星、今年高校1年生になったばかりである。
黒板にはバスケ、バレー、ソフトボール、卓球、クラス対抗大縄跳び、リレーの項目が書かれている。その下にはクラスメイトの名前が記され、男子バスケの参加人数が5人で埋まったところで、今は女子バスケに参加希望の生徒を募っていた。
「やっば~……バスケ埋まったぁ~……」
口の中だけで呟いた。
(じゃ、時点でバレーに……いや無理か、バレーはかなり繊細な技術とセンスが必要、運痴の俺には絶望的、ソフトボールも当然無理、速球が飛んでくると目を瞑ってしまう! そして卓球もダメだ。卓球はクラス代表男女1名ずつが選出されるから『体育祭』の意味がない……)
残された競技は実質あと2つ。バレーかソフトボールか、どちらを選択するべきか。入学後学力テスト・240人中218位のドブ色の脳細胞をフル回転させる。
女子バスケのチームが早々に決まると、松尾先生が頭を掻きながら一つ提案がある、と口を開いた。
「あー先に卓球のメンバーを選びたいんだわ、お前らは1年だから知らんかもしれんが、毎年卓球以外に力を入れ過ぎて、卓球の試合が全く盛り上がらないという事態が発生しているんだわ……んで、もちろんお前らの自主性を尊重したいんだけども、そういう事情も鑑みて、センスあるやつ、もしくは経験者に優先的に卓球に出てもらいたいんだけど……みんなどうかな?」
まぁ、別に……的な空気が流れる。卓球? あーはいはい、うん、時間空いてたら応援に行くよ(行かない)という結果になるのがはっきりと見えた気がした。
「じゃ、卓球出てくれる人―」
自分で提案しておいてやる気なさそうに挙手を待つ松尾先生。
せっかくの体育祭、わざわざ地味な個人競技をやるよりも友達とワイワイチームスポーツをやりたいと思うのが健康的な学生というものだ。そんな諦めもあったのかもしれない。
当然、柴田としても卓球を選ぶつもりはない。個人競技では彼の目的を達成できないからだ。高校生活が始まって1か月と少し、初めての体育祭。柴田にとってこれは試練であると同時にチャンスでもある。
端的に言えば、柴田健星は友達が欲しかった。
柴田の前の席の山川と長谷川の野球部二人がヒソヒソ話す声が聞こえる。
「お前やったらいいじゃん」
「ばっか、やめろって……もっと適任がいるだろ! なんだっけ、内田とか……」
「あー確かに卓球してそうだわー、陰キャっぽいし」
後ろの席である柴田にも聞こえているのだから二人の前の席に座る内田にもはっきり聞こえているだろう。その潜めた嘲笑が。
ふと山川が首を振ってこちらに顔を向けたので、とっさに顔の緊張を解く。
「シバケンはやっぱバレー? 背ぇ高いし」
小麦色に焼けた肌とは対照的な白い歯をキラリと光らせた
「あー迷ってんだよねー、俺あんまりスポーツ得意じゃないし、でくの坊なんだよ」
自嘲気味に笑ってみせると山川は大げさに噴き出して笑った。
「ははは! でくの坊ってマジで言うやついるんだ! どんな表現!」
「マジなんだよなー……多分、サーブとか一球も入らない」
「えぇ⁉ まぁじで~? なんだよ雑魚かよ~俺たちバレー出るのによ~邪魔すんなよな~ははは!」
「せっかく背ぇ高いのにもったいねぇ~!」
「あ、あぁ……ははは」
「えっ! 柴田君バレーやらないの?」
突然、目を見開いた右隣の栗田秋穂が声を上げた。
「高さがあれば、スパイクが下手でもブロックで活躍できるって! あれだったら男子チームの練習手伝うし、サーブも教えるよ!」
「栗田さん、バレーやってたの?」
上ずりそうな声をなんとか抑えながら聞く。
「うん、みっこも!」
みっこと呼ばれたやや釣り目がちの背の低い女子が秋穂の隣からひょっこり顔を出す。おっす、と短くとてもフランクな挨拶があった。
「ほんとはバレーもしたかったんだけどねー、私勉強苦手だから進学校に入ったらいよいよついていけなさそうで、辞めちゃったんだー」
「そ、そうなんだ」
「アタシは違うからね! そこまで馬鹿じゃないから、バレーに熱が無いだけだから!」
「確かに、秋穂の点数はやべぇ」
「秋穂はガチ」
ひどくない⁉ という抗議の声は柴田の耳には届かなかった。
(いける、これはいける! 完全にできてるじゃん! 友達の輪が! 和がよぉ!)
入学から1か月。未だクラスの仲はぎこちない。部活に入る者の多くはその部活仲間を中心に友人を作り、同じ中学校出身の者は身内同士で固まる傾向にあった。そこで行われる体育祭はクラスの団結を生み、絶好のコミュニケーションチャンスなのである。
旧知の友人もおらず、部活にも入りそびれた柴田にとってこれはまさに好機であり、彼自身も高校生活の全てを懸ける覚悟を持っていた。
松尾先生の提案から4~5分ほど経過した頃、クラスは少し困惑した様子で騒がしくなってきた。立候補が無ければ当然、古より行われてきた、神の手による強制介入がなされるだろうということは全員が分かっていたからだ。すなわち、『先生の推薦』である。
柴田もこれを緊張の面持ちで待ち構える。自分に当たるな、と。
やがてしびれを切らした松尾先生が「じゃあ」と口を開きかけた瞬間。
柴田の真後ろの席から「はーい!」と元気のよい声が発せられた。
ギョッとして振り返ると、そこには目の奥を光らせた『ギャルの三橋』の姿があった。