第一章 十一話「情報を集めよう」
空よりはるか上に、島があった。
何十万という魔族が住む島――庭園都市アミュレットは国であり要塞でもあった。それは人類が空へ挑む手段がないことが、要塞としての大きな要因といえよう。
雲立ち入ることすら困難な悪の根城。物語の最終到着地点。
森が栄え河は流れている美しい島。あらゆる異形の仲間たちが家を構え、ユグドラシルを神と見据え信仰している。
その島の端、夜空と国の境界線にて、ユグドラシルは静かな日の出に見惚れていた。
「どの世界にも朝日はあるんだな」
歯車が織りなす機械音と風切り音が交じり合い、オルゴールのように心地よく聞こえてくる。
「リズレットのおかげで、この世界が思っている以上に精密に作られてるのがよく分かった」
ユグドラシルがまだ設定していなかった場所――リズレットのパンツの細部さえ作られている。今思えば、この自身の体もそうだ。ラスボスの存在、つまりは物語の最終回のイメージはなんとなく作っていたものの、実際の姿形はまだ作っていなかった。
けれど今見える範囲でさえ、元の自分とは大きく違っている。
細い指先。
白く痛んだ髪。
皮と骨しかないような体。
顔面の偏差値は――まぁ多分前の自分よりは上がっているように思えた。
「魔神ユグドラシルって言うと、条件を満たさないと殺せない化け物のはず……この体はどうなんだろう」
物語通りであれば、現段階で死ぬことはできないのだろう。
死なない身体ーー不死と聞けば聞こえはいいが、例えば攻撃を受けた時はどうなるのか考える必要がある。
考えられるパターンは2つ。
ひとつは完全回復するタイプ。吸血鬼などでよくいる、傷を負ってもすぐ再生する系統の不死ならば、これ以上ありがたいことはないだろう。
が、もしゾンビのようなパターン、いわば死なないだけで再生しないパターンの不死の場合はむしろ最悪な状況にすらなりうる。
小さな傷も治らない、死なないだけの存在。首を切られただけで無力化されてしまうだろう
「自分の体と能力についてももっと知らないといけないし、何より今後の動きも明確にしないと……」
そのためには――と考えていた時、コツコツと後ろからハイヒールの音が鳴った。
「主殿さぁ、最近独り言増えてないか?」
と声をかけられた。
後ろを振り返ると、いつも通り彼女が立っていた。
「お、来たな」
今はいつも持っている赤の大太刀を帯刀していない。代わりに綺麗な黒髪のポニーテールに簪が一本刺さっていた。
「ったく、こんな隅に呼びつけるなんて意味わかんねぇよ」
燃えるような赤い瞳がじっとユグドラシルを睨んでいる。
「実験とお願いをしたくてさ。ところで持ってきてくれた?」
「あぁ? 言われたものは持ってきたが……どっか綺麗にするのか?」
「ほら雑巾になりそうなシャツと、ズボンだった雑巾。あと汚れてもいいような安っぽいローブ。掃除でもするのか?」
ミレは雑巾二枚を汚そうに指でつまんで渡す。
「どっかピカピカにしてぇなら小人族やメイドにやらせとけよ。あいつらお前と掃除が大好きだからよ。このボロ布も、主殿に渡すって言ったらかなり揉めたらしいぜ。要望通りの汚れたモノを渡すべきか、綺麗にして渡すべきか。そもそも我々の掃除が足りないからだ! ってな」
ミレは笑いながら話す。
「ははは、誤解させたのならあとで謝らないとな」
「で、その雑巾でなにすんだ?」
「なにって」
ユグドラシルは布切れを受け取り、
「着るんだよ」
着替え始めた。
「えぇ……」
ミレは顔を引き攣った。
「ちょっと行きたいとこあってね」
「そんなみすぼらしい服装で行けるとこなんてねぇよ……」
元々白だったシャツを着て、今のまだ茶色の長ズボンを履く。
その上から少し長めのローブを着た。
「お前……まじでなにするつもりだよ」
「不安か?」
「バカか主殿は。心配なんだよ」
「ははは」
「なんかよぉ、私の勘っていうか感覚なんだが……いまの主殿顔は……どこかその……」
「死にそうだって?」
「……ああ」
「それこそおかしな話だぞミレ。俺は死ねないだろ?」
「そういうことじゃない。死ねないのと――死にたいのは別だ」
ミレの勘は少しだけ正しい。
そんな言葉を聞いて思い出した。
この哀愁の顔を。
ミレとはユグドラシルに恋をした『人造兵器』だ。永遠に時を生きるユグドラシルに寄り添うべく作った仮初の家族。
この表情は愛なのだ。
大切な家族が、まるで死ぬことを悟ったように見える。そんな時そっと傍にいて励ましたくなる。苦しさと心配を混ぜたような顔。
ユグドラシルはありったけの愛をミレに注いだ。
「大丈夫だよ」
そんな言葉しか、かけることはできなかった。
※※にとって、ミレとの時間はまだ一日も経っていない。なのにミレの中には一緒に過ごしてきた数千もの時が刻まれている。
いい加減な言葉も、安易な安心も伝えることはできなかった。
うそをついて生きている。それは事実だ。
ではここで明かすべきか?
この世界は作られたもので、ユグドラシルは今朝死に、代わりの人間が入ったのだと。
否。明かすことは、自身が楽になる方法だ。
この独りぼっちの世界で、誰も理解者がいない中もがくことこそ、贖罪ではないか。苦しいから寂しいから助けてなどと、決して口にしてはならない。
だからせめて、発する言葉に偽りがないよう気を付けた。
「俺は最後まで死なないから」
最後まで死なない。そんな言葉を彼女が聞きたかったのではないとわかっている。
ただいうしかなかったのだ。
それが、ラスボスとしての使命だから。
「はぁ。答えになってねぇよ」
ミレは呆れた顔でため息をつき、
「けどまぁ……しゃーねぇ。付き合ってやるよ」
とだけ言った。
「大抵の無茶は、私らでなんとかしてやるよ。まずは城に戻ろう」
「あーその、それに関してさっそくお願いがあるんだけど」
「なんだ。しゃーねぇから聞いてやる」
ミレはまたわがまま聞かされるのか、と思いつつ頼りにされることに悪い気はしなかった。さすがに一人で出歩きたいだの、戦争の前線に出せなど言われたら全力で断り、さらに怒鳴り散らすつもりではいたが、さすがにそこまでの脳足りんの阿呆ではないだろう。
仮にも、この男は城主、国をまとめるトップなのである。三十年ほど不在だったとはいえ、彼に対する民衆からの信仰心は厚い。
確かめたいから、という理由で庭園都市アミュレットから出ていい存在ではないのだ。
まぁそんな馬鹿ことを言いだすような――
「魔術人間国家、ガルディアに入国したいんだけど」
ミレはここで悟った。
この三十年で、わが主君はアホになったのだと。