第三章 最終話「主人公」
力なく、少女は少年の元へと歩いた。
死体はひどく損傷していた。
右腕の骨は皮膚を突き破り飛びでている。体中には激しい剣戟のあとが残っている。心臓は止まり、血流が止まる。流れ出す血すらもうなかった。
少年の冷たくなった手をとる。
血で固まった皮膚をそっとなぞり、頬で触れた。
いつも撫でていてくれた優しい手のひら。
「ごめんなさい……」
少女は謝った。私のせいだと。
本来生きるべき人間ではなかった。兄こそ、生きているべき人間だと、心の底から思った。
――体の脆弱な私ではない。
――魔女にとりつかれたではない。
――守られるだけの、弱いではない。
「私なんかが生きてごめんなさい」
大粒の涙が少年の手を暖める。
しかしその指が動くことなどない。
少女が泣きつづけると、どこからか声が聞こえた。
「ギャハハハハハハハ!」
不協和音のような声の主は、頭蓋の魔女だった。
「つんつーん! ちょんちょーん! ぷにぷーに! げしげーし!」
とても美しい女だった。クーイより頭ふたつ分背が高く、金色の髪をポニーテルのようにまとめている。日焼けしたような褐色の肌は服は一切まとっていない。
酒場で酒を注げば看板娘に、街をあるけば男全員が振り向くだろう。
スキャットの死体を触り、つつき、足げりする姿は死者を冒涜する行為に見える。だが彼女の行動を見ると幼い子供が人形遊びしているようにさえ見えた。
「みてみてクーイ! ほらほら! われわれはーまじょだー!」
血だらけのスキャットの頭を持ち、腹話術のように顎を右手で動かす。
「やめて!」
クーイが叫ぶ。
呆気にとられた女は乱雑に頭を地面に落とす。
「怒ってるの? でも私の気持ちもわかってよ~。ホントは代価をもらうはずなのにさー! 死んじゃったら意味ないじゃん! 貸し損だよ! 大損害だよー! ぷんぷんだよ! ぎゃははは!」
「あなた……誰ですか……?」
「私だよ! あぁそっか! そうだよねうんうん! 当たり前か! はじめまして」
立ち上がり、クーイを見下す。口が大きく裂け、不気味に笑う。
「頭蓋の魔女 テラッタちゃんだよー!」
頭蓋の魔女、テラッタと女は言った。
「あなたが――魔女?」
「そうだよ! 魔神ユグドラシルの魂の一つ。頭蓋を司る魔女です!」
「ほかにも――いるの?」
「いるよー! いいやつから嫌なやつ色々!」
「いろんなやつ……?」
「そうそう! 人間の魔女! あいつ嫌いだー! すぐ嘘つくし!」
魔女テラッタはクーイに近づくと強く抱きしめる。
「クーイのことは大好きだよ! うそつかないし! いつも可愛い! 大好き!」
まるで昔からいる幼馴染のように。
「危なかったよー。正直死んじゃうかと思った! クーイが死ぬと私も死んじゃう! 私の力である程度体の機能は上昇してるけど、それでも死なないわけじゃないからね!
よかったー! クーイが死ぬと私も悲しいし! スキャットだっけ? あいつに力の限り注いで良かった! まぁ死んじゃったけど、それは仕方ないよね! ただの人間じゃどっちにしろ死んでたんだし! 二人とも死ぬより、どっちかが死んでどっちかが生きたほうがいいもんね!」
まるで世間話をするように、魔女テラッタは――スキャットの死を嘲笑う。
「そんなふうに言わないで!」
「えっ……?」
「私のお兄ちゃんは立派だったの! 私を守るために命をかけてくれたんだから! そんなふうに言わないで!」
クーイは叫ぶ。まるで自分が貶されたように。いや自分が貶された以上に、クーイは怒った。
「えっ……あっ、そうだよね、ごめんね? テラッタが悪かったよぉ。ごめんね? ごめんね? 私たちを守るためだったもんね?」
「私たちじゃないっ……! わたしを! 守るためだったの!」
「うんうん、そうだよね。クーイのためだもんね。 でもね、私もそうだよ? クーイを守るために私も彼に力を貸したし、彼もわかってて借りたんだよ? クーイのためだよ?」
まるで許しをこう従僕のように、テラッタは涙を浮かべながら主張した。
「嫌いにならないで? クーイのこと大好きなんだもん。大好きな人に嫌われたら私、どうなるのか全然わかんないもん。 お願いクーイ笑って? お願いだよクーイ」
――笑って、と。
いつか兄に言われた言葉を、魔女は言った。
「あはは……あははははは!」
「笑った! クーイが笑った! 嬉しい! 大好きだよ!」
よりつよくクーイを抱きしめる。しかし、少女から抱きしめ返すことはない。
あぁ、同じ言葉なのに、これほど違うのか。言葉を発する相手が違うだけで、こんなにも心がざわめき、苛立つものなのか。
クーイの中で、初めて怒りが生まれた。
兄が戦っていた時も、死んだ時も、悲しみが先に生まれ、心の全てを支配した。
なぜ私たちがこんな目にあわなければならないのかと。
しかし、今は違う。
心を安心させる言葉とただただ不快な、最悪な言葉。
どちらも同じだと、考えることすら煩わしい。
憎い。
憎い。
兄妹はただ静かに暮らしたかっただけなのに。いきなり軍人たちがうちへきて、いきなり襲って。
憎くて憎くてたまらない。
ガルディアも魔女も勇者も英雄も騎士もすべて。
復讐しよう。
すべてに。
すべてを利用しよう。女であることも、魔女であるこの女も。できる限りの全てを尽くし、全ての相手に私と同じ思いをさせよう。
この物語は――主人公クーイ・デルバルドが、世界の果てまで復讐する物語だ。
----------------------------------------------
ユグドラシルは目を覚ました。
動悸が激しく鳴り汗でシーツがびっしょりと濡れる。
天井はいつもかわらずそこに存在しいつもユグドラシルを見下していた。
いつの間にか眠っていたらしい。
「ふぅ……」
悪夢を見た気分だった。心臓が激しく血流を動かし体温が上がる。
事実悪夢だろう、いや予知夢か。
ユグドラシルが見ていたものは数日後に起こりうる事実なのだから。
「スキャットが倒したと思われる勇者は、ノア・ウィッチが強制転移魔術により生き延びていた。結局少年は、誰かを殺すことなく死んだ。だが……確かに彼は妹を守った」
ちらりとベッドの横にある一冊の本を見る。それは神の玩具№004『自動書記』。どうやら寝ている間もずっと起動していたらしい。
スキャット・デルバルドは、数百人もの兵士、英雄二人から妹を守り切った。
ユグドラシルは一人だけの静かな部屋で呟いた。
人の死でしか誰かの心を動かせないような二流、いや三流作家の卑しい考え。
「スキャットが死に、ノア・ウィッチの転移魔術によって誰もいなくなった雨の中、クーイは南へ歩いた。降り続く雨。ぬかるんだ土。しかしクーイの歩みは止まらない。腹の底に抱えた怒りが彼女を突き動かす。ガルディア国を殺し、魔神を殺すまで」
『召喚術師と世界の果て』は復讐劇でもある。クーイという女の子が、仲間を作りながら世界に復讐するストーリー。
「物語を変えたい」
そう思った。
少年が死ぬ未来でも、少女が世界の果てまで旅する未来でもない。
「ハッピーエンドにしたい」
世界はユグドラシルの作り描いたように進んでいく。事実スキャットは登場人物Aにかつあげに合うし感謝祭もやってくる。
「けど仕方ない。――書いている途中に物語が変わるなんて、よくあることなんだから」
なにをすればいいのかはまだわからないけれど、変えたいと願っている自分がいる。
「なにが犠牲になるのかはわからない。どうすれば変わるのかはわからない。でもいいじゃないかそれでも。俺が作り出した世界なら俺が作りたいようにかえてしまえ」
魔神ユグドラシルは立ち上がった。
「自動書記 停止」
少女と少年の幸せのために。
「まず最初の一手は――スキャットとクーイが楽しみにしていた感謝祭を襲う」




