第三章 六話「頭蓋の魔女」
先ほどまで、騎士たちの攻撃をすべてギリギリでかわしていたスキャットだったが、今では剣が振り下ろそうとするときにはすでにその場からいない。
まるで消えたかのようにみえ、騎士たちに混乱が広がっていく。
「あの様子だと騎士たちじゃ荷が重いのでは?」
「ふむ、そうだな」
ウィッチ・ノアのあいまいな返事が虚空に消える。
「どう思います?」
「おそらく――」
ウィッチ・ノアの推測。勇者は淡々とその言葉を聞いていた。
森の中は、静けさに包まれた。
雨音のみが森を駆け抜ける。
「クーイ。ちょっとここで待っててくれるか?」
少年は少女をおろし、敵陣へと飛び込んでいく。
「お兄ちゃん……お願い……」
強く握りしめる。爪が皮膚に強く刺さるが、血は流れない。
「お願いだから――」
――もうやめて。も傷つかないで。
もう見たくないと、少女は泣いた。
魔女と知ってもなお、戦う少年。
血を流し、息が切れ、それでもなお挑み続ける兄を、少女は見たくなかった。
もういいよ、もう十分だよ。そんな言葉をかけたかった。
――私はもう、これ以上なく幸せだから、と。
一人の少女が、大きな木の近くで立っていた。体は火照り、涙が目に浮かんでいる。
少女に切りかかろうと、大勢の騎士たちが立ち向かっていく。彼らはガルディア国に仕える騎士団である。市民を守り、魔物たちと戦うことを生業なりわいとしてきた。
騎士としての誇りもあった。傲慢もあっただろう。
騎士になる理由など、ひとそれぞれだ。家族のため、国のため、金のため、王のため。
どんな理由であっても、彼らは戦うことを選んだ。
一歩を踏み出し、世界を守るために選んだ道だ。
出された任務を遂行するため、彼らは前へ進む。
たとえそれが、少女を殺害することであっても。
もとより、罪悪感などない。目の前にいるのは少女の形をした魔女だ。世界に厄災をもたらすといわれる、転生体の一つ。
だから――これから行われるのは正義である。
だれにも邪魔されることなく、速やかに執行されるべき任務である。
――そのはずだった。
「なんだよ――なんだよこれ!!」
兵士の一人が叫んだ。それは諦めに等しい。理解することを放棄し、ただ目の前に広がる光景を受け入れらずにいた。
木の葉を踏みつける音が聞こえる。 影が森を飛びまわる。
眼で追うことすら叶わない残影――スキャットは少女を置いて木から木へと飛び移りその過程で騎士たちを蹴散らしていく。
「魔女め!」
一人の騎士が転がった仲間たちを踏みつけながら少女へ斬りかかる。
しかし――そんなことは無駄である。
剣を振り下ろす速度よりも早く、少女のもとへ少年は現れる。
「ぐっ!」
こぶしによる超打撃。
どこから撃ち抜かれたのか、いつ撃ち抜かれたのかわからぬまま気を失った。
また一人、また一人と悲鳴をあげ気を失う。
スキャットは自分でも説明できない高揚感に包まれていた。
体が軽い。
雨のはずなのに視界がとてもクリアだ。
騎士たちひとりひとりの動きが鮮明に見える。あぁどうして――どうしてみんなそんなにゆっくりなんだ。
剣が。声が。雨粒が。すべてが静止して見える。
あくびをするぐらい緩やかに繰り出される斬撃を眺めながら、力の限り蹴り上げる。
吹き飛ばされる騎士もまた時間をかけて空へ向かって打ちあがった。
鎧は砕け、吐血する様も、スキャットには見えた。
「これは全滅しちゃうな」
遠くから、声が聞こえた。
そのとき――凄まじい速度の剣劇が放たれる。
横一線に軌跡を示す斬撃は、スキャットの頬を掠め、後ろの木々をなぎ倒した。
動きを止め、放たれた斬撃の先を睨む。
「あれ、避けるんだ。うーん、ほんとどんどん強くなってくなぁ」
ガルディア国英雄【勇者】が首切り包丁【硝子彫刻シンデレラ】を携えていた。
「手伝うぞ」
その横には仮面の英雄【ウィッチ・ノア】が椅子から降りていた。ぬかるみに足をおろし、黒のドレスが泥で汚れる。
「まずは――機動力でも奪おうか」
右手を伸ばしスキャットたちがいる方向へ向ける。
黒く伸びた爪がとても冷たく見える。
ゆっくりと手のひらをひねりながら――ウィッチ・ノアは魔術の呪文を唱える。
「――不穏なる外界達――度重なる反例を理に顕せ。虚数外章――重み弾かれる万有の歪み」
スキャットの頭に、一枚の葉が落ちる。
「な、なんだ?」
力強く生えた木を見つめる。木は轟音を立てながら――宙に浮いた。
一本どころではない。
何十本、いや――周囲の巨木全てがウィッチ・ノアの腕に合わせて宙へ浮き、空へと昇っていく。
「うそだろ……」
騎士の一人がつぶやく。
まるで世界の終りのような。空に吸い込まれていくような光景――。
「破砕」
ノア・ウィッチはと力を込め、グッとこぶしを握った。
空に浮遊する木々がすべて同時に砕け散る。
パラパラとみじめな木片たちが地上に落ちていく。
「これで上下の動きはできまい」
ウィッチ・ノアは再び椅子に座った。ドレスの汚れが気になったのか、泥の塊を長い爪でピンと弾いた。
「あとはお前がやれよ」
「ノアさんはいかないんですか!?」
「私は調べ物をする」
「そんな! 一緒に戦ってくださいよ!」
「黙れ殺すぞ」
「はい! 行ってきます!」
ノア・ウィッチの変わった激に背中を押され、勇者は軽快に戦場へと飛び出した。踏みつけられたぬかるみには深く足跡が残っている。
「みんなお疲れ!」
「勇者様……!」
「勇者様!!」
軽口を叩きながら、勇者は誇りをかけ戦った同志たちを労っていく。
「あとはボクがやるよ! みんな撤退!」
「はい……」
勇者の登場に、半分以下となった騎士たちは倒れた仲間を担ぎながら撤退していく。
勇者がスキャットの前に立つ。
スキャットが勇者の前に立つ。
「ちょっとおしゃべりしようよ!」
「妹を殺そうとする相手と、ですか」
「まぁまぁ! 君が聞いても損はない話だよ! ノアさんがね、君のその急激な成長にひとつの仮説を立ててたよ!」
まるで隣人に語り掛けるように、勇者はスキャットに話しかける。
少年は少女を背中にかばいながらただただ睨みつける。
「魔神の転生体。いわゆる魔女が、その力の源になってるんじゃないかな?」
ぴくり、と少年の眉が動く。
「魔女ってのは全部で六体いるんだけど、おそらくその少女は【頭蓋の魔女】じゃないかな?」
頭蓋の魔女、と勇者は言った。
「ボクも文献でしか見たことないんだけど、ノアさんがその辺詳しくてね。【頭蓋の魔女】の特性は、他人に対して影響を及ぼす魔女らしいよ。過去に確認されたのはたった二回だけ。その際もただの人間が急激に強くなったんだって!」
うんうん、とうなずく勇者。
「だから――これ以上強くなる前に、ボクが君たちを倒そうと思う!」
英雄が二人。
倒す――と聞かされ、スキャットの視線は一段ときつくなる。
「もちろん安心して! スキャットくんは殺さないよ! 一般市民を殺すなんて、勇者らしくないし! なにより君をボクは高く買ってる!」
まるで歓迎されるように、勇者は両手を広げた。君は殺さないといったが、それは遠回しにクーイは殺すと告げられている。
「妹のために戦う君は、まさに英雄のさまだ! たった一人で戦いくさに挑む姿こそ、国民が憧れ羨望する!」
「……」
「次は、その心を正しく使ってね」
「俺にとって、これこそ正しい形ですよ」
「まぁまぁそのへんの意見の食い違いは――」
剣を構える。
「――美味しいお酒を飲みながら語ろうじゃないか!」
不快だった。
この男の全てが不快だ。
妹を軽く見る考えも、楽し気に話しかける様子も――まるで勝つのが当たり前だと思っている姿も。
「うん……」
スキャットは勇者に背を向けた。
「?」
勇者は突然の行動に虚を突かれ様子を見る。
少年スキャットと少女クーイが向かい合う。
頭から血を流し、呼吸は浅い。唯一開いている左目は虚ろにクーイを写している。
涙を溜めた少女の頭を、兄貴は優しく撫でた。
「大丈夫だよ。魔女だとか、そういうのは関係ない。君が大切だから。それだけなんだ」
「うん……」
「こんな怪我、すぐ治るからさ。笑ってくれよ」
「うん……」
「俺を……お兄ちゃんを信じてくれるかい?」
「うん……」
少女は大粒の涙を流す。ぼろぼろ落ちる涙を両手でぬぐいながら、少女は兄の温かい手を感じた。
日々の労働で堅くなった手のひら。甲冑や鎧を強く殴り、皮のめくれ血がどくどくと流れた甲。
「これが終わったら、一緒に雨漏りりんごを食べよう」
「……うん」
「だから泣かないでくれクーイ。君が悲しいと、俺も悲しい。君が嬉しいと、俺も嬉しい。だから笑ってくれ。笑いながら――兄を見守っててくれ」
「うん!」
少女は力強く頷いた。
それを合図に、少年は英雄へと挑む。




