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第三章 二話「スキャット・デルバルド」



 スキャットの家にある唯一高価なものは、父が生きていたころにくれた、一冊の本だ。

 白斑山羊の皮と毛に、水胡椒の汁で書かれた文字。

 手に着く皮の感触は心地よく、一枚一枚の紙はまるで芸術のようだった。

 

 スキャットの宝物はいつも大切に扱った。がさつな父さんが枕代わりにして昼寝していたとき、あまりの怒りに泣きじゃくりながら我を失ったらしい。らしいというのは、妹のクーイが教えてくれたのであり、自身は覚えていなかったのだ。

 

 宝物の名前は『ガルディア国六人の英雄』

 

 魔術帝国ガルディアに君臨する、六人の英雄の逸話を書き示すお話だ。

 スキャットを含めたほとんどの人間は、実際に英雄を見たこともなければ、あったこともない。

 

 ただ、国の危機、隣国との戦争の上で、必ずと言っていいほど英雄の名を刻んでいた。

『ウィッチ・ノア』

『世界基準』

『御伽話』

『剣の帝』

『世界基準』

『勇者』

 

 彼らに憧れた。

 彼らは、いつだって戦慄に生き、国をけん引した。生きる伝説。どんな名誉だろうと、彼らの活躍に見合うものはない。至宝にして至高の存在。

 国民は彼らを羨望し、夢をもらう。

 一人で殿をつとめ、数千もの敵兵を足止めする英雄に。

 大災害から国民を救う英雄に。 

 まだ見ぬ世界を目指し、友と旅を続ける英雄に。 

 泣いている少女の涙を、そっと拭く英雄に。

 英雄は、どんなピンチでも最後には必ず勝つ。 

 そんな英雄たちに、憧れた。   

 いつかそんな人間になりたい。

 ――俺もそんな英雄になるのだ、と。


―――――――――――――――




 例年開催される感謝祭が行われ、近くの街は大いに盛り上がっていた。

 活気があふれ、旅行客が集まっている。

 

 朝日が昇り、一番高い位置のころ。

 

 

 スキャット・デルバルドは汗をかいていた。

 朝一番に街へ出て、クーイが好きな「雨漏りわたあめ」を買った。出店でしか売っておらず、普段の二人には食べれない贅沢品だ。


「はぁはぁ」


 クーイに早く食べさせたくて、街から村へ一気に走る。クーイが笑う姿、「おいしいねぇ」といってくれる顔。

 どれも最高の幸せだ。

 感謝祭の日とクーイの十二歳の誕生日がちょうど重なったのが良かったのだ。

 玄関を開ける。

「ただいま!」

「お帰り!」 

 

 その表情は柔らかく、可愛らしい笑顔を向けてくれる。

「今日は起きても大丈夫なのか?」

「うん、今日は天気もいいし、感謝祭でしょ? 元気出てきたの」

 部屋に食欲をそそる匂いが広がる。

「クーイが作ってるのか?」

「うん。たまには、ね」

「ありがとな」

「こっちこそ、だよおにいちゃん。お兄ちゃんが街に出かけてる間に魚が二匹とれたんだ! きっとおいしいよ! クーイスペシャルが作れそう!」


 にしし、とクーイは笑う。


「じゃあこれはあとかな?」

 

 ちょっと意地悪っぽく、『雨漏りわたあめ』を見せる。


「わあ! 雨漏りわたあめだ! 感謝祭だから仕事はないのにどうして街にいったのかわからなかったけど、わざわざ買ってきてくれたんだ!! ありがとう。 うーん! ご飯の後に一緒に食べよ!!」


「そうだね、食べよう!」

 幸せで腹は膨れる、そう思った。

 料理がテーブルに並べられる。

 焼き魚と黒パン。

 味醂鮭(みりんじゃけ)の切り身を指で掴み口に入れる。

 油ミョウガで臭みを取った味醂魚が、口の中で広がる。

 ほどよい油が舌にわたり、力強く噛むと弾力が歯をはじく。鼻に油ミョウガの香りが抜ける。

 正直言って、かなりうまい。すぐに二口目を胃に運ぶ。口の中にある油っぽさを黒パンで押し込む。

 

 固い、と言われる黒パンも味醂魚と油ミョウガのおかげで噛みごたえを楽しむ料理へと変わる。


「油ミョウガで焼いたの。隠し包丁を入れてそこにクミの実を入れてみました! どう? おいしい? おいしい?」

「うん! うまい!」


 スキャットの大好物で作られた手料理は、世界で一番うまいと思っている。

 

「おお!やった! お兄ちゃんがおいしいって! もう! 恥ずかしい! いやそれ以上に嬉しい!」


 彼女は急に立ち上がり、顔を真っ赤にして両手を顔で隠した。きっと暑さで頭がやられたんだと思う。

 少し笑って、手料理の続きを楽しむ。

 クーイはたぶん俺が喰ってるところを見てすらないと思う。

 両手を合わせ、丁寧に食べきる頃、クーイは立ち上がりじっとこちらを見つめている。


「おにいちゃん!」


 彼女は高らかに宣言し、座っているスキャットに頭頂部を突き出した。

 きれいなくの字に曲がっている腰。オーバーオールを来た彼女。

 いつも通りの感謝を、彼女に示す。

 右手を彼女の頭にのせた。

 するとどうだろうあら不思議。クーイはスキャットの手に頭をこれでもかとこすり始めた。


「うりゃりゃりゃりゃ!」


 彼女は言った。

 お兄ちゃんが撫でてくれないのなら、自分で撫でられればいいじゃない、と。

 全自動撫でられ人形となったクーイは、黒色のショートカットを縦横無尽に動かし撫でられていく。


「はぁ。俺にはこれのなにがいいんか分からん」


 目を一切見ることなく、彼女は少し息を乱しながら撫でられていく。

 綺麗に整えられていたはずのクーイの髪は、ボサボサになり俺の指に絡まっていくが、そんなのはおかまいなしのようだ。

 立ち上がれるほど元気でないとできない、彼女にとっての一番の褒美。

 ここは難民の村だ。

 少し前に住むところを追われた人々が集まり集落を作った。スキャット兄妹そのうちの二人である。

 村にはおおよそ四十人ほど住んでいる。確かに住んでいるのは村から少し離れているとはいえ、知り合いに見られるのはまずい。

 具体的にいえば、はずい。

「最近してもらってなかったからねぇ。本当はお兄ちゃんを撫でてあげたいけど、いやでしょ?」

「そりゃ家のなかとはいえ恥ずかしいよ」

「いいと思うけどなー」

 

 彼女の髪の回転力が増す。

 文句と速度は比例しているらしい。

 摩擦で少し熱くなったころ、クーイは止まった。


「ふぅ! ありがとうお兄ちゃん!」


 疲れたのか、満足したのかどちらかは分からなかったが、彼女は手から離れ肩で呼吸をする。

 ひどい寝癖のような髪型になっているのだが、クーイは頬を赤く染めながらにっこりと笑う。

 満足げな姿をみて、身勝手なやつだな、と思いながら少しだけ笑った。

 クーイは小さな果物用ナイフを取り出し、お土産の雨漏りわたあめをふたつに切る。

 

「はい、雨漏りわたあめ!」

「ありがと」


 丁寧に切られた雨漏りわたあめを口に運ぶ。

 中心の甘い水飴が一気に広がり、滑らかな甘みが喉を潤す。 


 はむっ、とクーイも雨漏りわたあめをほおりこむ。頬に詰め込まれほっぺがこぼれ落ちそうになる。

 ごくん、と食べ終わる頃にはクーイもまた食べ終わっていた。

 クーイはスキャットの手を取り、そっと撫でる。つぶれたマメはかさぶたになり、さらにつぶれることでぶ厚い皮になっている。

 

「こんな手になっちゃって。もう」

「平気だよ。大丈夫」

「無理、しないでね」

「無理してないよ。英雄はいつだって頑張ってる。だから俺もがんばれるんだ」

「なりたいんだよね、英雄」

「そうだ。英雄になる。それを目指してる」

「英雄ねぇ……。あんまり私はよくわかんないや。だって、実際に目にしたこともないし。ガルディアを数々救ったって言われても――あんまり実感ない」

「すごいんだぞ英雄は。俺たちがこうやってのどかに暮らせるのも、彼らのおかげなんだ」


 そういうと、近くにあるカバンをとりだす。大繩蛇おおなわへびの皮で作られたショルダーバックの中には小さなナイフ、路銀、そして宝物が入っていた。

 

「仕方ないなぁ! 俺が英雄ウィッチ・ノアの逸話を聞かせてやろう!」


 ウキウキとしながら、宝物を取り出すと、ウィッチ・ノアのページを指さす。

 少しかび臭く日焼けした『ガルディア国六人の英雄』と書かれた本。

「彼女はな。現在いる全魔術師の中で、一番すごいんだ! 全魔術系統の網羅、施行! 召喚魔術の開発! 数百年ある魔術師の歴史を一気にひっくり返したんだ! それに唯一、ガルディア国王から異端魔術の研究を許された人なんだぞ!」

「はぁ」

 興奮する俺に対して、どうもクーイはピンときていないらしい。


「英雄に――なるんだもんね」

 ぎゅっとクーイに手を握られる。暖かくで火傷しそうだ。その表情はどこか、寂しそうな顔をして。

「そうだ。俺は英雄に憧れた。英雄に希望をもらい、英雄に夢をもらった。だから――英雄になる」


 家の中は、大きさの割にモノは少ない。

 三部屋しかなく、寝室と台所兼リビング、そして物置部屋だ。台所はほとんど使っておらず、汚れもなければ使用した形跡もない。

 母親が死んでからというもの、ほとんど自炊はしなくなってしまった。

 働いたあとは、疲れたように寝てしまうからだ。


 扉をしめ、リビングに立てかけてある一本を手に取る。

 それは木からへし折って作った手製の木刀。

 

 ふと、妹に触れた手を見つめる。

 クーイの手の感覚が、熱となって少し残っている。こんながさがさで汚れた手。

 英雄を目指すということは、いつも一緒にいてくれた彼女をこの村に残して、夢を追いかけるということ。それを――俺は出来るだろうか。

 

 クーイには、これ以上ないくらい感謝してる。

 一人ぼっちで泣いているときもいつだって、彼女はそばにいてくれた。一緒にいて、笑いかけてくれる。彼女のいない人生を俺は想像が出来ない。


 きっとどこかで折れてしまっていたと思う。

 

 立ち直ることも出来ず、夢をえがきながら嘆く。

努力を忘れ、感謝を忘れ、斜に構えながら傍観者を気取るような自分に。

 そうやって言えれば、どれほど楽になるだろう。

 英雄を目指すには、ガルディア国騎士団の見習いに入るのがてっとりばやい。

 しかし見習いは全寮制だ。国を守る仕事をするためにはしかたないことだ。

 でもクーイを連れてくと言っても、寮にいれることは出来ない。

 

「どちらにせよ、やることは変わらないか」

 そのとき、玄関からトントン、とノックが聞こえた。

 誰だろう、と考える。

 クーイは鼻歌を歌いながら後片付けをしている。

 わざわざこんな離れたところに来るなんて――

 スキャットは扉をあけ、その人物を見る。

 白い、高級そうな装備を身に着け、背中にはガルディア国の宝、首切り包丁『硝子彫刻シンデレラ』を背負っている。

 とても温厚そうな少年はにっこりと笑いながら、


「こんにちは。ガルディア国勇者ラングです」

 

 と名乗った。

 扉の向こう側にいる人間は、ガルディア国の勇者だと言った。

 本に載っている、憧れた英雄の一人。

 ラング――だと彼は名乗った。

 



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