第一章 二話「狂人と常人の見分け方」
誰かが言った。
「小説は一行目」
「漫画は見開き」が一番読まれると。
人が物語を作る際、とにかく大切にされるのが一話目のインパクトである。それは物語の頭であり目玉で、小説であれば最初の一行が、漫画であればカラーの見開きが今後の評判を決めると言っていい。
だから自作の小説『召喚術師と世界の果て』において工夫した。
誰かの記憶に残るように。誰かの気持ちに触れるように。
『物語の一話目は、戦争から始めよう』と。
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「始めようぜ、戦争を」
「お前……なにを言って――」
「はぁ? おいおいマジでどうしたんだよ。長い冬眠で脳みそが起きてねぇんじゃねぇのか?」
そういうとミレはユグドラシルをつかんだ右手を離す。
そして、
「邪魔」
と、まるでボールを蹴るかのようにボクの腹に強く蹴とばす。
「ごっ――!」
唐突な重い足蹴りに息が詰まる。
「なにをっ……!?」
なにをするんだ――といいかけたその時。
「ぁあ――」
――千切り姫は叫んだ。
「ぁぁぁああああああああああああああ!!!」
吠えた。
ビリビリッ――と。
乾燥した大気が泣き叫ぶように震える。
これも――ボクは知っている。当然知っている。
叫びであり歌であり讃頌でもある、ミレ・クウガー金切り声。
慌てて空を見上げる。
視線の先に広がるのは散りばめられたビーズのように輝く星々と暗い空。
なにもない、あるはずもない。
否。
それは遥か上空落ちてくる。
「黒燃毛象……!!」
それは想像の怪物。
「正解だぜ主殿」
ミレ・クウガーニヤリと笑った。
「ハローハロー。みんな起きて。お仕事の時間だよ。朝食は食べた? 音楽の準備はOK?」
ミレの声と共に――巨大な黒が音を立てて落ちてきた。
まるで黒い隕石のように。
ボクの想像を重ねて描いた魔獣。
雪原で降り立ったのは数十メートルはある巨大な影の『毛象』だった。
黒煙を纏い致死の匂いを醸す四足歩行。まるで固まった石油のような質感の肌からは体からは黒い血が溢れている。
唯一きれいに並んだ歯々の白色が不気味さを掻き立て、八つの目玉は仰々しく開きミレの指示を待っている。
血とガソリンが漂う巨大な毛象が、ミレの指示をいまかいまかと待ちわびている。
「そんな……!」
一体だけではない。
轟音鳴り響く怪物たちの数はーーゆうに百を越えた。
アキはまともに声を上げることもできず、ただただ目の前の魔獣を見上げるだけだった。
皮膚から溢れるガソリンが発火し全身が燃え盛る。血の匂いと焼け焦げた匂いが漂う。
そんな怪物たちが百体以上列をなし並んでいる。
「くっくっく……こっちの準備は万全。今なら何人でも殺せそうだ。あちらさんはまだかな――っと、おやおや。お見えだ」
ミレは視線の先、雪原の向こうを見ながらそういった。
そこには――小さな点が見えた。
「嘘だろ……?」
小さい点は少しずつ大きくなり――そしてどんどん増えていく。
ミレは大きくなる点を指差した。
「主殿、見ろよ。ガルディアだ。兵は――おおよそ二万くらいか? なかなかやる気じゃねぇの」
くっくっく――とミレは八重歯を見せながら笑う。
点はどんどん大きくなっていき、小さな点は影となり――やがてゆっくりと人型に変わっていくのが理解できた。
雪原に広がり続ける黒い粒たちは徐々に姿を現していく。
影はどんどん大きくなっていく。
人間だ。
ゆっくりと近づく黒い粒は人間だ。おおよそ視界いっぱいにひろがある粒たちは何百では到底きかないだろう。
二万人。それがどれほどの数字か理解は出来なかったが自分の住んでいた小さな市の全人口が目の前にいる。
そしてそれ以上に――背中をより凍らせるに役立つものを、ボクは聞いた。
――それは声。雄叫びと呼ばれる、命の咆哮。
「「があああああああああぁぁぁ!!」」
影は吠えるように叫んでいた。
おおよそ視界にいる全ての人間たちによる咆哮。空気の振動が耳と肌に届き※※の足を震わせる。
全軍勢は渾身の力で雪を蹴りぬき我先にと駆け走っている。
雄叫びはどんどんこちらへ迫り来る。声に加え、鎧の金属音が派手に響く。
足ががくがくと震えている。
視界に映る人間の勢いに、いや全てを理解することができずただ立ち尽くす。
「本当に戦争が始まるのか!?」
怒り叫びながら迫る兵士。
並び待つマンモスの怪物。
ここにいる――作者だけが浮いていた。
「……ここにゃ『人間の魔女』がいるからよ。くっくっく。こっちが取れりゃガルディアの屑共に一歩リードだ。おい、金玉引っ込む前にさっさと戻れ主殿。かすり傷でもしたらブッ殺すぞ」
「ど、どうしてだ……なんでこんなことに」
「どうしてって――てめぇが言ったんだろうが。『人間を殺し尽くせ』ってな。だから私達はここにいる。てめぇの、主殿の理想の世界のために」
ミレ・クウガーは、世界に迷い込んだ日本人をまっすぐ見ていた。己が信じる神として。
「こ……こんなの……俺が望んだわけじゃ――」
望んだわけじゃない――そう言おうとしてとどまった。
違う。これはボク、ユグドラシルが望んだものだ。
それは、とても幼稚で安易な発想。
『そうだ! 物語は戦争から始めよう。そうすれば緊迫感が生まれる!』
『人間は副官ミレの解き放った化け物に蹂躙されよう!』
人目につきたい、インパクトを持たせたい。
そんな子供じみた思考のもと、作られた物語の始まり。物語を盛り上げるために用意された装置。
彼らの死を望み、悲しみを望んだ張本人。
「みんな……みんな殺されるっ! ミ、ミレ!やめてくれ! ボクが悪かった!」
凛と立ち、憎き人間を睨むミレ・クウガーの足元へいくしかなかった。とにかく止めないとと思った。これが現実であれば――たくさんの人が死ぬことになる。
けれど実際はミレに近づくことはできない。
冷えてうまく動かぬ足を言おうなく動かすものだから真っすぐ歩くことなく雪の中に倒れる。
それでも前へ、這いずりながら深い雪をかき分ける。
黒のヒールを履いた長い足にたどり着き――やめてくれと願う。
しかし、ミレには届かない。
まるで見下すように言う。
「頭イカれてんのか。敵の目的は魔女だけじゃねぇ。アンタもなんだよ。死なない魔神って言っても、条件を満たせばアンタは殺されんだよ。それにこっちも大勢やられてる。ここで手打ちなんざ反吐が出るね。これはあいつら人間を殺す戦いであり、私達魔族を守る戦いでもあるんだよ」
「ミ、ミレ! 頼む!」
「ヤだね」
ミレはくるりと後ろを向き、並び待つ巨象たちへ言葉を贈る。
「さぁ殺そう。楽しく殺そう。一人残らず殺し尽くそう。踏んで炙って千切って遊ぼ。頭蓋はペシャンコ背骨はおしゃか」
リズミカルにミレは笑う。
「私の友達さん。鬱陶しい人間を、爽やか死体にして家族へ返してあげちゃおう」
天空城から聞こえる鐘とミレの声を合図に、黒燃毛象達は二万の軍へ向かって走り出す。
数百頭からなる地響きがアキの体に駆け巡る。
巨体を機敏に動かしながらまるで和紙のように人間を破り、食いちぎっていく。
巨大なマンモスが敵陣に跳び進めるだけで――数人の敵兵を踏み潰す。
鉄骨のように長く太い鼻を乱雑に薙ぎ払うだけで――敵兵は脆く破裂する。
草食獣のような歯を立てるだけで――敵兵は食いつぶされる。
残虐。悲惨。そんな言葉で表すことすらおこがましい。
「こんなものを……ボクは……」
目の前に広がるのは、到底受け入れられない世界だった。
万の兵を数百体の魔獣が食い散らかす姿。
「これじゃ……悪役じゃないか」
物語の見開きは、バケモノを携えた千切り姫ミレ・クウガ―へ挑むガルディア国の騎士たちの視点のはずだった。
けれど今、悪役の世界を見ている。
化け物に対し、命をなげうつ兵士たちの視点ではなく――蹂躙する化け物として。
血の匂いに追われ、※※は戦場へと歩み近づく。
溢れかえる死体。
むせ返る血の色。
延々と続く悲鳴。
虐殺が繰り返される赤い海で一人の兵士を見つけた。
ガルディア国の制服は血にまみれ、右手と右足がなく、目玉も潰れている。
兵士はまるで生体反応のように「あっ……あっ……」と声をこぼす。
「おい! 大丈夫か!」
とにかく助けなければと思った。
目の前にいるガルディア国の兵士は、ボクが殺したようなものだから。
「今助けるから……」
けれど彼の血は一切止まらなくて。
「もう……俺は助からない……感覚が……ないんだ」
「ダメだダメだダメだダメだ!」
子供のように喚くしかなった。取り返しのつかないことをしでかしてしまった子供が、なんとかならないかと泣くように。
「頼む頼む頼む死なないでくれ死なないでくれ――」
「――危険だぜ、主殿」
その瞬間――ミレの大太刀が男の額に刺さった。
血がぬるりと溢れ、男が電気を浴びた実験用のラットのように痙攣する。
「人間は危険だ。自爆や騙し打ち、なんでもありだ。いい加減、城に戻れよ主殿。アンタが死なないってことは知ってるが……捕まったら元の子もねぇよ」
ミレは男から剣を抜き、血を払う。
「お前……なんてことを……」
「? なんてことを? ……おいおいマジでどうしちまったんだよ」
「なにを言って――」
――あぁ違う。
「おかしいのは――ボクか」
魔神ユグドラシル――この物語のラスボス。
人間を殺し、魔術国家ガルディア国を亡ぼす悪魔。
この世界で唯一、間違っている存在であるボクは、ミレが殺した男の横で意識が途切れた。