俺は彼女に管理されていることを知らない。
「おはよう。気持ちいい朝だぞ、明。」
そう声をかけられたのは、朝の6時。
本来であれば俺はそんなに早起きじゃない。
平日、土日祝日に関係なく寝れるのならギリギリまで寝ていたいと思うような性格なのだ。
だけれど、俺はいつも朝6時に起こされる羽目になる。
それは彼女がいつもこうしてモーニングコールをしてくるから。
「おはよ…。いつも言っているんだけど、俺のことは気にせず学校なりなんなり行っていいんだよ?」
「それはできない。私は君が立派な大人になれるよう、お母様から託されているんだ。」
「それは単純に母さんが俺の世話を面倒がっているだけだから気にしないでくれ…。」
俺の説得は彼女に決して届かない。
なぜならこんな会話、気が遠くなるほど前からずっと行ってきていて一度も成功していないという現在までの積み重ねの無残な結果があるからだ。
「ふむ。明はそんなに私と朝登校するのが嫌なのかな?」
彼女、説明が遅れたが…俺の幼なじみ兼、お世話大好き少女の三橋遥は文武両道の美少女。
という風に学校では評価されているのだが、俺は世間の評価に疑問を呈したい。
「嫌じゃないけど…俺はいつも君の召使いか何かかと思われているのだけれど。」
「どうしてかな?どちらかと言えば私が君のお世話をしたい…召使いに近いものだと思うのだが。」
「そりゃ…」
もし、自分が関係ない第三者として俺と遥のことを見たら、確かに俺が召使いに思えるだろう。
あまりにも強者のオーラというか、気品の高さが全面に漏れ出してしまっている彼女と俺を比べたら当然俺の質素さが余計に目立ってしまうものだ。
特に性格も、男子顔負けのかっこよさを有しているため俺という存在はかろうじて認識されるくらいの状態。
「よくわからんが、明のことを召使いと呼ぶものがいるのであれば私が一人一人説得するとしよう。私の方が明の召使いであると。」
「いやいやいや…それだと誤解を招きかねないから!!」
自信ありげに喋る彼女に、俺は全力で他の噂で俺の社会的信用がガタ落ちになるんじゃないかと心配になる。
「さてと、そろそろ準備をして学校に行こう。ご飯はもうできているんだ、冷めてしまう前に食べて欲しいかな。」
「あ、それは…確かに。悪いな、毎日作ってもらって。」
「構わないさ。それが私の至上の喜びであり、他の何にも変えがたいものなのだからな。」
「…」
この世話焼き少女はダメ男製造機なのではないかと俺の中で仮説が立てられている。
ともかく、彼女の作ってもらったご飯には罪はないので、誠心誠意感謝をしながら頂く。
本来であれば、シングルマザーで家を朝から夜まで空けていていつ帰ってくるかもわからない母親に代わり、俺が自分で作るべきなのだが…遥に関してはいつから起きていて俺に朝食を作ってくれているのかわからないくらいなので代わることができないのである。
「どうしたのかな、浮かない顔をして。あまり美味しくなかったかな?」
「あ、ちょっと考え事してて。いや、すごく美味しいよ。俺は遥の作った焼き鮭が好物なんだから。」
「そうか、それならよかった。お礼を言ってくれて私の方が嬉しくなってしまうな。」
遥は俺の目の前で共に食事をしながら、頬を赤らめる。
いつも思うが、彼女が照れるタイミングがよくわからない。
少なくとも…男子生徒に告白されたりしているときには全く照れているところを見せず、一刀両断しているように見えるから。
一緒に登校して何が問題なのかと言えば、別に早起きだけのことじゃない。
俺は確かに早起きは苦手なのだが、遥の全力のお世話…もはや介護のレベルに到達しているそれによって俺は目が覚めてしまうため登校するために家を出る頃にはさしたる問題にはなっていないのである。
しかし、問題はここから…やはり今日も来たか
「三橋さん。おはよう、僕と一緒に学校に行かないかな?」
サラ男俺は彼のことをそう名付けた。
というのも、毎日こうもバリエーション多くの男子生徒が通学路の途中で待っているのであれば…ネーミングもどんどん質が落ちてくるというものだ。
「すまない。私は、明と学校にいくと決めていてね。君とは一緒に登校できないんだ。」
いつものように遥が断る。
これももう恒例行事のようになっているのだが…なぜ、こうも毎日断られる人がいるのに次々とチャレンジする人が現れるのだろうか。
「そ、そんな…。そこのなんの取り柄もなさそうなパッとしない男子と登校するほうがいいっていうのかい?」
サラ男は信じれられないとでも言うように遥に詰め寄る。
と言うか、本人の前で何の取り柄も無さそうだとか言わないでくれよ…地味に傷つくんだから。
「…今、なんと言った?」
俺としては、悲しいとは思いこそすれそれ以上は特に思うことはないのだが…
「へ?」
俺にお世話してくれる心優しい彼女は、時に激昂する。
「私の大事な幼なじみを愚弄したのか、貴様は。」
「え、いや…あの。」
急変した遥の態度にサラ男くんは詰め寄るどころか…後ずさってしまう。
この展開は恒例行事というわけではさすがにない。
遥を怒らせてしまうのは、大概自分に強い自信を持っている勘違い男くんばかりなのだ。
もちろん彼らがモテるのは俺にも十分理解できるし、サラ男くんだってその口だろう。
しかしながら、遥という奇特な少女は…少々、というかかなり趣味が悪い。
「私にはどうしても許せないことが2つある。ーーー1つは、私と明の幸せな生活を害すること。もう一つは私の最も大切な人を貶める奴らだ。」
「ひ、ヒィっ。」
サラ男くんからは、もはやイケメンオーラなんてものは消え失せてしまった。
圧倒的な強者の威嚇によって押し潰されてしまったようだ。
「私は君のことをよく知らない。だが、君が私の幼なじみを傷つける可能性がある人間だということは十分に理解できた。悪いが、早くここから立ち去れ。そうでなければ私は自分を抑えられそうにない。」
まさに「ゴゴゴゴ!」と効果音でも付きそうな剣幕に、サラ男くんには居座るという選択肢はなく…風のように去っていった。
「…すまない、私のせいで明に迷惑をかけてしまったな。」
「何、泣きそうな顔してるんだ。俺は別に遥のせいだとは思ってないよ。それに、ちゃんと庇ってくれたしな。」
俺はいつもながら、遥のこの泣きそうな顔に弱い。
照れていると分かっていながらも彼女のことをフォローしなければ済まないのだ。
絶対顔真っ赤だ…と思いながらも、仕方ないなって割り切るしかない。
そういう性分なのだ、俺も遥も。
「先ほどの授業、しっかりと理解できたか?少し、眠そうにしていたがわからなかったことがあればいつでも私に聞くんだぞ。」
と、授業が終わるとすぐさま遥が話しかけてくる。
まあ、実際数学の授業がわからなくて眠かったのは事実なので何も言い返せない。
だが…教室で遥にマンツーマンで指導をお願いするほどメンタルが育っていないので…テスト前にお願いしようといつもながら思っている。
「相変わらず2人はお熱いな〜。そこんとこどうなんだ、明。」
「どこがだ…。」
俺らに話しかけてきたのは小学校から高校に入った今でもなぜか俺と遥とクラスが毎回同じという変な運の持ち主…阪下徹。
「阪下…君も、授業でわからないところがあったのか?明の次で良ければ君に教えてもいいが…。」
「いやいや、そんなんじゃないよ遥ちゃん。鬼軍曹は勘弁!」
「鬼軍曹?」
鬼軍曹という言葉に首を傾げる遥。
もちろん、その言葉の意味を俺は知っている。
遥という少女は俺に勉強を教えてくれる時はとても優しく懇切丁寧に教えてくれるのだが…他の生徒には男女関係なくとてもスパルタ指導になるのだ。
徹も以前それを経験したことがあるので、それ以降2度と遥に勉強を教えて欲しいなどと頼むことはなくなった。
一度でも遥に勉強を教わった者ならばきっと誰もが二度目は頼むことはないだろう。
「そ、そんなことより…進路届け出したか、明。」
「いや、まだだけど…確か今週末までだっけか。」
あと1ヶ月もすれば世間的に言う受験生という学年になってしまう。
俺も、遥も進学の予定だが…そういう話題には触れてこなかった。
俺からはもちろん…受験なんて聞くだけで胃が痛くなるような言葉を自分から話題として振るのは御免だし、遥の方からも俺がどこに受験するかなんて尋ねられた覚えがない。
きっと、遥は俺とは学力のレベルがかけ離れているため…話しても意味がないのだろうと個人的に思っている。
「ああ…せめて部活引退するまでは考えたくねえよ。」
徹は万年帰宅部の俺と違って、部活で汗を流すいわゆるスポーツマンだ。
部活動がこれから最後の夏の大会に向けて頑張るというところで受験なんて考えたくもないのだろう。
「明は大体は決まってんのか?」
「まあ、大雑把にはな。具体的にどこの学科とかってのはないけど。」
大学に行く理由がもちろんはっきりしていて、将来のビジョンが明確に描けている人なんてどれくらいいるのだろうか。
いたとして、一体どのような経験をしてくればまだ17という歳で生涯就くことになるかもしれない職を決めることができるのか聞いてみたい。
「ふむ…盛り上がっているところすまないが、明の進路届けは私が出しておいたから、出す必要はないぞ。」
「え?」
びっくりしすぎて変な声でた。
「何で、遥ちゃんが明の進路届け出してるんだ?」
徹も、よくわからないという感じで遥に尋ねる。
「明は私と同じ進路に進むのだから、考えても仕方あるまい。どうやら学びたい分野が決まっているわけではないようだし、私と近所にある公立大学に通うとしよう。」
「それで納得できるとしたら君の幼なじみは…脳内お花畑だよ。」
俺は、苦言を呈するが遥は何が問題なのだか全くわからない顔で
「私が明のお世話を続けるには、違う学校だと不便だろう?それに近所の学校ならば遠出せずとも良い。明も近い学校がいいと言っていたではないか。」
「確かに言ったけども…。」
今通っている高校を選んだのも、近いからというだけのものだ。
実際、部活動や進学に高い意識がない生徒であれば近いところくらいしか大事な要素なんてないものだ。
女子生徒であれば制服だったり、学校行事とかで選ぶ人もいるかもしれないけど。
「勉強の心配をしているのなら大丈夫。私がつきっきりで付き合おう。それに、来年出題されるであろう予想問題を過去の出題傾向から分析して鋭意作成中だ。それさえ解けるようになれば合格間違いなしだ。」
「うん、何から何まで…本当にありがとう。お父さん泣きそうだよ。」
「なぜ、急に泣くんだ…それに明はお父さんではないぞ。」
俺はもう本当に自分ではこの先何も選択することがなくなりそうだ。
なぜなら俺が選択肢に到達する前に遥が選択して決めていそうだから。
「遥ちゃんは本当に明に甘いな〜。俺も、明くらい甘くしてくれれば歓迎なのに。俺が明の立場なら一生養ってもらうね。」
徹が俺のことを羨ましそうな目で見てくる。
「すまないが、私には明をお世話するのが手一杯でね。他の人に構っているほど余裕がないんだ。それに、阪下には確か彼女がいたはずではなかったか?」
「まあ、いるけど…後輩だし、養ってくれとはさすがに言えんよ。」
徹が遠い目をする。
いや、俺も別に遥に養って欲しいとまでは言ってないんだけど。
「年齢は関係ないと思うがな。私は明を生涯をかけて世話すると決めているから、明が養って欲しいというのであればあらゆる手を尽くして、何もせずとも穏やかに暮らしていけるよう私が資金繰りを頑張ろう。」
「遥…、大丈夫、きっとそんなことにはならないと将来の俺にまだ自分としては期待したいところだから。」
将来の俺、頑張ってくれ。
きっとダメな気がするけど…まだ、希望は残されているよ!
「てかさ…遥ちゃんってずっと明の世話してるけど、恋愛とか興味ないん?」
徹が遥に尋ねる。
俺も気になってはいたのだが…俺のお世話という名の介護で1日の大半を使ってしまう遥は誰か好きな人がいるのだろうか。
もし、そうなのであれば…俺の世話をしていたらきっと実らない恋になってしまうだろう。
「そんなことか。私はーーーー」
「なあ、本当なのか。恋愛をしたいと思わないって。」
「ん?ああ、学校で阪下と話していたことか。」
俺は家へ向かって歩いている途中、遥に昼間のことを尋ねた。
彼女はあの時
「そんなことか。私は恋愛をしたいなどとは思わないな。心がドキドキして冷静でいられないという話も友人から聞いたことがあるが一度もそんなものを感じたことがない。恋愛というものに向いていないのかもしれんな。」
と言った。
それは、嘘をついているようには見えなかったし…実際事実なのだろう。
俺にはその原因が何となくわかってしまっていた。
「あの時言った通りさ。私は明の世話以上に大切なことなんてないのさ。逆に半端な気持ちで交際するのは相手に申し訳ない。私は周囲が思っているよりも、世間でいうところの面白い人間ではないよ。」
遥の言う通りだ。
俺の世話をしながら付き合うなんて無理だ。
俺が遥を強引に拒絶して世話から解き放つこともできるけど…そうしたくないと思ってしまうのは俺のわがままだろう。
「俺も…遥と同じだ。」
「ん?」
「俺も遥…お前と同じで、今のこの関係に充足感があった。だから…もし、お前が誰かと付き合って俺とは今みたいに過ごさなくなると思った時…素直に応援できなかった。」
「それって…。」
「悪いな、かっこいい男なら遥の幸せを願ってやるべきなのかもしれない。けど、俺にはお前がいない生活が考えられないんだ。」
「…。」
引かれただろうか…。
あまりにも身勝手なことを言っているのはわかっている。
これからも何も返せるものなどないのに、世話になりたいと…言っているようなものだ。
軽蔑されても仕方ない。
「本当か…今言ったことは。」
「ああ…。本心だ。」
「明日になったら、嘘だとか言わないよな?」
「残念だが…その予定はないな。」
「明…。」
遥が立ち止まり、俺もそれに気づいて数歩先で止まって振り返る。
そこには、泣いている遥がいた。
「わ、悪い。まさか、泣くなんて。ごめん!!俺、流石に気持ち悪かったよな。大丈夫、遥が幸せになれるよう俺も努力してーーー」
「ーーー明。何か勘違いしているのなら、一つ言うがこれは嬉し涙だぞ。」
「嬉し涙?」
遥は真っ直ぐこちらを見据えて、嬉しそうに破顔した。
「やっと、明が私が世話を喜んでくれていると明言してくれたんだ。これ以上嬉しいことなどあるものか。私をここまで嬉し泣きさせることができるのは明だけだぞ。」
「あ、そう言う…。」
俺の思った展開とはまるっきり逆方向に飛び抜けてしまったような気がしているが…遥が泣いている理由が悲しいからと言うわけではなくて安心してしまっている自分がいる。
「私には明が全てだからな…。君のお世話をすることは私の幸福であって恋愛なんぞと比べられないくらいに大事なものなんだ。明が私に何を申し訳ないと思っているのかわからないが…安心してくれ、私も今の生活が何よりも幸せだぞ。」
俺は、それを聞いた時何か、「フッ」と心の中で重りが消えたような気がした。
いつからか、俺は彼女に世話をされる度にありがたいと言う気持ち以上に申し訳ないと思うようになった。
俺が遥のあらゆる経験の機会を奪っているのではないかと…。
でも、彼女はずっと言ってくれていたのだ…俺のことを大切に思っているから世話をしているのだと。
「悪いな、遥。俺は見てくれの通りお前がいなきゃ何もできないんだ。しばらく付き合ってもらうぜ。」
「ドンと来い、だ。私が全力を持って明の世話をしてみせよう。」
俺と遥はその後、手を繋いで帰った。
今まで登下校は山ほど一緒にしてきたのだが…手を繋いで帰ったのは小学校以来のことだった。
「ふ、ふふ。」
私は、今日も暗い部屋の中で彼を隠し撮りした食事をしている写真を見てニヤニヤとしてしまう。
これで彼のコレクションは食事だけで1万枚近くになっただろうか…。
6歳くらいの頃から彼の生活のあらゆることを写真として残す。
それは彼にも見せることができない私のコレクションだ。
「入浴の写真はしばらく撮ることができてないな。今度、明の家に泊まった時カメラでも設置すべきか。」
私は彼のことをなんでも知っていたい。
朝起きて夜眠るまで…できれば夢の中の出来事でさえ。
「ついに私のことを明が認めてくれたんだ。」
私のことに明が本気で反対したことはない。
いつも私が世話をしていると申し訳ないと言う表情をしながらも、受け入れてくれていた。
だが、私の心の中では彼が本当の意味で受け入れてくれているかどうか心配だったのだ。
今日彼から本心の言葉を聞くことができてよかった。
「今日は人生最良の日だ。」
恋愛感情を知らないわけではない。
昔、私はきっと明に恋をしていたのだろう。
いつからか、その感情は彼のことを知りたいと言う欲求の塊になり…今では彼のことを何でも知らなければならないと言う強欲に変わった。
「いつまでも私が管理するからな…明。」
私は私の欲のために彼のことを隅々まで知り尽くす。
それこそが私の至上の喜びなのだ。