第5の不思議︰スニークさん-21
今日はもう撮影もクソもないということで、オレたちは帰ることにした。他に誰もいない廊下を黙って歩く。先頭は霧島さん。そのすぐ後ろに湯川さん。そして二人から少し離れてオレが歩いていた。重苦しい空気が漂ってる。
「あれ? 長屋?」
ふいに横から男子の声がした。その瞬間、背後で走り去る足音がした。反射的に振り向くと女生徒が階段の踊り場へ出る角を曲がる姿が見えた。
角の向こうへ消えるほんの刹那、向こうがこちらを見た。明るい栗色に染めた髪と強めのメイクに彩られた顔は誰だかわからない。けど、奇妙なほど見覚えがあった。
互いに目が合う。彼女は酷く驚いた表情を浮かべ、壁の向こうに隠れてしまった。全てが一瞬。けれどやけに長く感じられ、相手のことがハッキリと認識できた。
そのまま足音は階段を登って遠ざかり、足音が消えていく。
追いかけようとしたそのとき。
「ねえ、今の」
霧島さんに声をかけられ、オレはタイミングを逃す。振り向けば霧島さんと湯川さんがこっちを見ていた。
「見たか?」
「足先が向こうに引っ込むところだけ」
「あの、私は何も」
「長屋くんは?」
「ああ、いや──」
するとまた、横から声をかけられた。
「どうしたんだこんなところで? それに今の足音」
見れば開け放たれたドアの向こう、教室の中に圭人と兎和が立っていた。二人ともコピー用紙の束を手にしている。
「放送部の手伝いだ」
「ああ、そんなのもあったな……」
「そっちこそ、どうしたんだ?」
「これだよ」
圭人はコピー用紙を裏返して見せた。“無尽教室ゲリラライブ@無人教室”と書いてある。その下には文化祭の日付。どうやら無尽教室ってのがバンド名らしい。
「あちこちの使われてない教室にこれが貼られてたんだ。無許可だから剥がして回ってる」
「そんなことまでやってるのか? 会長と副会長だろ」
「こんなことでも息抜きになるくらいヒドイんだよ。まったく。コイツらにしてもそうだけど、初の文化祭だからって伝説になろうとする低能が多すぎる。申請書一枚出せば許可されるってのに。なにが伝説だ。無許可がすごいなんて、それこそ無能の考えだ。そんなことで伝説になんてなれるものか」
しかめっ面で毒づく姿でさえ、今の圭人だと渋さがあって少し格好いい。
「学校側が認可関連を引き受けてくれるって言ったから任せたの。罠だったわ。まさか有志参加を片っ端から認可するとは思わなかった。コンテストで参加賞ありなんて、正気の沙汰じゃない。体育館と屋外の2ステージ同時進行なんて、そんなバカな文化祭聞いたこともない」
兎和が言う。そういやそんな話あったなぁ。たしか参加賞は来春開業予定の学食で使えるうどんかそばの無料券だっけ。
「そんな人数いるのか?」
「掛け持ち。参加賞は団体ごとに配られるから。ミニステージ作って当日参加も受け付けようとかイカれたこと言う校長を思いとどまらせるの、苦労したのよ……」
ため息混じりに兎和が言う。
それにしてもこの二人、前に見たときよりさらにやつれてる。圭人の方はそれさえも凄みを増す感じになってて悪くないけれど、兎和の方はオレでさえ心配になるレベルだ。
「とにかく二人とも部誌の方は気にしなくていいから、体には気をつけて、って言っても無理か。まあ、生きろよ」
オレたちは憔悴した二人と別れてまた歩きだす。
「今の生徒会長だよ……ね?」
さっきまでの険悪な雰囲気を忘れたように霧島さんが喋りかけてくる。口調はすっかりオフモードの気だるそうな調子に戻っている。
「ああ」
「前と雰囲気全然……違う、でしょ? 直接話したことほとんどない……けど」
「そうだな。2学期になって別人みたいになったって、少し噂になったろ。知らなかったのか?」
「あー……。もちろん知ってはいた……けど……実際に近くで話すと、ね?」
オレは霧島さんの目が泳ぐのを見逃さなかった。そういやこいつも部活以外は知り合いゼロ人生活を送ってるんだった。
「あいつ、副会長と付き合ってるから妙な気起こすなよ」
「さすがに……知ってる」
ムッとした調子で返される。“さすがに”ってことは、やっぱり圭人の変わりぶりは知らなかったんだな。
しばらくしてオレたちと霧島さんは別れた。オレと湯川さんは荷物を取りに部室へ。お互いさすがに疲れ果て、なんとなく椅子に座って一休みする。
「さっきは、ありがとうな」
「えぁっと、あ、ええ。いや、ええ。助けようと思って言ったわけじゃなくてですね、あのう、思いついたから言っただけで。あ、すいません。でも、助けられてよかったです。はい」
「どんなつもりだったにしても、湯川さんがオレを救ってくれたことに変わりはない。この恩は一生忘れない、なんてガチで言う機会があるなんて思わなかった。けど、それぐらい感謝してる。オレにできることなら何でも言ってくれ。それくらいのことをしてくれたんだ」
オレはなるべく自分の気持ちが伝わるよう、願いながら言った。すると湯川さんは感謝され慣れてないのか、少し居心地悪そうに会釈した。
「ども」
どうやら伝わったらしい。
「ところで、体調は本当に大丈夫なのか?」
「え? あ、はい。なんともないです。その、本当に子供の頃から何度かあったので」
湯川さんの話によると、一時はかなり心配した親に連れられ、大学病院で検査入院をしたりかなり本格的に調べてもらったこともあるらしい。ただ、結果は異状なし。どこをどう調べても異常な点はなかったとか。
そこで怪しげなカルト宗教のところへ行かなかったのは運が良かったのか、親が賢明だったのか。
「ただ、関係してそうなことなら自分的には見当ついてまして」
「というと?」
「毎回、何か閃いた感じがして、その瞬間に倒れるんです。それで起きると何を閃いたのか解るし、少しのあいだ勘がものすごく冴えるんです。何でも解りそうなくらい。さっきも霧島さんのマスク見て“あっ”て思ったら意識が遠くなって、起きたら全部解ってたんです」
これまで何度も考えてきたことだからか、湯川さんは淀みなく喋る。
つまり超推理の難易度があるレベルを超えると、脳がオーバーヒートして意識を失う、そんなことだろうか。どういう仕組みなのかさっぱりだが、なんとなく腑に落ちる。
まあ、普通に考えれば何回か検索しただけで霧島さんのチャンネルにたどり着くとか、尋常じゃない。超推理にしてもほどがある。脳が焼き切れそうになっても不思議はない。
霧島さん自身も今ごろどうやってバレたのか、首をひねってるに違いない。あのときそのことを追求されなかったのは向こうもテンパってたからだろう。
それから少しして、特に何もなくオレたちは解散し、帰宅した。峰山さんはいない。自分の部屋でベッドに横になると、ようやく開放された実感が湧いてくる。それと同時に自分の失敗がどれだけ危うかったか、あらためてゾッとさせられる。
オレはひとまず宮華に通話すると、今日のことを一通り報告した。
「湯川さんがいてくれたから良かったけど、謝って簡単に済むようなことじゃないでしょ」
「はい。すみません」
「具体的になにをしてたかハッキリとは言ってないんでしょ? それは絶対?」
「たぶん……」
「たぶん?」
「あ、いや、絶対です。はい」
「私が知りたいのは実際どうだったか、なんだけど。今、私に言われて変えたよね?」
解っちゃいたけど、延々と説教された。けど、オレには弁解のしようもない。
「それにしても霧島さん、やっぱりロクな人じゃなかった」
終わりが見えない中でひたすら叱られ続けていると、急に話が飛んだ。
「イチロの話が確かなら、あの人、最初から私たちに何かあると思ってたんでしょ。ひょっとしたらスニークさんのことはおまけで、本当はそっちについて何か掴みたかったのかもしれない。そう考えれば突然イチロを撮影に参加させたいって言い出したのも納得できる」
本当に面白くなるのはここから──。霧島さんの言葉が蘇る。
「自分たちもやる側に加わってたわけでしょ。そんな騒ぎの撮影をあんなに無理やり引き伸ばしたのだって、イチロたちが疲れたり油断してボロ出すのを待ってたのかも……」
実際、そうなったわけだ。そう思ったものの、言うとまた説教ルートに戻りかねないので黙っておく。本気で悪いと思っては思ってるけど、だからって怒られたいわけじゃない。
「にしても、どうしよう。今日はどうにかなったけど、いつまた何か仕掛けられるか解らない。先手を打ちたいところだけど……。そうだ。私よく知らないんだけどアダルトサイトから霧島さんに似たマスク女子のやらしい動画を見つけて、Youtubeのチャンネルとかと一緒に拡散しておいて」
「それくらいなら、まあ……いや、いくらなんでもそれはダメだろ!?」
「なんで? 悪いと思ってるんでしょ」
「だからって、さすがにそれは人としてやっちゃいけないレベルだ。解るだろ?」
「あのね。そんなヌルいこと言ってる場合じゃないの」
「あのな。霧島さんがしてることは真実を暴くことだ。けど宮華が言ってるのは逆。真実を捏造しようとしてる」
「だから?」
「だから……」
はて。だから何なんだろう。七不思議づくりだって似たようなものだ。それをやってるオレがどうこう言えるわけが……。いやいや。霧島さんを破滅させるのは全然違うだろ。
「とにかく、オレは絶対にやらないからな!」
「じゃあ、どうするの?」
「どうするって」
オレは言葉に詰まる。しばらくして、通話越しに宮華のため息が聞こえた。
「とにかく霧島さんもすぐには何もしてこないだろうから、その間にどうするか考えようか……」
さっきまでガチ説教されてたこともあって、その優しさが逆に痛い。
「ごめん」
「ああ、いいよもう。しょうがない」
突き放すような響きがあった。宮華もそれを感じたのか、明るい口調になって続ける。
「でさ。私もイチロが最後に見たっていう女子について考えてたんだけど。茶髪に濃いメイクで顔に見覚えある気がする。まず普段からそんな格好してたら印象に残ってるはずだから、その可能性はない。ってなると、本番のウィッグとメイクした有志バンドか何かの娘じゃないの? 走ってたのも急いで練習に戻りたかったからとか」
「あ……ああ。なるほど。それで無理なく説明つく、けどな……」
「なに?」
「いや、上手く言えないけど、なんか違う気がする。やっぱり誰だか思い出せないけど、顔見たときに違和感が凄かったっていうか」
「普段とは似ても似つかないメイクだったから、とか」
「そういうことじゃないんだよなぁ。うーん」
オレはあのときの感覚をなんとか言葉にしようとしばらく頑張ったが、諦めた。
「ダメだ。やっぱ上手く説明できない」
「そう……。とにかく、圭人の見た娘が新しい厄介事の種にならないよう祈ってる」
「まったくだ」
最後になんとなくモヤモヤしたものを残して、通話は終わった。にしても今の終わり方だとなにか起こるフラグ立ちまくりだったな。大丈夫なんだろうか……。
 




