第2の不思議︰幽霊部員の幽霊-02
帯洲先生はすばやく日下さんに目を留めた。ヤバい。いきなり帯洲先生のテンションが直撃したら、日下さん深刻なダメージ受けるんじゃないだろうか。
ところが意外にも帯洲先生は落ち着いた笑みを浮かべ、穏やかな声で日下さんに語りかけた。
「キミが日下雪子さんだね? 郷土愛好部にようこそ」
なるほど。この先生そもそも部活名うろ覚えなのか。
「色々と慣れないことで大変な時期だろうから、あまり無理して部活に参加しようとしなくていいよ。だいいちこの部活、特にこれといった目的もないし」
普段ノータッチの割にずいぶん知ったようなことを。しかもおおよそ合ってるっていうか、オレがさっき言ってたことと被ってるっていう。
それにしてもなんなんだ、この頼れる先生感。本当に本物の帯洲先生なんだろうか。オリジナル超えのスーパーコピーだったりしないだろうか。
「じゃあ、先生はそろそろ行くよ。ああ、部長君」
(部長君?)宮華がけげんそうに呟く。解る。解るよ。この先生オレの名前を憶えてないんだよ。
「ちょっと書いてもらいたい書類があったんだけど、職員室に忘れてきてしまった。一緒に来てくれるか?」
「あ、はい」
こうしてオレは帯洲先生と一緒に部室を出た。まあ、宮華と日下さんの二人だけなら、特に何も起きないだろう。
しばらく並んで歩いていると、先生は立ち止まった。
「実を言うと、書いてもらいたい書類なんてないんだ。ちょっと二人だけで話したくて」
少し思いつめたようなハスキーな声に、どこかためらいを感じさせる口調。ロクな話じゃないんだろうけど、ここだけ録音して音素材にしたい。
先生は周囲に誰もいないことを確認すると隣の俺に顔を近づけ、小声で言った。
「後から考えたんだけどね。日下さん入部したの、けっこう厄介かもしれない」
その一言で、先生がオレたちと同じことに気づいたと解った。
「もし日下さんが部活に馴染めなくて、それが原因でスクーリングを辞めたりしたら、キミたちどころか先生も監督責任を問われかねない。くれぐれもそんなことにならないよう、彼女が肯定的に受け入れられていて、自然体でいられる居場所だと感じてもらえるように気をつけてほしい」
日下さんに見せたさっきの態度はそういうことか。
「いやそれ、オレたちに求めます?」
「かなり繊細さが求められることを思えば、先生だって付きっきりでケアしたい。けれど授業の準備などで忙しいんだ。大丈夫。キミたちならやれる。同級生のひきこもり脱却を失敗させ、人生を大きく歪めてしまったなんて十字架を背負って生きたくはないだろう? それを思えばどんな困難も乗り越えられるはずだ」
高校生相手にしては追い込み方がエグいなこの人。
「どのみち、彼女が入部届を持ってきた時点で、選択の余地はなかったんだ。諦めて最善を尽くそうじゃないか」
「先生は最善を尽くしてるんですか? オレたちに丸投げすることが最善だとでも?」
あまりに身勝手な言い方に、つい言葉が出る。すると先生はニッコリ笑ってオレと肩を組み、囁いた。
「生徒に適切な課題設定をするのも教育なんだよ」
「適切って、どこが!?」
先生は空いてる方の手で俺の口を塞ぐ。
「声が大きい。いいか? 出題者の意図を自分で読みとく能力は、鍛えておいて損はない。社会に出たとき、役に立つ」
このときオレの目は、絶望でレイプ目になってたろう。ダメだこの先生。話して言葉が届く相手じゃない。
これが、だらしなかったり身勝手に見えて実はちゃんと生徒のこと考えてる先生だとか、そういうタイプなら全然違ってたろう。
けど帯洲先生の場合は上手いこと言って自分の意見を通したり、相手を操ろうとしてるようにしか聞こえない。なんせ先生、SNS でもどこでも日頃から徹底して利己的なところしか見せないからなあ。
たぶんアレだ。本来ならブラック上司やブラック経営者として社員をナチュラルに追い込んでいるはずの人がどういうわけか教師になり、生徒相手にその資質を発揮してるんだろう。なんという地獄。そういうことは会社でやれ。
帯洲先生は何かを察したらしい。塞いだ手の指を蠢かせてオレの口をモニュモニュしながらさらに囁きかけてきた。
「一つ、いいことを教えてやろう。生徒会長が視察しに行くって話してるのを聞いたぞ」
「いつですか?」
「昨日のことだ。いつ行くかまでは言ってなかったが、備えておくといい」
「それも結局、何かマズいことになって困るの先生ですよね?」
「キミらもだろ? 先生とキミたちは運命共同体だ」
先生は体を離すと最後にオレの背中をポンと叩いて帰っていった。
「クソっ。なんなんだよ……」
どのみち先生とは関係なしに日下さんの扱いが意外と重たいことくらい解ってたわけだけど、それにしてもこの不快感。そのくせ先生の清々しいまでなクズっぷりは、やっぱり嫌いになれない。
……オレにはひょっとして自分でもまだ気づいてない特殊性癖があって、これはその隠れた性癖からの呼び声なんだろうか。そう思うと、言い知れない戦慄と高揚感があるな。
それにしても生徒会長が視察に来るのか。そりゃああとから新設された部活だし、様子見に来ようってのは不思議じゃない。たぶん。いや、どうなんだろう。そもそもウチの生徒会ってどうなってんだ。選挙とかした覚えはないけど……。会長だって、どんな奴なのか思い出せない。
たとえば、生徒会って決まりきったことを代々引き継いで粛々とやってくのが普通だと思うんだ。その対極がマンガとかに出てくる、やたら権限持った生徒会。現実にもそういう生徒会って少しはあるらしいけど。
で、星高生徒会ってのはどういうものなんだろう。創設1年目の生徒会ってなにやるんだ? 前年からの引継ぎなんてないだろうし、やること決めてくところからなんだろうか。
もし生徒会の権限が小さく、基本は決まったことをこなしていくタイプなら別にかまわない。厄介なのは生徒会の権限が大きい場合。対応を間違えれば面倒なことになりかねない。
どちらにしろ、ちゃんと真面目にやってるって体裁は作っといた方がいいな。
そんなことを考えながら部室へ戻ると、そこはなかなか悲惨なことになっていた。
まず、宮華。座ったままうつむき、固まっていた。顎の先から汗がたらたら落ち、机にしたたってる。体が小刻みに震えているのは、どうやら過呼吸になりかかってるんじゃないだろうかあれ。日下さんの姿は見えない。
そして宮華から少し離れた椅子に、一人の男子生徒が座っていた。身長高めでメガネ、キッチリした髪型。苛立った顔で腕を組んでいる。
そいつはオレが入ってくるとハッとした顔で立ち上がった。
「違うんだ! 僕はなにもしちゃいない! この彼女が急に」
オレは落ち着かせるようにゆっくりうなずいた。
「解った。言い訳は職員室で先生にしてくれ」
「待ってくれ!」
教室出ようとしたオレの腕を、そいつはガッチリ掴んだ。振り返ると顔が近い。
「もしやましいことがあるなら、とっくに逃げ出してる。な? まずは僕の話を聞いてくれ」
「ウチの生徒だろ? なら逃げても罪が重くなるだけで、逃げ切れるものじゃない。そこまで冷静に判断したのはスゴイと思うぞ。じゃ、オレは先生呼んでくるから」
そう言いながらオレはスマホを取り出す。
「先生に電話するつもりか!?」
「違う。教師の連絡先なんて知らん」
答えながら過呼吸の対処法を検索する。ふむふむ。
「おい。宮華。まず落ち着け。コイツはオレが連れて行くから」
すると、宮華が苦しげに言葉を返してきた。
「だっ……ぶ。はじめ……じゃなっ、か、ら」
“大丈夫。初めてじゃないから”か? 見ている前で宮華はいったん息を止めると、無理やりゆっくり吐き、呼吸をコントロールしようとしはじめた。
「なん、なんだ? いったい……」
呆然としてる男子生徒を促し、オレは廊下へ出た。




