第2の不思議︰幽霊部員の幽霊-01
日下さんが入部した直後に中間テストがあり、そのあいだ部活は休みだった。オレと宮華は別クラスで選択授業も被ってないから、本当に一度も話す機会がなかった。廊下で見かけてもお互い特にリアクションしないしな。
日下さんも例の一室で授業受けたりテスト勉強したりしてたはずなんだけど、いかんせん普段の高校生活で行く範囲からすると秘境すぎるのでまったく見かけなかった。
だいたいこういうとき学園モノでは色々な打算がうずまいて「勉強会しましょう」とかいう流れになるのだけど、なんせウチの部の女子二人は席次が学年トップクラスだし、オレだって良くはないけど言うほど悪くないし、うずまく打算もなく、ぶっちゃけそれぞれ自分で勉強した方が快適だしはかどる。
そもそも、たいして仲のいい三人ってわけでもないんだよな。日下さんに至ってはオレも宮華もほとんど知らない状態だ。
中間テストが終わった翌日の放課後。部室へ行くとまだ誰もいなかった。そもそも今日から部活があるのかどうかもよくわからない。部長なのに。そういや昨日は部活あったんだろうか。何も考えずに遠藤たちと遊びに行っちゃったんだが。
宮華と日下さんが二人だけで部室に居たらどんな感じなんだろう。プレッシャーに負けてどちらかの精神が圧壊するまで沈黙が続くんだろうか。
それともお互いキョドりながらもどうにか会話を続けて、最終的にはプレッシャーでどちらかの精神が圧壊するんだろうか。
なんにしろ、どんな感じなのかちょっと見てみたい。これでオレがいないときは楽しげに話が弾んでるとかだったらイヤだなあ。
そんなことを考えながら自分の席に座り、置いてあった本を開いた。『鶴の遠吠え』。生まれも育ちも鶴乃谷というどこぞの爺さんが書いた回想録だ。当然、舞台はほとんどが鶴乃谷。郷土史関連の本として宮華がまとめて借りてきた中の一冊だ。
最初は興味も関心もなかったはずの郷土史研究、その奥深さに今やオレはすっかりハマっていた。というのは自分でもなんでそんなこと言ったのか困惑するくらいの嘘である。
ただ、郷土史絡みで一つだけ気になってることはある。
鶴乃谷はもともと“ツルノダニ”だったのが、明治18年に漢字はそのままで呼び名が“ツルノヤ”に変わった。これはわりとあちこちに書いてあったんだけど、その理由を誰も書いてないことに気づいたのだ。意識して調べてみると本当にどこにも書いてない。
もちろんオレだけが気づいたってわけじゃなくて、過去に同じ疑問を持った人はいた。かなり古い本だと、実際に当時生きてた人に話を聞いてたりもする。
ただ、聞かれた方の返事は“知らない”“憶えてない”“いつのまにか変わってた”なんてものばかりだった。誰か一人くらい当時の人が日記に残してたりしないか、なんて調べた人もいたらしいけど成果はなかったようだ。
オレがこのことに興味を持ってるのは宮華も知ってる。宮華いわくそれは立派な郷土史研究だそうで、今年の学祭の研究発表はそれをテーマにしよう。素晴らしい、さすがイチロね。この件はあなたに全面的に任せるわ、だそうだ。……あんまりだと思う。
あまり成果の出ない調べ物をしていると、宮華が入ってきた。
「あ、イチロ」
「よう」
「なんで昨日部活休んだの?」
出会いざまにマウント取ろうとしてくるとか、コイツなんなんだ。オレは反射的に謝ろうとして、思いとどまった。
「は? おまえこそなんで勝手に部活なんてやってんだよ。普通、部活は定期テストの最終日まで休みだろ」
「そう、なの?」
「ああ。だからオレは昨日、遠藤たちと遊びに行ったんだ。ってか、なんでそんなこと知らないんだ?」
あからさまに気弱そうな表情をする宮華。
「だって……イチロそんなこと言ってなかったじゃん。部長なんだからそういうこと説明するのも仕事でしょ?」
ここは言い返さずに引いてみよう。
「ああ、それは謝る。おまえが知らない可能性なんて、考えもしなかったから」
「まったく。ホントそういうとこ気が利かないんだから。私が知ってるわっ……あー、知ってるわけがないなんて想像しにくいのは、判る、けど……」
最後、“知ってるわけないでしょ”って言いかけて無理やりごまかしたな。けど、残念。それでもおまえは罠にかかったのだ。チョロすぎて泣けてくる。
オレはできるだけ何気ない調子で言う。
「そうなんだよ。まさかオマエがこんなこと知らないなんてなあ。普通ほら中学時代に部活入ってたなり、友達とテスト明けに遊びに行くなりしてたら知ってて当然だからさ。もしくは昨日とか、誰かに誘われるとか。そういう経験がなければそりゃあな。あー、宮華も、あー、そういう側の人か。なるほど」
見る間に顔を真っ赤にする宮華。視線がちょっと下向いてる。普段のキリっとした表情が今にも崩れそうで、危うく踏みとどまってるところがなんというか実にエモい。
「日下さんは昨日来てたのか?」
「来て、ない」
さらにからかわれるのを警戒してか、宮華の口調は歯切れが悪い。けどオレにそんなつもりはない。なぜなら、やりすぎると後が怖いから。ここまでの流れでさえ、ふと冷静になってみれば宮華が逆襲してくるんじゃないかと不安になるくらいだ。やっぱ後悔って先にできないもんなんだな。
オレが質問した理由は単純だ。
「日下さん、本当にウチの部に参加するんだろうか。ひょっとして幽霊部員になるつもりだとか……」
そう。その可能性が気になっていたのだ。正直、ちゃんと参加してほしいのかどうか、自分でも微妙なラインだけど。
「部活入るのは社会復帰の1ステップって言ってたから、それはないと思うけど」
「いやでもほら、とりあえず籍だけ置いておいて参加しだすまでにはまだ心の準備が必要とか……」
「部活に通おうと思ってるのに通えなくて、それがプレッシャーでますます来られなくなって、勝手に気まずさ感じてもう復帰できなくて挫折感から引きこもりに逆戻り」
「おい、待て。怖いこと言うなよ。それじゃ脱ひきこもりに失敗したのオレらのせいみたいじゃないか」
「そ、そうだよね。さすがにいきなりそこまでは行かないよね」
言ってて自分で怖くなったのか、宮華は額にじっとり厭な汗を浮かべている。オレたちの間に重苦しい空気が漂う。
たとえば今はいいとしても今後の部活動を通して、オレたちは日下さんが不登校に戻るきっかけとなってしまうかもしれない。その可能性が常にあることに気づいてしまったのだ。
「とにかく私たちは彼女が安心して過ごせる居場所になれるよう、がんばりましょう」
「お、おお。そうだな」
自分たちのせいで日下さんの決意や努力がへし折られるなんて、想像するだけで背筋が寒くなる。そこから再び立ち上がってくれればまだしも、それきりなんてことになったら……。
「あんまり意識しすぎるとかえって息苦しいと思うから、自然体でね。それで、いよいよとなったら宮璃を連れてきましょう。あの娘のコミュ力があれば日下さんを現世に繋ぎ止めておけるはず」
「学校を現世言うな。あと、おまえは自然体うんぬん以前に日下さんを人見知りするな」
「それはいずれ自然解消すると思うから、しばらく待って」
「おまえホント、己の人見知りを恥じることがないな」
「当然でしょ。人見知りは不便だけれど、少なくとも恥じるようなことじゃない」
確かに、人見知りで一番つらいのは宮華自身だ。それに考えてみればそれは怠惰や不徳のせいじゃない。本人にも容易に克服できない、体質みたいなものだ。
「そっか。そうだな。悪かった」
「解ればいいの。もしまた私の人見知りをからかったりしたら、宮璃に言うからね」
「結局それかよ。おまえちょっと宮璃カード切りすぎじゃないか?」
「でも本当に私が言う可能性が少しでもある以上、イチロにとっては有効でしょう? 確かに宮璃頼みってのは姉として情けないと思うけれど、イチロ相手だとあまりに効果がありすぎるから」
「う……。そりゃそうだけど」
そんな遣り取りをしていると、誰かがドアを叩いた。サッと宮華が気配を殺して身をこわばらせる。
「どうぞ」
オレが声をかけると、ドアが開いた。日下さんが入ってくる。今日も片手にバッグを持ち、反対側で野球帽を持ってる。
「よ」
オレはなるべく自然体を心がけて声をかける。
「あ」
日下さんはキャップを目深にかぶると、わずかに顔をそらした。オレは日下さんから見えない位置に手を回すと、宮華へ向かって何か喋れとその手で合図する。
「今日から」
それだけ言うと宮華は黙った。見れば顔が緊張で赤くなってる。
「ぇ……ぃっ……ぁ」
日下さんが小声で何か言っている。ほとんど聞き取れない。
「その、なんだ。ウチは決まった活動ないからさ。毎日必ず来なきゃいけないってわけじゃない。もちろん日下さん授業終わりが遅いから来るのが遅れるのも解ってる。大丈夫。
オレだって昨日は部活来なかったし、宮華は勝手に来てたみたいだし。その辺は自由だ」
黙ってたらマズいと思って喋りはじめたけど、なんだこれ。話の着地点がない。そもそも日下さんが何て喋ってたのか聞こえなかったんだから、会話としては噛み合ってないはずだ。ヤバい。
オレは何かがどうにかなることを期待して、とくにかく喋り続ける。
「宮華だって日下さんが来て嬉しいはずなんだけど見ての通りの人見知りで固まってるし。あ、でもこれがコイツにとっては普通だから、特に嫌とかそういうふうには感じてない。あとその、来てくれて嬉しいってのはオレも一緒だ。でも来なかったら嫌かって言うとそんなこともないから、来られなかったとしてもそれを苦にすることはないし、なんならその日にオレとか宮華だって来てない可能性はあるし。そうそう、ウチの部活、自由参加だから来るとか来ないとか、部活あるとかないとか、そういうのいちいち連絡回したりしないんで、そのつもりで」
勢いだけで話しながら、落としどころを必死で考える。なので自分が何言ってるか、ほとんど意識してない。オートパイロットモード。
とにかくウチの部活にとって日下さんは望まれた存在で、だけどそれを負担に感じてほしくはなくて、好きにかかわり、好きに過ごしてほしい。
「そもそも宮華だって緊張で喋れないわけだし、日下さんももしそうなら、ここでこんなベラベラ喋ってるのはオレだけ。つまりこの部じゃ少数派はオレで、人見知りとかで上手く喋れない方が普通。だから日下さんはその辺いっさい気にすることないし、それでも疲れたら先に帰ってもいいし、来るの休んでもいい。何か無理したり努力する必要はないんだ。そもそもこの部活にそんな価値は一切ない」
どうだろう。最後の最後でオレの本音がダダ漏れてしまったが、これで気が楽になっただろうか。
オレは恐る恐る日下さんの様子をうかがう。日下さんはオレと目が合うと軽く会釈をして、イスに座った。よかった。どうやら落ち着いてくれたらしい。
やれやれ。とりあえずこれで今日のミッションはクリアだろう。そう思っていたオレが甘かった。なんでそんなフラグ立つようなこと考えたのか、我ながら馬鹿としかいいようがない。
「ちょっといいか?」
Here comes The Obisu Sensei ! やせいのおびすせんせいがあらわれた!
 




