第8の不思議︰サメジマ-03
そして年が明け、冬休みもあとわずかとなったある日の午後、二人は市内にある、さして大きくも有名でもない神社にいた。兎和の家から近いのだ。
「明けましておめでとうございます」
「おめでとう」
二人とも私服だ。三が日を過ぎ、境内にひと気はない。ただ、振る舞い甘酒を配ったり絵馬や破魔矢を売っていたテントがまだ残っていて、よけいに寂しい感じを出していた。
二人はお参りを済ませると、社殿の縁に腰を下ろす。
「これで本当に終わり、かしら?」
つぶやくと、兎和は宮璃を横目で見た。
「はい。見守り隊ではそう考えています」
「じゃあ、やっと私は自由ね。家を出ることにしたから、一族内で有利になるよう口を効いてもらうって報酬はなしになってしまったけど。代わりの報酬なんてないでしょ? だから退会するわ」
宮璃はなんとも気まずそうな顔をした。
「えと、許可されるか解らないです。確認してみます……」
「謝ることないわ。本来なら向こうが言ってくるべきことなんだし」
確認するといっても、兎和の意思に反して引き留めることなどできないと、二人とも解っていた。
軽トラが一台、境内脇を通り抜ける。二人はなんとなくそれを見送る。あの日以来、どちらも心地よい脱力感に包まれ、ぼんやりダラダラしがちだった。
「もう一人の先輩は、もとの世界に帰れたんでしょうか?」
「おそらくは、ね。あれが最後だったんでしょう。だからあんなに燃えたのかもしれない。……あの気持ち悪いの、あなたのお姉さんが作ったものよ?」
途端に嫌そうな顔をする宮璃。
「あー。見せてもらいました。姉に、写真で。あんなのは焼かれて当然ですよ。叔父はすごく褒めてましたけど」
会話が途切れる。
「ところで、私がいない間は何があったんですか?」
「ああ、それは──」
兎和はドアを挟んで向き合ったときのことや、宮璃が消火器を取りに行っていたあいだのことを語って聞かせた。
「そうですか……」
話を聞き終えた宮璃の反応には、どこかスッキリしないものがあった。
「どうかした?」
「いえ……。私が消火器取りに行ってたのってすごく短い時間だったので……そんな話したりする時間なんてなかったような……。火だってすごく早くて、もう少しで先輩呑み込まれそうだったじゃないですか?」
遠慮がちに言う宮璃を見ながら、兎和はあらためてその時のことを思い返し、肩をすくめた。
「たぶん、そうね……時間の流れがおかしくなってたんじゃないかしら? そもそも別世界の私が来ること自体、どうかしてるのだから」
「便利ですね」
「とにかく、時間のつじつまが合おうがどうだろうが、起こったことは起こったことだもの」
すると、宮璃はなぜか小さく笑った。
「なに?」
真面目に話していたつもりの兎和は少し不機嫌そうに尋ねる。
「いえ。その考え方、先輩らしいなって。ものすごく現実的っていうか。それに──」
そこでまた、宮璃は笑った。何か暖かいものに触れてくすぐったがってるような、そんな笑いだ。
「最後アドバイスしたんですよね? 本当にそれでいいか考えろって。絶対になりたくない、見るだけで不快になる相手に。それがなんだか、やっぱり先輩って面倒見いいなって思ったんです」
ふん、と兎和は面白くなさそうな声を上げた。
「向こうはずいぶんと腹を立てたみたいだけれど。どんな反論をする気だったのか聞けなかったのは残念ね」
「もう一人の先輩にも、先輩と同じだけ生きてきた積み重ねがあるんですよ。悩んだり決めたり、失敗したり成功したり、悲しかったり楽しかったり。普通に生きてきたはずで。それを正反対の自分から否定されたら、そりゃ怒りますよ」
「たしかに。それに化物がうろつく校内に閉じこめられて、身を隠しながら困難を乗り越えるなんて、かなりハードな体験だものね。もう少し敬意を払っても良かったのかもしれない。真逆でも私は私、ということだったのかしらね」
そういうことなんだろうか。とは思ったが宮璃は兎和が納得してるようだったので良しとした。
「それでその、面倒見のいい先輩に相談なんですけど……」
兎和はわずかに目を細めた。それだけで威圧感が生まれる。
「圭人先輩の通ってる塾に何か不穏な動きがあるそうで、できれば……手伝ってもらいたいかなあ、と……」
つい腰が引けたような調子になる。ところが、兎和からの威圧感はフッと消えてしまった。
「圭人が私に何か言ってないことがあるみたいだったけれど、そういうこと……。まあ、心配ないと思うわ。もし本当に危ないようなら相談してくるはずだから」
「え、でも、巻き込まないようにしてるとか」
「身近に一番頼れる人間がいるのに頼らないなんて、そんな愚かさ私は圭人に許してないから」
そう口にする兎和の調子は軽い。ただ、その確信は重たすぎて宮璃は危うく落としそうだった。
「あ、そ、そうですか」
「見守り隊のご老人たちにもそう伝えておいてくれる? もちろん今後圭人から相談されるようなことがあったら、私個人として関わるから。そのときはまた、あなたと手を組むことになるかもしれないわね」
言って余裕げに微笑む兎和を見て、宮璃はその異様な頼もしさに安心するとともに、こんな先輩を相手に回したもう一人の兎和に少しだけ同情した。結局、放火を阻止できなかったおかげで事件は根本から解決されたわけだが。
──向こうに戻った兎和先輩も、今ごろは解放感いっぱいで自由に楽しくやってるといいなぁ
宮璃がそんなことを思っていると、境内に集団がやってきた。
「あれ? イチニィ、と、お姉ちゃん!? それに、峰ちゃんも?」
それは兎和を除いた郷土史研究会のフルメンバーに峰山を加えた8人グループだった。
「あれ? 宮華に聞かされてなかったのか? なんか兎和さんに、初詣するから駅に集合して来いって言われて」
一路が答える。するとなぜか、宮華が一路に厳しい視線を投げた。
「峰ちゃんは?」
すると峰山は不機嫌そうな顔をして、目をそらしながら言った。
「宮ちゃんもいるからって」
「あ、うん。ありがとうだけど、昨日も一緒にいたよね?」
「いいだろ別に。……毎日だって私は……」
なにやら小声でぷちぷち言いだした峰山のことはそっとおくことにして、宮璃は尋ねた。
「みなさんが全員揃ってるところ、私はじめて見たかも」
「全員で出かけるの自体初めてよ。それもわざわざどこかに集まって、なんて」
そしてなぜか宮華は一路を勝ち誇ったように見る。一方の一路は悔しげだ。変わり者の兄や姉を持つと大変だ。宮璃は他人事のようにそんな感想を抱く。
「兎和の頼みなんだ。みんな断ったりしないだろ」
絶賛なにかに巻き込まれてる疑惑のある圭人が爽やかに言うと、みんな“ああ”とか“うん、まあ”とか、否定はしないものの含みのある反応だった。
みんな先輩に弱みでも握られてるんじゃないだろうか。本当にそうかもしれないところがスゴい。
「えっと、それじゃ、あー。お参りするか」
一路が言うと、兎和が即答した。
「私と宮璃ちゃんはもう済ませたから」
それは宮璃がまっさきに気づいて言わないようにしていたことだ。
「え? えぇぇえぇ……」
一路が嫌そうな顔をする。呼び出しておいて主催者が先に済ませてるなんて、確かに普通はあり得ない。ところが、兎和は平然としている。
「早く来すぎちゃったのよ。お参りも済ませないで境内に居座るのも失礼でしょう? まあ、連続でお参りしてはいけない、なんてことはないだろうから付き合うわ」
なぜか恩を着せるような様子で兎和は立ち上がりみんなの方へ歩きだした。すると宮璃の隣、兎和の座っていたところにすかさず峰山が腰を下ろす。ちょうど同じタイミングで宮璃が立ち上がったので、位置関係が入れ替わる形になった。
「あれ?」
「お?」
お互い顔を見合わせて、自然と笑う。
「おい。どうした?」
一路に声をかけられ、宮璃たちは横並びになった郷土史研究会メンバーの後ろに立つ。
誰が言うでもなく、自然と一路が代表して鈴を鳴らした。
がらんがらんがらん。
重たく濁った音がする。一同柏手、その手を合わせ、頭を下げて目を閉じる。
といっても、宮璃はさっき願い事を言い終えていた。同じことを繰り返すのは神様に失礼な気がして、すぐに目を開ける。
目の前でずらりと並んだ郷土史研究会部員たちの背中を眺めると、宮璃は胸の中が暖かいものでいっぱいになり、思わず口元が緩んだ。
みんな一年前はこうして気安く過ごせる仲間ができるなんて、想像もしてなかったんだろうなぁ。
それは人を愛し、人との縁を大事にする宮璃にとって、自分のことでなくても嬉しいものだった。
そして他の誰でもない、一路がいなければ絶対こうはならなかったはずだ。
宮璃はもう一度目を閉じた。
神様。やっぱりイチニィはすごいです。たぶん誰も言わないだろうけど、神様だけはそんなイチニィに優しくしてあげてください。
もちろん宮璃自身も、一路本人にそんなことを言うつもりはなかった。
それぞれお参りが終わると、一路が言った。
「よし、じゃあ帰るか」
どこかへ行こうとか、そんな話は当然のように出ない。そしてもちろん、現地解散である。
おわり




