第7の不思議︰サメジマ先輩-16
圭人と話をした翌日には、いいニュースがあった。最後に隠したあの例のアレが無事に発見されたのだ。
しかも運良く発見したのは鑑定団。見つけた生徒は最初、あまりのおぞましさに持ち帰るのをためらったらしい。解る。その気持ちすごく解る。
鑑定団はサメジマメモの権威ってことになってるので、この情報はすぐ広まった。しかも希望者は金を払えば見せてもらえるとか。この情報は匿名の善意のオレによって兎和にチクられたのであら不思議。あっさり撤回されて誰でも自由に見せてもらえることになった。
ただし一緒に入っていたノートの方はもう少し鑑定団が研究を終えたところで一般公開されるという。鑑定団の発表によるとその中身は確かにオリジナルと同一人物の手になるもので、異様かつ不可解不気味、どうやら先輩という留年してウチに転校してくるはずだった生徒と放火にまつわるものらしい。
ダブりの一年生。すなわちサメジマ先輩だ。ただしそんな生徒が実在するとも考えにくく、そもそも先輩がサメジマなのかもはっきりせず、内容も断片的かつしばしば支離滅裂なので、全然違う話の可能性もあるという。鑑定団では他の解釈も含め、鋭意研究中だとか。
無料で一般公開。当然、見物希望の生徒が殺到した。教室に入りきれない生徒が廊下に溢れ、授業に間に合わない生徒が続出した。さすがにマズいと思った鑑定団はすぐに抽選による限定公開へ移行した。とあるメールアドレスに学籍番号を送ると抽選が行われ、当選すると観覧日時の書かれたメールが届くらしい。噂ではすでに今学期一杯は埋まっているそうな。
現物の説得力は凄かった。目にした生徒は誰もが不気味がり、周りに話した。鑑定団が写真撮影を禁止したことで目にした人間の印象だけが言葉として広まり、そのせいでアレの気味悪さと神秘的な雰囲気は強まった。
“ふざけてサメジマメモをマネすると呪われる”、“オリジナルを待ってると呪われる/サメジマさんが来る”といった不穏な噂があっという間に広まり、新規のサメジマメモは出回らなくなった。中でも残念がられたのが“つなげるとエロ小説になることが期待されている”メモ、通称“エロジマメモ”。けれどこれはすぐにfc2ブログで未発見部分も含めた完全版が公開された。変態的で実用性満点のどエロい小説だった。
いったい誰が書いたのか。誰がそれを発見し広めたのかは謎だ。けどオレはひょんなことから、ただのアホだと思ってた遠藤に意外な文才があることを知った、とだけ言っておこう。
湯川さんと話した日の放課後には、帯洲先生から呼び出された。またあの面談室だ。オレはすっかりあの部屋が嫌いになった。
中へ入ると帯洲先生はもう奥側の席に座っていた。オレを見るとわざとらしい笑顔になり、座るよう身振りで促す。
「大変なことになったな」
にこやかにしているせいで、それを喜んでるように見える。
「はあ、まあ」
帯洲先生を相手にするときは気のない返事をして、こちらへ踏み込むスキを作らないに限る。まあ、先生はそんなのお構いなしに無理矢理こじ開けてでも自分の要望を押し付けてくるから気休めにしかならないけど。
「最初にこれはハッキリ言うが、先生は長屋くんの味方だ」
「どうも」
すると何を思ったのか先生はいきなり立ち上がり、オレの隣へ来ると中腰になった。先生の顔がオレの顔のすぐ隣に迫る。親密さを感じさせようって作戦なのかもしれないけど、厭な予感しかしない。
「で、先生は力になりたいんだが、なにせ情報がない」
そこで先生はオレの耳に囁きかける。
「何があった?」
もしオレの耳が性感帯なら“ひゃうんっ”とか声が出てるところだ。
「あー。それが、全然わからないんですよね。風紀委員会も何を疑ってるのか教えてくれないし……」
「身に覚えはない、ということか。しかし風紀委員会はそれなりの確信があるわけだろ。でないと校長や仲井真先生が同意するはずもないし」
「さあ。そう、なんですかねぇ?」
先生はフム、とうなずく。
「長屋くんはこれまで部長としてとても頑張ってくれた。…………クリスマスケーキを一緒に食べた仲でもあるし……とても信頼している。長屋くんはどうだ? 先生のこと、どう思う?」
それはできれば違う場面で、もっと普通の女子から聞きたいセリフだった。
「どうって……」
「信頼してくれてるよな?」
はいかイエスでお答えください、と言われてる気がした。正直、帯洲先生よりは電話でオレの息子を名乗る男(CV:振り込め詐欺犯)の方がまだ信用できるんだが。
「まあ、その……」
「そうだろう」
なんか自動的に同意したことにされた。
「それで、どうだ? 本当にそうなのかはさておいて、長屋くん自身が“もしかしたら”と思うことはないか? 些細なことでもいい」
「うーん」
オレは考え込む。そもそも先生はオレが何で疑われてると思うかを知って、どうしたいんだろう。できることなんてせいぜい……あ、そういうことなのか?
「先生。先生を信頼して、言いたいことがあるんですけど……」
「お! なんだ?」
相変わらず先生の息が耳をくすぐる。
「ひょっとしてオレから証言を引き出して学校に報告しようとしてませんか? それで例えば、自分の責任は不問にしてもらう、とか?」
「そんなわけないだろう」
(迫真)と付けたくなるような声と口調だ。
「オレに内緒でスマホでこの会話録音してるとか? それってマズくないですか?」
「だから、そんなことはしてない。どうしたんだ急に」
「ならスマホ見せてください」
「ああ、もちろん。それで長屋くんが安心できるなら」
先生はジャケットの内ポケットに手を入れ、何かに気づいた表情をする。
「スマホは職員室に忘れてきたようだ」
「じゃあ、鳴らしてみます」
そう。オレは先生の連絡先を知っている。
「まあ、待つんだ」
先生は立ち上がると移動し、元いた椅子に座った。
「長屋くん。他に選択肢がないと思ったのかもしれないが、今なら公開討論会なんてしなくても、先生が内々に話をつけることもできる。本当はあまり騒ぎにはしたくないだろ?」
オレの予測は当たりだったらしい。さすが先生はブレない。オレは安心しかけて思い直す。クズであることに一切のブレがないからって安心しちゃダメだろ。なに受け入れかけてんだ。
「むしろ大勢の前で白黒つけたほうがいいと思ってます」
すると先生はため息をついた。
「あのな。もしそれで何かあれば、先生の責任問題にもなりかねない。たとえ長屋くんが退部しようとも、在籍中のことなら先生は逃れられない。今や私の将来は長屋くんが背負っていると言える。その責任を想像してみてほしい」
めちゃくちゃ嫌なことを言う。
「録音してるのに、そんなこと言っていいんですか?」
「音声ファイルの編集くらいできるさ」
そうだった。この先生、動画をいい感じになるように編集してインスタに上げたりしてるんだった。
「そもそも、言えることなんてありません」
「そうか。……そんなはずはないと思うんだが……」
先生は軽く椅子を引いた。
「これはやりたくなかったんだが」
言うとおもむろに自分のワイシャツの胸元に手をやり、シャツの合わせ目を引っ張った。ボタンが弾け飛び、腹から上があらわになる。
「!」
オレは驚いて思わず腰を浮かせた。下に長袖のシャツを着ていたのでブラすら見えなかったけど、ボタンの取れたワイシャツが左右に開いている光景はなかなかだった。……意外と胸あんな……。
「正直に喋らないなら、長屋くんに乱暴されたと言ってもいい」
平然と恐喝してくるヤバさに背筋を冷たいものが走る。エロいとかそんな気持ちは消え失せた。
「か、監視カメラが」
「ない」
「え?」
「この部屋に監視カメラが付くのは来年度だ」
そう答えると、帯洲先生は凄く悪そうな笑みを浮かべた。
「どうする?」
追い詰められたオレは頭をフル回転させる。このままじゃ本当にやってもいないことを自白させられかねない。
しかし、オレもダテにこれまで七不思議創りでピンチを迎えてきたわけじゃない。
「そんな先生。キックボクシングで鍛えられた先生をオレが襲おうと思ったとして、指一本触れられるわけないじゃないですか」
なるべく平然とした声が出るよう気をつける。ビビってると思われたら負けだ。
先生はオレの指摘にハッとした。悔しげに唇を噛んでうつむく。微妙に背を曲げたことで胸がわずかに押し出される。
「頼む。このとおりだ」
いきなり先生は深く頭を下げた。
「こんなもらい事故みたいなことでキャリアに汚点を残したくないんだ。本当に何もやってないならいい。けれど、先生にはそうは思えない。何かやってるなら教えてくれ」
さらに頭を下げ、額が机に触れる。
「頼みを聞いてくれるなら胸くらい触らせて……いや、もう少しいろいろとさせてやってもいい。だから、な? 私だけでも助かりたいんだ」
え? なんなんだこれ。いきなり過ぎて思考が追いつかない。
「あの、とにかく顔、上げてください」
先生は上体を起こす。その顔は汗だくで、前髪が乱れている。
なんか関係ない話でもして、落ち着く時間が欲しかった。とはいえ今見たことの衝撃で頭が回らない。
「先生って、なんでそんな出世したいんですか?」
けっきょく、口から出たのはそんな質問だった。
「え? 権力を手に入れてチヤホヤされたいだろ」
“なんでそんな当たり前のこと”みたいな口調で返される。お互いに話の取っ掛かりを失って、沈黙が続く。すると、先生が小さく笑った。
「不思議なものだな。長屋くんの前では仮面が外れて、ありのままの自分が出てしまう」
いや、そんないい話じゃないからね!? あと、出てくる素がそれならできれば仮面は外さないでどうぞ。といっても先生の仮面は目の粗い網でできてると思う。いかん。ツッコミが渋滞してる。
「あー。まあ、とにかく。さっき責任がどうこう言ってましたけど、一応そこは考えてまして」
先生はハッとすると、見る間に顔を赤くした。軽く握った手を口元に当てると、オレから目線を逸らす。
「それって、つまり、あれか?」
今度はオレがハッとする番だった。確かにこれじゃあまるで、責任とってオレが結婚する気みたいじゃないか。
オレはただ、討論会でなるべく先生は追求されないようなことを言うつもりなだけだ。これはすぐに訂正しないと。
「いやその」
「いい。解ってる」
まだ頬を染め目を逸らせたまま、先生は言った。
「私を校長にしてくれるんだろ?」
「は!?」
「だから、教師になって私が校長になれるよう全力で尽くしてくれるんだろ。たしかに私もそれは考えたことがある。けれど教師として、生徒の人生をどうこうする権利はないと思ってやめたんだ。けれど長屋くんが自分からそう言うんなら、私も覚悟を決めよう」
「いやあの、先生?」
「まずはなるべく偏差値の高い大学で教員免許を取ろう。卒業後に採用されるよう、先生はどうにか教師の空きを作るから。まあなんとかなるだろう。物理の小野山先生あたりは高齢だしな。いやあ、楽しくなりそうだ! 校長になったらその実績で教育評論家に転身。テレビのコメンテーターをやって知名度を得たら議員になって文科大臣を目指してもいいな。そうしたら長屋くんをどこぞの専門家会議の座長にしてやろう」
ダメだこの人。もうダメだ。これ、あれだよな。ADVなら黒画面で下のメッセージウィンドウに“エンディング8 〜一生先生の奴隷〜”とか出てるよな、いま。しかしこれは現実。周回でやり直せなくても、今後の展開で逃れられる。
「あの、先生。オレはただ公開討論会で──」
「そうだ。まずは私が無傷で今回の件をを乗り切らないとな。先生の生徒を信じる気持ちにつけ込んだら簡単に騙せたって強く主張するんだぞ。実際そうなんだし」
オレに喋るスキを与えないつもりか?
「だからですね!」
さすがに声が強くなる。と、先生が開いたシャツの胸元を手で閉じ合わせた。その仕草が、いつもと違って妙に女っぽい。
「ああ、悪いが、先生の机の下に大きめのバッグがある。そこからジャージの上を持ってきてくれないか? さすがにこの格好じゃ……」
伏し目がちに言う先生に、それだけでオレはたやすくドキドキさせられてしまう。クソっ。現物の臨場感ハンパないな。
「で、でも、その、他の先生が」
「ああ、それなら大丈夫だ。私たちの絆についてはみんなからよく言われるんだ。長屋くんが私の机を漁っていても誰も何もいないだろう」
そして先生は本当に少しだけだけど、照れたような笑みを浮かべた。なんなのそれ? 素なの? 計算なの? 本能的に備わった能力なの? ちょっと可愛いとか思っちゃうじゃん。誰か助けてくれ!
それにしてもそうか。そういうことか。教師ども、そうやって帯洲先生を自然とオレに押し付けようとしてるのか。なんて汚いんだ。みんなそんなに帯洲先生の世話は嫌か。オレは嫌だ。
諦めて職員室へ行く。教師たちはオレが帯洲先生の机へ向かってると気づくと、あからさまに顔をそむけて気づいてないふりをした。唯一、どんな前世の報いを受けてるのか帯洲先生の隣の席になっている物理の小野山先生だけが弱々しい声で言った。
「いつもすまないねぇ」
おまっ、それ……! おまそれ!
怒りで語彙力を失ったオレは帯洲先生にジャージを運ぶ猿でしかなかった。




