第7の不思議︰サメジマ先輩-10
夕飯が出ない。かといって当然のことながらエロい展開があるわけもなく、オレは宮華と日下さん、兎和と自分の部屋にいた。峰山さんたちへの名目としては来年度の新人勧誘についての打ち合わせ。
中へ入れる前に三人を廊下で待たせてチェックした限りだと、それなりに散らかってはいるものの見られてまずいものは特にない。汚部屋にもなってない。いちおう、いつからあるのか思い出せないファブリーズを撒いておく。
普通こういうときは宮華たちがオレの部屋を物珍しそうに見回して何やら感想を言うものだと思ってたんだけど、特にそんなことはなかった。みんなサッと視線を走らせ、それで終わり。座りもしない。
オレもオレで女子が部屋に来たことについて、自分でも驚くくらい何も感じない。まあ、今じゃこの三人をそこまで異性として意識してないからな。それにそんなこと気にしてる場合じゃない。
「それで、何があったの?」
宮華に尋ねられ、オレは部室を出てからのことを語った。帰ってくるまで何度も思い返していたので、説明はスムーズだった。録音も聴かせた。
終わるとまっさきに兎和が言った。
「ごめんなさい」
静かで硬い声だ。すると宮華が応えた。
「兎和さんのせいじゃない、とは言わないけど……」
「いなければよかった、とは少しも思わない」
そう、日下さんが話を引き継ぐ。するとまた宮華。
「だいたい最初から、いつでもバレる覚悟はしてたしね」
前から宮華がそう言うのは耳にしていた。ただ現状の落ち着き払った態度を見ていると、あらためてその言葉の本気さが伝わってくる。
兎和は二人から視線を外すと、軽く上を向いた。兎和にしては珍しく、こみ上げてくる感情があるんだろう。
そうなんだよな。オレ以外はみんな、なんだかんだで緩いながらも丈夫な絆みたいなものがあるんだよな……。なぜオレにはみんなときに厳しく、ときに冷たく、おおむね当たりが強いのはどうしてなのか? コレってまだ証明されてない数学上の問題か何かで、今このときも世界中でトップレベルの数学者たちが解決しようと挑んでるのでは?
まあ、実際にはみんなが各自の判断で自発的にオレを冷遇することで、一体感が生まれてるのかもしれない。なにそれ、イジメじゃん。
ともあれ──。
「みんな、ありがとうな。てっきり見捨てられるんじゃないかと思ってた」
「いや。イチロは風紀委員長に確保されたこと謝って」
「私たちをそんなひとでなしだと思ってたってこと?」
「なんのために警告したと……。感謝してる暇があったら、対策の一つも考えたら? 私たち、別に長屋くんを心配して集まったわけじゃないんだけれど?」
ほーらね。これだよ。この、オレだけがいないグルーヴ感。
「けど、下手に私たちを庇おうとして余計なこと言って、おまけに巻き込みたくないからって私たちに黙ってようとしなかったのはいい判断だと思う」
「初めて会ったころなら、たぶんそうしてたでしょ。成長したよね」
「そこは評価できるわね」
出たよアメとムチ。否定してから少しだけ褒める。そうやってすぐオレを思いのままに操ろうとする。だがしかし仕組みを知ってる以上、オレにその手は効かない。
けれど、日下さんの言葉はもっともだった。前のオレなら変に自己犠牲に酔って、他の奴らを巻き込まないようにしようとして、かえって状況を悪化させて手に負えなくなるまで誤魔化そうとしてただろう。
そこは自分でも変わったと思う。
それに、考えてみれば宮華も兎和も社会性や倫理観、協調性を生贄にして場に知性を召喚したような人間だ。オレより頭がいいんだから、さっさと頼ったほうがいいに決まってる。
「とにかく、気になる点の一つ目は実際にトモたちが何をどういう理由で疑ってるのかってこと。あとは、そのうちのどれに、どんな証拠があるのかってこと。七不思議すべてを把握して疑ってるとも限らないでしょう」
「トモって?」
「不破智。女子風紀委員長の名前よ。男子は飯島一矢。それで、トモは慎重な性格だから、こんなことするということはよほど自信があるってこと。残念ながら言い逃れはできないと思う」
「気になるといえば、二人がイチロを疑ってるのか、郷土史研究会を疑ってるのかも大きいよね。どっちかで対応が変わってくるし」
「録音だと長屋くんだけみたいだけど、それは長屋くん一人と話してたからかもしれないし……」
「結局、風紀委員会は何が狙いなの?」
宮華たちの話を黙って聞いていた日下さんが尋ねる。
「実績づくり。それと、私と圭人の評価を下げること」
「でも、兎和さんたちが関わってるなんて証明できなくない?」
「そんなことしなくても、長屋くんなり郷土史研究会なりが有罪になれば、そのそばにいたのに気付かず、問題にできなかった私たちの評価は下がる。知ってて見逃してきたんじゃないか、そんな疑惑も持たせられる。それだけでも充分でしょ」
「やり方がエグいな」
思わず言ってしまう。
「それについては謝るわ。トモ、私のことになると見境なくなるから」
「ライバル視されてるんだっけか」
「その気になれば、トモも生徒会長になる可能性はあったはず。でも、形のない生徒会を創ることに失敗するのが怖くて、あの娘は逃げた。なのに私が副会長になったら、慌てて風紀委員長になった。風紀委員は他の委員より聞こえがいいし、生徒会よりも役目や形がハッキリしてるから。その程度なのになぜか昔から私を目の敵にしてるの」
……いや、兎和のそういうところが余計に頭にくるんじゃないだろうか。
「にしても、対策って言ってもなあ。証拠盗むなんて現実的じゃないし」
「それはもう、考えから外したほうがいいと思う。むしろ、その一つ以外をやり過ごすことが大事なんじゃない? 最大7件で起訴されて、うち6つで無罪を狙う。避けられないダメージがあるなら、それを最小限にするのが今は正解なんじゃない?」
「けどそれじゃ、少なくとも一つはオレ有罪じゃねぇか」
「イチロ一人とは限らない。それに、その一つをどうにかするためだけに少ない残り時間を消費するのは危険でしょ」
「あのなあ。簡単に言うけど、オレは完全無罪がいいんだよ」
「それは無理」
「無理なんじゃない?」
「無理よ」
三人から立て続けに言われる。
「たとえその場は乗り切れても、疑惑の目は残るんだし」
宮華がとどめを刺してくる。確かに、よほどハッキリした無実の証拠を出さない限り、たとえ言い逃れができたとしても風紀委員会は納得しないだろう。説得できても納得させられない。またあの言葉が蘇る。
「そう思うと今回の件をどうにかするだけじゃなくて、風紀委員会に二度とこんなことをさせないようにしないとダメね」
そこで言葉を切り、兎和はオレをじっと見た。
「なんだよ?」
「いえ。漠然とだけど、ちょっと思いついたことがあって。とりあえず私は政治的にやれることをやるわ」
「イチロ。私も考えが浮かんだ。とにかく、次で終わりにさせないで。もうあとニ、三回。ううん、一回でもいいから引き伸ばして。それで、水曜はなるべく相手から情報を引き出して持って帰って。具体的に疑ってる話と、どう疑ってるのかが解るとベスト。それを参考に、私と日下さんで他の七不思議にも逆ラブ地蔵みたいな説明を作るから。まあ、その前から考え始めるけど情報はあればあるだけ精度を高められる。……日下さんもそれでいい? 手伝ってくれる?」
日下さんは一瞬のためらいもなくうなずく。
「宮華さんに頼まれて、断る理由なんてないから」
兎和も言う。
「確かに。次で決着だと分が悪すぎるわね。長屋くん、引っかき回してグダグダにするの得意でしょう。なんとかそれで次回につないで」
別のことに気を取られてたせいで、オレは兎和の話をロクに聞いていなかった。
──なんで今、宮華の話にオレが含まれてなかったんだ? 特に意味はないのか? 気にしすぎか? 役に立たないと思われてる、とか? ぼんやりした暗い気持ちが湧いてくる。
「えっと。じゃあ、オレは? 説明考えるなら二人より三人の方がいいだろ」
少し焦ったような口調になってしまって、顔が熱くなる。
「イチロは水曜に向けてコンディション整えておいて。好きなことするなり、ゆっくりするなり。何でもいいけど、いったん七不思議とか今回のこととかは考えずに気持ちをリセットして。私たちに任せておくほど安心なこともないでしょ」
そう言われても、なぜか気持ちは晴れるどころかむしろ暗さが増した。
理屈としては理解できる。当日はオレ独り。しかも一発勝負だ。ベストな状態で臨んでほしいってのは当然だろう。でも……なんだろう。スッキリしない。
「自分だけ何もしないのは悪い気がする? それとも私たちだけじゃ心配?」
「いや、そういうわけじゃ……」
そこでふと気づく。
「いや、宮華と日下さんだけとか普通に心配だろ。能力的にはともかく、二人とも社会性とか倫理観に難ありなんだから」
「イチロに言われたくはない」
「長屋くんは普通に見えるぶんタチが悪い」
自分でもこの頃うっすらそんな気がしているので反論できない。
「とにかく、大まかにでもどんな言い訳にするか決まった段階で先に教えてくれ。解らないままだと落ち着かないんだ」
「その方が精神的にいいなら」
「頼む」
「じゃあ、イチロが監修ってことで」
そう言われたとたん、心の中のモヤモヤしたものが晴れる。もしかして、必要とされないのが嫌だったのか? いやそんなはずは……。もしそうなら、我ながら恥ずかしすぎる。
この件についてはこれ以上考えないようにしよう。うん。
それぞれ当面どうするかが決まって、なんとなく打ち合わせることが尽きた。時計を見ると、宮璃もそろそろ帰る時間だ。
「そういえば」
ふと宮華が言った。
「録音のイチロ、なんであんなバカみたいな喋り方してたの?」
顔が赤くなるのが見なくても解った。
「あれは、ほら、その……あれだよ。なるべく二人をイラつかせようと思って」
「あー。なるほど。確かに聴いててイラっとした」
「長屋くんのうっとうしい部分がよく出てた」
「そうね。私ならまず、話し方を矯正するところから始めるわね」
オレになら何を言ってもいいっていうこの謎の信頼感。どんなことでも遠慮なく言える関係ってこういうのだっけ? 一方的について言われっぱなしなんだが?
そんなことを考えていると、宮華が真剣な調子で言った。
「とにかく、七不思議創りはこれで終わったりなんかしない。みんなそれだけは憶えておいて。さっきは7件って言ったけど、風紀委員会が疑ってるのがもっと少なくて、例えば3件とかなら4件は無傷なわけだから、ほとぼり冷めてから残りの2年間であと3つやればいいわけでしょ。登山中に少し滑落して戻ったとでも思えばいい。あ、もちろん、これで嫌になって抜けるんでも私は気にしないから。そこは気を遣わないで」
それは、あらためて宮華の覚悟と本気、執念を感じさせる話だった。ダメならまたやる。たとえ独りになっても。宮華にとってはそれだけのことなのだ。ゴールを見据えていっさいブレないその意志の強さに、オレは少し感動した。
「ま、やり直しの原因になったイチロは抜けるなんて許されないけど。ちゃんと落とし前つけてよ」
ネタや冗談じゃなく“落とし前”なんて言葉つかう系女子の場合、これは好意を隠した“素直じゃない”的な発言ではなく、ただの威圧行動である。感動よさようなら。短い付き合いだったな。




