第6の不思議︰呪われネットワーク-13
少しすると、二つの足音が廊下を足早に近づいてきた。
「大丈夫!?」
入ってきたのは緊迫した様子の保健医の矢澤先生だ。タイトな白いセーターにジーンズ姿の上から白衣を羽織っている。その後ろに宮華が続く。逃げたわけではなかったらしい。
矢澤先生はオレたちを見ると、明らかに緊張を緩めた。
「宮華さん。あなたの判断は間違ってなかったけれど、小田くんはパニック発作を起こさないし、てんかんでもない。過呼吸にだけ注意して、刺激しないようにしながら落ち着くのを待ってあげて」
それから泰成くんに尋ねる。
「保健室で休む?」
「大丈夫です」
矢澤先生は室内に視線を走らせてからうなずいた。
「確かに、大丈夫みたい」
たぶん暴れたりした痕跡がないか確認したんだろう。
「何事もなくてよかった。じゃあ先生は戻るから、万が一何かあれば保健室に来て」
矢澤先生は白衣の裾をひらめかせて、部室を出ていこうとした。そのとき、オレの中で埋もれていた一つの情報が蘇った。
「先生、待ってください!」
「あなたは、えっと」
「部長の長屋一路です」
「ああ、あなたが長屋くん」
矢澤先生の声には含みがある。
「実は、お願いしたいことがあるんです」
「お願い?」
「こんなこと言いにくいんですが……クリスマスまでに帯洲先生に彼氏を作ってもらえないでしょうか? 矢澤先生、帯洲先生と親しいんですよね?」
軽く開いた口をへの字に曲げ、眉間にシワを寄せた矢澤先生の表情は最高に嫌そうだった。さすがに、ほぼ初対面でこんな頼みは失礼だったか。けど、今のオレはどんなに小さくても残された可能性に賭けなきゃならないんだ!
「高校で同学年だった腐れ縁、というより縁が腐りきっただけ。それでこれは教師としてじゃなく個人として言うんだけど、なんで自分に彼氏がいないのに、帯洲先生に彼氏を作らなきゃならないわけ?」
「え!? 彼氏いないんですか?」
「どういう意味」
「いや、モテそうなんで」
実際に矢澤先生は、そこそこ可愛くてそこそこスタイルもよく、性格は親しみやすいという評判だ。生徒の中には小規模だけど矢澤先生推しのグループもある。だから彼氏くらいいるだろうと思ってたのだ。
矢澤先生の表情から険しさが消えた。
「いまので馬鹿な頼みをしてきたのは許してあげる。けど、どうしたの?」
「いえ、その、それならせめて先生が一緒に過ごすとか」
オレはなおも食い下がる。
「先生、今年のクリスマスは実家に帰らなきゃいけなくて」
あなたが帯洲先生を孤独の荒野に解き放った張本人か!
「じゃあ、他の誰か、とにかく何でもいいんです! 人としての尊厳が懸かってるんです!」
オレは力強く断言した。
「なるほど」
矢澤先生は悪い笑みを浮かべた。そして放った衝撃の一言とは!? 続きはメンバー限定動画で!
「あのね、長屋くん。長屋くんは星高すべての教師の期待を一身に背負ってる。例えば、雷が落ち続ける野原で身を守るにはどうしたらいいと思う?」
「あの、それは、どういう」
「答えは簡単。背の高い避雷針が一本あればいい。願わくばその耐用年数が三年じゃなくで、いつまでも続いて欲しい。そういうこと」
オレは言葉を失った。たぶんレイプ目になってる。
つまりこの保健の先生は、オレに卒業後も一生、帯洲先生と添い遂げてほしいと言ってるのだ。それは人が人に向けていい言葉じゃない。
「じゃあ、先生はもう戻るから」
世界に絶望したオレと、事情が解らなくて呆気に取られてるみんなを残して、矢澤先生は爽やかに去っていった。
「いまの、なに?」
宮華の質問にオレは乾いた笑みを浮かべる。
「なんでもない。なんでもないんだ……」
「そう。なら、いいけど……」
よっぽどダメそうな様子だったのか、珍しく宮華は本当に心配そうだった。オレは大きく息を吐き、頭の中から帯洲先生のことを締め出す。たとえ教師が全員で結託しようとも、オレを帯洲先生ルートに進めることは不可能だ。その決意だけを残して。
それよりも今は言うべきことがある。オレは頭の中で言葉を組み立てる。泰成くんはおそらく、感情に引きずり回されやすい。なら最初に、安心させなきゃいけない。
「なあ」
オレは椅子に座ってこっちを無表情に見てた泰成くんに呼びかける。
「オレは泰成くんのことが不安だ。面倒だ」
泰成くんの顔が歪む。だからオレは、それが悲しみや怒りを作る前にすかさず早口で続ける。
「けど怖くはないし嫌ってもないし、がんばってくれって思ってる」
オレの言葉に泰成くんの体から力が抜け、当惑の表情が作られる。
「どういう、ことだ?」
やれやれ。これでやっと最後まで話を聞いてもらえそうだ。たぶん。もしダメならそのときは憧れのあのセリフ、“ここはオレに任せてみんな行け”を言う機会がついに来たと思おう。
……っていうか、今オレ“やれやれ”ってナチュラルに言ったな。オレもついにやれやれ系主人公らしくなってきたってことか。自分で自分が恐ろしい。こんな調子だと今後どんな黒歴史を生み出してしまうことか。気をつけよう。
「感情の起伏が激しくて、暴れてこの前まで停学になってて、さっきみたいなことになったりする。そんなのが身近にいたら不安なのは無理もないだろ。それに、そんなの気にしながら過ごすって面倒だろ。あと、そんな生徒をわざわざウチに託してくる教師もなに考えてるのか解らなくて、それも不安だ」
オレは泰成くんの感情に先行するため、早口を続ける。
「けど、そういうの抜きにしたら泰成くん普段別に怖くはないし、嫌なヤツでもない。だから怖くないし嫌ってもいない。それに、ここ何日か一緒に部活で過ごして解ったけど、泰成くん、自分のそんなところを別にいいとは思ってないんだよな? だからそこは、がんばってくれって思ってる。そういうことだ」
息継ぎほとんどしないで一気に喋ったせいで、軽く乱れた呼吸を整える。泰成くんはオレの話をどう受け止めればいいのか、迷ってるようだった。
「でも……、じゃっ、じゃあ、俺のこと」
そこで急に言葉を途切れさせ、息が浅くなる泰成くん。オレは軽く身構える。
泰成くんは目を閉じると眉間にシワを寄せ、強引に深く、ゆっくりとした呼吸をする。そのまましばらくじっとしていたかと思うと、やがて目を開いた。
「俺のこと、きっ、気味が悪くは」
「え?」
「え?」
オレたちは見つめ合ったまま固まる。
いや、正直そんなこと聞かれるなんて思ってなかったから、意識がフリーズしてしまった。
なんせウチの部には人智を凌駕した超推理を行い、ときに宇宙的恐怖を感じさせる視線を放ってくるような女子高生、湯川さんがいるのだ。あれに比べれば泰成くんの振る舞いなんて所詮は人間の範囲。湯川さんに慣れた自分としては気味が悪いなんて1ミリも感じたことなかったのだ。
「ごめん。考えたこともなかったら驚いて。えーと、気味が悪いとかそれはない、な」
どうにか答える。
「あ、おお。今のでそうだってことは解った」
泰成くんは戸惑いがちに言うと、安心したように肩の力を抜いた。それからひどく真面目な顔になる。
「あの、俺は、その……」
急に顔が見て判るくらい赤くなり、泰成くんは口ごもった。
「……すまん。なんでもない。あ、いや、また今度、話す。それと……二人とも、ありがとう」
消えそうなくらいの小声。まさか、あれか。今ので泰成くんが攻略可能キャラとしてアンロックされたのか? ……なんだその発想。我ながらDLコンテンツ脳がヤバイな。もし本当にこれがギャルゲーなら、今のところ攻略対象が帯洲先生と泰成くんだけとか奇ゲーにもほどがある。
それから程なくして、泰成くんは帰った。日下さんと湯川さんはもともと休みで、オレと霧島さん、宮華の三人というちょっと珍しいメンツになった。
「さっきはありがとう」
宮華の言葉に霧島さんはうなずく。
「何かで見たのを、そのまま……やっただけ。体に触れて安心……させる。関係ない話をして……気をそらす、ね?」
「いやでも、咄嗟にあの場でそれできるって凄いぞ」
「逆に頭が真っ白……で、他は何も思い浮かばなかったから……。それに、泰成くんて……すごく生きづらそう、でしょ? だから、ね?」
少し不機嫌そうなのは照れ隠しだろうか。
「イチロもあれ、なかなか良かったんじゃないの? 先にどう思ってるか並べるやつ」
「ああ、頭から順に話してたら途中でまた話どころじゃなくなるかもしれないと思ってな。工夫してみた」
「それで?」
宮華はなぜか笑顔で尋ねてくる。どういうことだ?
「宮華さんも、すぐ保健の先生呼びに行ったのは良かったと思う。あれで空気変わったし」
霧島さんの言葉に宮華は笑みを大きくした。
「瞬間的にヤバイと思ったから。まあ無駄になっちゃって良かったけど」
なるほど。褒められたかったのか。宮華にもそういう感情があったのか。意外だ。それに宮華のあの時の行動はオレが見捨てられたと思って絶望しただけだったんだよなぁ。まあでも、早めに危機の存在を察知できただけ、良かったのかもしれない。
しみじみそんなことを思っていると、宮華が言った。
「思ったんだけど、泰成くんて自分の感情に振り回されるのを何とかしたいと思ってるんでしょう? 急にキレて暴れるとか、そういうのもやりたくない」
「たぶんな」
「それでなんだけど、きっとそれって先生たちも知ってるよね。だから私たちのところに泰成くんが入部させられたのって、問題を克服するのに有効だと思われたからなんじゃない?」
宮華の仮説に、オレは首をひねる。
「オレもそれは一瞬思ったんだけどな。なんで効果があると思われたのかが解らない。日下さんの件があるから、だと弱いだろ」
「けど、ほら、私たちってあんまりお互いがどうでも気にしないでしょ。だから泰成くんも過ごしやすいと思われたのかなって」
「確かに、お互いの距離感が適切に遠い人間の集まりだしな……」
「ね。みんな他人にあんまり関心ないからね……」
言っていて、なんとなく暗くなる。
「私は違うけど、ね?」
なぜか仲間に入れられることを拒む霧島さん。他人は役に立つかどうか、承認欲求を満たしてくれるかどうかでしか見てないっぽいのに良く言う。
まあでも、さすがにそんなことを言うほど何でも言える仲じゃない。
「ああ、うん。そうかも、な」
「別にそれはそれでいいでしょ」
そこで終わって解散てことになればよかったんだけど、そうはならなかった。
 




