7.初めてのデート(1)
翌日の昼休み、僕は屋上のペントハウスの上で途方に暮れていた。
頭の中は日曜日のデートのことでいっぱいだった。
本来なら楽しみでしようがないような感じがするのだが、僕の心の中は違った。
初めてのデートのプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
今の僕が女の子とデートをするということは、勉強を全くしないで試験を受けるようなものだ。
全く練習もしないでスポーツの試合に臨む選手もいないだろう。
まあ、要は“無謀”ということだ。
僕は女の子の二人きりになってまともに喋れるのだろうか?
昨日だって、あのセリフを言うだけでいっぱいいっぱいだったのに。
約束をしたフェルメール展を観るまではいいが、その後はどこへ行けばいいんだろう?
麻生さんと何を喋ればいいんだろう?
話題は?
何を着ていけばいいのだろう?
お洒落な服なんて持ってないし、センスも無い。
悩みと不安が溢れんばかりに湧き出てくる。
でも、こんなことを相談できる友達もいない。
「あれ? マジメくん、どうしたの? 死にそうな暗い顔して」
――え?
もうろうとした意識の中で僕は顔を上げた。
すると、目の前に見覚えのあるボブの女子生徒が立っていた。
昨日、僕に声を掛けてくれた女の子だ。
眉間にしわを寄せながら心配そうな顔で僕を見つめていた。
「あの、“マジメくん”って僕のこと?」
僕ちょっとムッとしながら答えた。
僕は真面目と呼ばれるのが好きじゃない。
「あれ? 君の名前、マジメくんじゃないの? クラスでそう呼ばれてなかった?」
「あの、僕の名前、“マジメ”じゃなくて“始”なんだけど・・・・・」
僕は嫌味っぽく訂正した。
「え? あ、ごめーん。変な名前だと思ったんだ。そりゃそうだよね。始くんって言うんだ」
実を言うと、僕の名前は“ハジメ”でもない。本当は“ハル”と読む。
親も捻くれた読み方にしてくれたものだ。
子供のころから“ハジメ”と間違えて呼ばれていたが、中学に入ったあたりからあえて訂正するのも面倒になったので、ほとんど“ハジメ”のまま通すようになった。
今回も特に訂正することはしなかった。
「君って昼休みはいつも屋上で勉強してるじゃない。だから“マジメくん”って呼ばれてるんだと思ってたよ」
これも事実と違っていた。
そもそも僕はここで勉強なんかしていない。
でも、やはり訂正するのが面倒なのでこれもスルーした。
「で、ハジメくんはどうしてそんな暗い顔してるの?」
僕はこういう明るく気さくな女の子が苦手だった。
人のペースに遠慮なしで入り込んでくるため、それが乱されるのが嫌なんだ。
僕は自分のペースで歩いていくのが好きだ。
いや、好き嫌いの問題ではないかもしれない。
自分のペースでしか進めないと言ったほうが正しい。
要は他人にペースを合わすことができないのだ。
「ごめんね。僕はいつもこんなふうに暗い感じなんだ」
僕のいじけた態度を見て、彼女はクスッと笑った。
やっぱり僕の苦手なタイプだ。
「昨日あれからどうだった? 菜美ちゃんと・・・・・」
「え?」
突然の質問に僕は思わず戸惑う。
「どう・・・・・だったって?」
「あのあと、菜美ちゃんと話したんでしょう?」
そうだ。よく考えたら、今僕が悩んでるのはこの子が原因じゃないか?
あの時、この子が僕をけし掛けるようなことを言うから麻生さんに告白しなきゃいけないハメになったんだ。
いや、違う。
僕は何を言ってるんだ。
彼女を恨むどころかお礼を言うのがスジだろう。
僕は頭の中で自問自答を繰り返していた。
「あの、昨日はありがとう」
礼を言った僕に彼女はちょっとびっくりした顔をした。
「ああ、いいよそんなこと。で、どうだったのよ?」
彼女は僕の懸命の礼儀をあっさりかわすと、すぐに気安い感じでグイグイと迫ってくる。
その勢いのある圧に僕はちょっと後ずさる。
「あの、明後日の日曜日に一緒に渋谷に行くことになった・・・・・」
「すごい! やったじゃん! もうデートにこぎつけたの。見かけによらずマジメくんもなかなかやるね」
「いや、葵さんのおかげだよ」
「あれ? 私の名前知ってるんだ」
彼女はちょっと嬉しそうな顔をする。
「麻生さんから聞いた。ごめんね」
「別に謝ることないよ。そっかそっか。うん。私は葵涼芽ね。よろしく・・・・・って私のことはどうでもいいよね」
本当に軽くよくしゃべる子だ。
こういう性格は口下手な僕からするとうっとうしいのと羨ましいのが混在する。
「あれ? スズメって本名じゃなかったの?」
「ああ、涼芽の芽が『め』だから『スズメ』って読めるでしょ。だからみんな私のことスズメって呼んでる。いちいち訂正するの面倒くさいからもうスズメにしちゃってるんだ。君もそう呼んでいいよ」
驚いた。
僕と同じじゃないか。
妙なところで親近感が湧いた。
「君の苗字は――“さえない”だっけ?」
「ワザと間違えてるでしょ?」
ムッとした僕に悪気も無い顔で彼女は微笑んだ。
「うそうそ。知ってるよ。冴木くんでしょ。で、冴木くんはせっかくデートすることになったのに、どうしてそんな暗い顔しながら悩んでるのかな?」
まるで全国こども電話相談室のような口ぶりにまたイラついた。
「別に悩んでないよ」
真面目だが根が素直でない僕はスネたように答える。
でも、そんなにあからさまに悩んでいるように見えるのだろうか。
「うそ! 誰が見ても悩んでる顔してるよ。まさかデートが嫌だなんて思ってないよね?」
「嫌っていう訳じゃないんだけど・・・・・なんか・・・・・困ってる」
「困ってるって? 何を?」
「実は僕、女の子とデートどころか、まともに喋ったこともないんだ」
やけに素直に話してしまった自分にびっくりした。
今まで僕は悩みがあっても他人に相談することはなかった。
でも、あまりにもズケズケとした彼女の態度に僕の心は崩され、それが本音を漏らさせた。
「喋ったこともないの?」
「うん」
「本当にマジメくんなんだね」
僕はまたムッとした。
「あ、ごめん。馬鹿にしてるわけじゃないよ」
「褒めてもないよね」
「君って素直じゃないよね」
彼女もちょっとムっとした顔になる。
「あのさ、そんなに悩まなくてもいいんじゃないの?」
「葵さんは悩みが無さそうだね」
「そんなことないよ。私だってたまには悩むよ」
「ふーん。どんな悩み?」
「私ってなんでこんな美人なんだろうって・・・・・」
そう言いながら色っぽく髪を撫で上げる。
ダメだ。こんな超マイペースな子とはもう付き合っていられない。
自分のペースが乱される。
そう思いその場を離れようと立ち上がった。
「じゃあ、さよなら」
「ちょっと! 君、冗談通じないね」
彼女は慌てて僕を呼び止めた。
「うん。僕に冗談は通じないんだ」
「なんで威張ってんの?」
「つまんないでしょ。僕」
そう言うと彼女は不思議な顔をして僕を見つめた。
そう。僕は冗談も分からないつまらない男なんだ。
彼女が親しみを込める意味で冗談を言っているのは理解はしているんだ。
でもそれに応える能力がない。
「ふふっ」
彼女が急に笑い出した。
「何?」
「いや、大丈夫。君、おもしろいよ」
「いいよ。社交辞令は好きじゃない」
「君、本当に素直じゃないね」
言われなくても分かってる。
でも他人から言われたくない。
「じゃあ、一人で静かに悩みたいから」
「どういう趣味?」
疲れた僕は教室戻ろうと歩きだす。
「あ―――!」
いきなり彼女が大声を上げたので僕は振り返った。
「グッドアイデアがある」
手を大きく広げながら叫んだ。
「何?」
「リハーサルをしよう!」
彼女が何を言っているのか意味が分からなかった。
「何? リハーサルって?」
「リハーサルっていうのは、本番の前に同じように練習することだよ」
「誰もそんなこと聞いてないよ。何のリハーサル?」
「デートだよ。デートのリハーサル」
「は?」
彼女の言葉が僕の中で咀嚼できずに通り抜ける。
「何事も自信が無ければ練習をすればいいんだよ。どっかのオリンピック選手が言ってたよ。自信が無い時はそれを付ける方法として練習に勝るものは無いって」
「デートのリハーサルをするっていうの?」
「そうだよ。デートは日曜だから前日の土曜日でどう?」
「どうって何を?」
「だからリハーサルだよ。人の話聞いてる?」
「あの・・・・・だ、誰と?」
「会話の流れからして私しかいないでしょ」
話の展開についていけないのは僕の頭の回転が鈍いせいなのだろうか?
その時、校内に昼休み終了の鐘が響いた。
「あ。昼休み終わっちゃう。じゃあまたね。真面目なハジメくん」
そう言うと、彼女は足早に階段を降りていった。
デート?
リハーサルって何?
ひとり残された僕は状況が把握できずに呆然とたたずんでいた。