龍神様
長いです。上手く切れなかったので、そのままです。
「五月蠅いぞ。童」
ひっくひっくと泣き崩れている雪は、その声にすぐに反応できなかった。
「目が覚めてしまったではないか。童」
顔を上げると涙でぼやけた視界に、小さく細い生き物が近づいてくるのが見えた。
「へび?」
「失敬な童だな。我をあのような下等な生物と同じにするな」
涙を拭ってよく見れば、細い体には小さな手足が付いていた。
「り、龍?」
「この川の主、龍神様だ。我に頭を垂れよ!」
ぴゃっと飛び上がると、雪はそのまま土下座して額を擦り付ける。
(まずい、まずい、まずい!)
途方に暮れていたとはいえ、龍神様にとんでもないない口をきいてしまった。ふるふると震えながら身を縮める。
「なんだ、そんなに恐がるな。せっかく愛らしい大きさにしたのに、意味が無いではないか」
ふわりと舞いながら雪の周りを龍神が旋回している。
目が覚めてしまったーとか、暇じゃーとか呟いている。
「時に童。何をそんなに泣いておる。話せ」
「・・・」
「昼寝を邪魔されて、暇を持て余してしまったのだ。責任をとれ!」
ずいずいと目の前に顔を突きつけられ、逃げられないと悟った雪は、事の次第を話したのだった。
□□□
「ふーん。いつも童に纏わり付いてる男に、愛想を尽かされると心配して泣いているだけか。ふーん」
つまらんなと龍神は管を巻いた。
「あんなにべったり纏わり付かれて、逃げられなくて泣いてるかと思ったのに!」
つまらん、つまらんと龍神はクルクル回りながら吠えている。
「そんなこと、思ってないです!」
「でも、ちょっと鬱陶しいと思っていただろう?」
「うっ」
(ひ、否定できない)
言葉に詰まった雪をニヤニヤと見下ろす。
「あんなに四六時中付き纏われて、手取り足取り世話を焼かれる様は中々異様だったぞ?」
(やっぱり、そうなの?!)
実は雪も少し不味いのではないかと思っていたのだ。
だって何もしないで日々が過ぎていくのだ。多分歩くとか寝るとかしかやってない。
「まぁ、童なら仕方ないかもしれんがな」
そう言うと龍神は、雪をじっくりと見透かした。
「おっと、噂をすればお前の主が屋敷に戻ったみたいだな?」
途端に雪は泣き出してしまう。
いつまでも逃げ回れないのは分かっているが、心の準備が出来ていない。せめてもう少し落ち着く時間が欲しかった。
遠慮無く泣き出した雪に、龍神がたじろぐ。
「そ、そんなに嫌なのか?」
雪はコクコクと頷く。あまりの悲壮感に龍神は感化されてしまう。
「少しの間だけ、匿ってやろうか?」
先ほどより雪が激しく頷くのを見て、溜息をつく。
「気が済んだら、ちゃんと謝って話すんだぞ?」
「はい」
「あと、匿う対価をよこせ。お前の取れた角をくれ」
神様との取り引きで、対価はとても大切だ。
雪は自分の取れた角を一つ差し出した。龍神は角を受け取ると、息を吸い込み膨れ上がった。くるりと雪の体を、包み込むように取り巻きつきながら丸く球体を作っていった。
気付くと雪は水の中に浮いていた。外の様子が水越しに歪んで見える。
「お前の姿は外から見えない。声も聞こえない。お前からは全て見えるし聞こえるようになっている。まぁ気の済むまで泣くなり悩むなりすればいい」
龍神の言葉に安堵して、雪は膝を抱えて丸くなった。
□□□
朔夜は屋敷に着くと雪を呼んだ。しかし返事も無ければ気配もない。
鈴に尋ねると山に向かったと言われたが、山に雪の気配は感じ取れなかった。
(何かあったか?)
今朝、少し様子が変だったのを思い出して舌打ちする。
本家の用事などすっぽかして問いただすべきだったのだ。
雪に教えた範囲の領地に意識を向ける。雪の小さな妖力を探すが何処にも見当たらなかった。
(まさか領地を出たのか?)
そうなると、朔夜でもすぐには見つけられない。
もう一度念入りに領地に意識を向ける。ふと一カ所だけぽっかり何も無い空間があることに気付く。
どんな場所でも草や木や水の気配があるはずなのに、不自然に何も無い。
朔夜はそれを確認すべく川の方へと足を運んだ。
□□□
「何をしているんだ」
「げぇ。早すぎだろ」
意味深長な言葉を口にする龍神を睨みながら、朔夜はその姿を遠慮無く観察した。
龍神は何かを守るように水の球体に蜷局をまいている。
「我が家の娘が行方不明だ。知っていることを話して貰おう」
「なっ!我に向かって不躾だぞ!」
「やかましい!」
早く雪の無事を確かめたいのに、龍神のご託宣を聞かされて頭に血が上った。
我を忘れて鬼火を龍神へと撃ち込んでいた。
「ぎゃーーー!!」
尻尾を振り回しながら鬼火を消して、龍神は涙目で抗議してくる。
「ば、ば、馬鹿者!我に火を投げるなど正気か?」
次に投げる鬼火を出して、龍神へと近づいていく。
「ま、ま、待て待て。雪は居る。この中に居る!」
「なら、早く返して貰おう」
「ま、ま、待ってくれ。話を聞くのだ」
「早く返せ」
苛々と鬼の形相で近づく朔夜のせいで、龍神は愚か中に居る雪も完全に恐怖で硬直してしまっていた。最早出るに出られない状況になっていたのだ。
「雪は、とても悩んでおる。上手く説明できるよう心の整理をする時間が欲しいのだ」
「親代わりの私が話を聞きますから、どうぞお引き取りを」
「だーかーら、お前の為に悩んでるとゆーに」
「雪に何かしたのか?だから出せないのだろう。」
「違う!何故そうなる?」
盲目すぎだろう!と龍神はわぁわぁと叫びながら何とか時間を稼ぐ。
ちらりと雪に出られそうか聞くが、無理だと泣いている。
このままでは龍神が無事では済まないのだが、対価を貰った手前逃げ出すことも出来なかった。
雪を返せと詰め寄る朔夜に、龍神は溜息を付きながら気合いを入れる。
「お主が怖すぎて、余計に出られなくなっておる。少しは落ち着け。雪は心の整理が出来たらちゃんとお主に話すと我と約束した。今しばらく待ってやるくらいの優しさを見せよ」
返事は無かったが、朔夜の周りから鬼火が消える。
「何があったかは知らないが、僕が雪を拒絶するなんてありえない」
「本当か?どんな姿でも、何があってもか?」
「無論だ。雪は僕の娘で将来の伴侶なんだ。何があっても手放したりしない」
「妖力が無くなってもか?」
「僕が強いのだから、問題ないだろう?」
龍神がコソコソと球体に向かって何かを喋る。
途端に水が流れて、頭の手ぬぐいを掴んで俯いた雪が現れた。
(顔が見えないが、気配は雪だな)
雪の見た目に怪我が無いことを確認して、朔夜は安堵する。
「雪、こっちに来なさい」
呼びかけると雪はゆっくりと近づいてくる。
「ごめんなさい」
と小さな声で謝る雪は顔を上げようとしない。
「何があった?怒らないから、ちゃんと教えて欲しい」
肩に手を置いて雪の顔を覗き込むと、大粒の涙がポタポタと落ちている。
「・・・っつ、角が、とれて。鬼火が・・・っ」
差し出された手のひらには、雪の角が1つ乗っていた。
「角が取れたのか」
返事は無く、更に激しく涙が落ちて嗚咽が漏れる。
「雪。雪の角は幼角だから、大人になる準備が出来ると取れてしまうんだ。取れている間は妖力も使えない」
だから何も心配要らないよ、と背中を撫でれば、雪は朔夜にしがみついてわんわん泣いた。
暫く背中を撫で続け、雪が落ち着くのを待つ。
雪の嗚咽が止まったのを確認して、朔夜は顔を見ようと手ぬぐいに手を掛けた。
途端に雪の手が、頭に被った手ぬぐいを掴み、取られまいと力一杯押さえつける。
「雪?どうしたの。可愛い顔を見せて?」
「駄目です」
「なぜ?」
「駄目です」
頑なな雪に困惑していると、龍神と目が合う。
「雪の頭に何をした?」
「っ。何で我のせいになる?!盲目にも程があろう!」
「雪。ちゃんと言ってくれなきゃ解らない」
背中を撫でながら優しく諭すと、雪が重い口を開いた。
「禿が・・・角が、とれたとこ」
そう言って、またポロポロと泣き出してしまう。
「角が取れた跡を気にしてるの?」
「禿が・・・」
禿が禿がと言い募る雪を、困った顔で見下ろす。
「気にしなくていい。白夜など、禿た禿たと見せびらかして歩いていた位だ。皆同じだから大丈夫だよ」
けれど雪の態度は変わらない。
「男の実例を持ち出して大丈夫などと、お主は乙女心が解らん奴だな」
龍神に冷たい目線を投げられ、自分の言葉は雪に届かなかったのだと悟る。
「解った。角が生えるまで被っていなさい」
コクリと頷く雪を見ると、とても気にしていることが分かった。そんなに悲しかったのか。
「ところで、取れた角は一本なの?もう一本はまだ付いてるのかな?」
途端に龍神が目線をそらして、そろりそりろりと距離を取っている。
「龍神様に匿って頂いたお礼に、お渡ししました」
「おい」
「ナニカナー」
しらを切る龍神は、さらに距離を取ろうと移動していた。
「匿うだけで、その対価は多すぎるだろう。せめて等価交換に調整しろ」
バレたか、という顔をして龍神は雪の近くへと戻ってきた。
「せいぜい角の一欠片が妥当だろう。返せ」
「断る。我はこれが欲しかったのだ!」
鬼の角は百薬の材料になる。幼角などまず手に入らない。値段が付けられないほど高価な代物なのだ。
「じゃあ、どうする?」
うーんと悩んだ龍神は、くるりと宙を舞い人の姿に変わって降り立つ。
首に掛けた飾りから、勾玉を1つ取って雪に差し出した。
「我の加護を雪にやろう。我と比べれば鬼の寿命も瞬き程度だ。雪が極楽浄土へ旅立つその日まで、我が助けることを約束する。」
龍神は雪に勾玉を差し出して、雪はそれを受け取った。
「我と雪の間で、契約が成立したな」
これで角は我の物だと、龍神はホクホクしながら川へと帰っていった。
「僕らも帰るとしよう。おいで、雪」
出された手を握り雪は朔夜と共に屋敷へと帰っていった。