鬼の角
行商が来た次の日から、雪は気付けば空を見上げるようになっていた。馴染みの八咫烏の帰りを今か今かと待っているのだ。
家の外に居ても中に居ても、そわそわと落ち着かない。
手持ち無沙汰に櫛で髪を梳こうとした時、コトンと何かが机に落ちた。
「-っ!」
角だ。
自分の角が落ちているではないか。
慌てて自分の額を触って確認する。
ゴトン。
触ったせいで残った1本も取れてしまった。
雪は衝撃で頭が真っ白になった。
何が起きたのが理解できなかった。いや、角が二本とも取れてしまったのは分かったが、それが何を意味するのか思考が働かないのだ。
慌てて先日買って貰った手鏡で自分の額を確認する。
角があった筈の場所は、角が取れたせいで禿げていた。
(額の両側が禿げてる!)
ガタガタと手が震え、見開いた瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。とてもでは無いが、恥ずかしすぎて誰にも見せられない。どうしよう、どうしようと慌てふためいていると、鈴が雪を呼びに来た。
「旦那様が本家にお出掛けになります。一緒にお見送りしましょう」
(旦那様!!)
このまま雪が出て行かなければ、朔夜が部屋に来てしまうではないか。
兎に角、今はこのみっともない頭を隠してやり過ごさねば。
雪は涙を拭うと、何か隠す方法はないか辺りを見回した。
数刻して現れた雪は、長い髪を後ろで1つにまとめ、手ぬぐいをを頭に付けた姿で現れた。
「雪、その頭はどうしたんだ?」
「今日は鈴さんと一緒に、屋敷の掃除をしようと思うのです」
にこりと笑う雪に、朔夜の顔が険しくなった。
「雪、幼子は掃除などしなくていい。いつものように、のんびりと過ごして山や川を歩いて回りなさい」
そう言うと朔夜は、雪の頭の手ぬぐいを取ろうと手を伸ばしてきた。すぐに雪は後ろに下がり、手の届かない所に逃れる。
「雪?」
「こ、この格好が気に入ったのです。掃除は止めて、いつものように過ごします」
言いながら更に一歩下がったのが良く無かった。
土間に立っていた朔夜が、草履を脱いで上がってこようとする。
(ひぃ!)
「旦那様、そろそろ本家に向かいませんと遅れてしまいますよ」
鈴の言葉に、朔夜は雪を一瞥すると諦めて玄関に向かった。
「一刻ほどで戻る。それでは行ってくる」
「「いってらっしゃいませ」」
朔夜を見送り、姿が見えなくなるのを確認し雪は急いで自室へ戻る。巾着に取れた角を入れて、玄関へと向かう。
「今日は山を歩いてきます」
鈴にそう伝えて屋敷を出た。
雪は暫く山へ向かう道を歩いていたが、鈴が屋敷に入ったのを確認すると反対側の道へ踵を返したのだった。
□□□
川にある一等大きな岩の影に隠れ、雪はこれからのことを考えて途方に暮れていた。
角と一緒に持ってきた手鏡で見れば、やはり角があった筈の箇所は禿げている。
角を元の位置にあてがってみるが着くわけもない。
何回も繰り返しては、どうしよう、どうしようと混乱していた。
早く何とかしなければ、すぐに朔夜が帰ってきてしまう。そうしたら雪を探しに来てしまうではないか。
「角は鬼の妖力の象徴なのに」
そんな大切な物が取れてしまうなんて、とんでもないことだと思った。ふと、雪は鬼火を出そうと手を開いた。
「うそ。うそ」
何度やっても鬼火は出てこない。雪は僅かに宿っていた妖力すら失ってしまっていたのだ。
自分は何てことをしてしまったのだろうか。
事の重大さに気がついた雪は、声を上げて泣き出してしまった。
思えば、紅里に居たときも雪は役立たずの厄介者だった。
そんな雪でも父の役に立てると、朔夜の元で頑張りたかったのに、最早それすら叶わないではないか。
ここを追われたら行く当ても帰る場所ももうない。
自分の父は生きてるかすらわからない。
ぐちゃぐちゃな頭で自分の置かれた状況は最悪なのだと理解した。
余り大きい声で泣けば、すぐに朔夜に見つかってしまうかもしれない。そう思って我慢しようとすればする程、雪の口から絶えず嗚咽が漏れた。