行商
新緑が美しく茂る山に、気持ちの良い風が吹く。季節は春から夏に移り変わろうとしていた。
そんな山々に習ってか、雪の体も更に変化していった。ただしその変化は雪にとっては余り喜ばしい事ではなかった。
「着物がどれも、つんつるてんだ」
実は少しずつ伸びていたのだが、今まではお端折りを伸ばして誤魔化していた。
遂にそれも難しくなるくらい、雪は雨上がりの筍のように急激に成長していた。
朔夜に頼めば着物は買ってもらえるはずだが、雪は自分から言い出すことを躊躇っていた。
自室で悩んでいると、鈴が声を掛けにきてくれる。
「今日は行商が来ます。雪様のお着物を新しく仕立てましょうね」
「はい」
雪の悩みは鈴や朔夜には、お見通しだったようだ。
玄関に出ると朔夜ともう一つの影があった。
「こんにちは、お嬢さん。稲荷の狐で御座います」
二本足で立ち、頭に手ぬぐいを被った狐がひょこりと顔を覗かせる。
朔夜の屋敷には、時折こうした行商が足を運んでくる。
行商は神獣、付喪神、鬼など様々な顔ぶれのものが出入りしていた。
「お嬢さんに似合う反物を沢山お持ちしました。今からの季節なら、浴衣を仕立てるのも良いかもしれませんね」
そう言って並べられたのは白地に紺色で朝顔や菖蒲の花をあしらった反物だった。
今から仕立てたら仕上がりは夏になるだろうか。雪が持っている着物が夏まで保ってくれることを祈るしか無い。
「すぐに入り用なんだ。すまないが出来合いのものも見せてくれ」
「かしこまりました」
そう言うと仕上がった着物が幾つか出される。
小鳥や唐草模様、市松模様など季節を選ばない柄のそれらは、今の季節に合う薄紅色や黄檗色や白藍色を基調としたものだった。
可愛らしい着物に目を奪われる。
「どれか好きな物はあったか?」
朔夜に聞かれて言葉に詰まった。こんな素敵な着物など着たことがなかったからだ。
唯一父から渡された訪問着も青藍色の落ち着いたものだ。それ以外の着物は誰かのお古ばかりで、新しい着物をあつらえたことは一度も無かった。
きっと妹の希代ならば似合うだろうと思うのだが、雪にはこんな綺麗な着物が自分に似合うなど到底思えなかった。
「ならば僕が選ぼう。雪の銀色の髪に雪のように白い肌は何色でも似合うから、選びがいがあるな」
そう言って、朔夜は黄檗色と白藍色の着物を手に取っていく。
それを一枚一枚、雪に羽織らせて似合うか確認する。着物が決まると帯を合わせ、また羽織らせて確認する。
三着の着物と帯が決まったときには、雪はぐったりと疲れていた。
「雪は、まだ背が伸びる。こまめに通ってもらって都度買い揃えたいが、頼めるだろうか?」
「はい。畏まりました。これから暫くは毎月お邪魔させていただきます」
これから毎月これがあるのか、と雪はげんなりした。
ふと見れば、朔夜が簪や飾り紐を物色している。まだ買うつもりなのだろうか。
次から次へと商品を取り出しながら、狐の行商がそういえばと、世間話を始めた。
「大江山近辺にあった、紅里が人に攻め込まれたって話ですよ。全滅らしいです」
それは、雪が住んでいた里の名前と同じだった。
「何でも人を攫っていたそうで、そこから足が着いたようです。同業者も暫くは通うのを止めると話していました。
あちら方面からの物流品は品薄になっていきますから、この辺りとか如何です?」
「ああ、見せて貰おう」
雪は顔色を変えない朔夜の顔を見つめ、気付くと着物を掴んでいた。
「雪。具合が悪いなら、奥で少し休んでいなさい」
雪は頷くと、ふらふらと奥へ下がっていった。
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行商が帰ると、朔夜は急いで八咫烏を呼び寄せる。
雪がこの里に来るときに案内役として着いてきた烏だ。元は白夜が旅立つ時に連れて行った烏でもあった。
「済まないが、白夜の元へ飛んでくれ」
八咫烏はカァと鳴くと、空へ舞い上がり彼の地へ飛んでいった。
白夜が生きていれば、何がしかの連絡を持って帰ってくるはずだった。
狐の行商が言っていた紅里は白夜が居る里だ。白夜の手紙に書いてあった里の状況は過酷だった。人に手を付けてしまっても、おかしくないほどに。
「ああ。無事でいてくれ。白夜」
八咫烏が見えなくなると、急いで雪の所へ向かう。
きっと心配している筈だから、早く安心させてやらなければ。