幼子
長屋の鈴の部屋にお世話になってから、三日が過ぎた。
「旦那様がお呼びです」
鈴の言葉で、途端に雪の全身に緊張が走った。
はい、と返事をし、鈴と連れ立って母屋へと歩いて行く。
怖い、怖いと叫ぶ心を父のためだと押さえつけた。
そうして歩いていると、急に酷くお腹が空いていることに気が付く。不思議なことに、目の前の鈴は食事を殆ど取っていない。少しばかりの果物や季節の野菜が一日一回出されて、それを雪と一緒に食べる位だ。
雪は持っていた干し飯を少しずつ食べて凌いだが、それも昨日で尽きてしまい朝から水でお腹を満たしていた。
(お腹が空いたなぁ)
そんなことを考えて歩いていたのが悪かったのだろう、うっかり躓いて転んでしまった。
「大丈夫ですか?雪様!」
鈴の声がぼんやりと聞こえる。空腹で意識が朦朧としているせいか、すぐに起き上がれない。グズグズと寝ていると、ふわりと体が持ち上げられた。
「転んだのか。血が出ているな」
見れば間近に朔夜の顔があり、驚いた雪は腕から逃れるように身をよじる。
「暴れるな。落としてしまうところだった」
険しい声にピタリと動くのを止める。そのまま朔夜に抱き抱えられて母屋へと連れて行かれた。
□□□
雪は着物の裾をめくられ、怪我をした膝の手当てを受けていた。自分で出来るからと懇願しても朔夜は許してくれなかった。
「幼子は黙っていなさい」
幼子と言われ、雪の心は衝撃を受けた。
「これでも十四歳です。成人の年です」
絞り出すように訴えると、朔夜は雪の顔をマジマジと見る。
「でも、幼子だろう」
雪の体は女性らしい丸味が一切無い。着る物を変えれば男の子に見えるほどに中性的な体つきだ。しかも上背も低いので子供に見えても仕方ないのは理解できる。
「雪は幼子だ。わかったな?」
念押しされて、はいと答える。
自分は朔夜に仕えるのだから、余程の事以外は従順に従うべきだ。朔夜が雪を幼子と言うなら幼子となるのだ。
(でも、嫁ぐように言われたのだから、十四歳で成人なのも間違いではないと思うのだけれど)
そこまで考えて、自分が嫁なのか側女なのか下女なのか決まっていないことを思い出す。
「さて。これで大丈夫だ。他に痛いところは無いか?」
「はい。ありがとうございます」
「なら、座敷へ上がろう。これからのことを話す」
足を庇いながら、朔夜に付いて座敷に上がる。
用意された座布団に座ろうと、怪我をした膝を庇うように、ゆっくりと腰を下ろしていると、朔夜に足を投げ出すように言われる。行儀が悪くはあるが、怪我に障るので仕方なく従う。
「雪。白夜の手紙を届けてくれて、ありがとう。お陰で長年の蟠りを解くことができた」
想像していなかった感謝の言葉に、理解が追いつかず朔夜の顔を凝視した。
目鼻立ちの整った美しい顔でふわりと笑顔を向けられ、雪は雷に撃たれたような衝撃を受けた。次いで顔が熱くなっていく。
「とんでも御座いません」
頭を下げたかったが、投げ出した足では首を曲げるのが精一杯だった。
「白夜の手紙には雪を頼むと書かれていたから、雪はこのまま我が家に住みなさい。母屋に部屋も用意するから、準備が整うまで、しばらくは鈴の部屋で我慢してくれ」
胸の辺りがドクドクと激しく鳴り出した。
(私、ここに居て良いんだ)
父が重々頼んでくれた文のお陰で、雪は追い出されずに済んだようだった。雪は父に感謝した。
「雪はまだ幼子だから嫁には貰えない。しばらくは私が親代わりに世話をしようと思う。ちゃんと大人になったら嫁に貰うから、そのつもりでいなさい」
雪の頭は言われたことを理解できずに混乱していた。
顔を上げると朔夜の笑顔が目に入る。顔が熱くて眩暈がする。心臓が破裂しそうなほど早鐘を打っていた。
『ぐぅぅぅ~』
突如、雪のお腹の虫が盛大に鳴り響いた。
一瞬で冷静になり、次いで心は急降下していった。
「腹が減っているのか?」
『ぐぅ』
雪の代わりに、腹の虫が答えた。呆然として動けずにいると、朔夜がクスクスと笑い出す。
「白夜の手紙に、食事をすると書いてあったな。日にどのくらい食べていた?」
「毎日、朝と夜に食事を摂っていました」
「そうか。そんなに食べているのか」
「あの。食事するのは普通ですよね?」
朔夜の言いたいことが、雪には理解できなかった。食事を取らねば死んでしまうではないか。
「雪は鬼を知らないのだね。鬼は食事以外で栄養を摂る方法があるんだよ。特にこの土地は養分が豊富だから、あまり食事を必要とはしないんだ」
「ーっ!」
「食事は季節のものを楽しむ程度に取るだけだ。雪も慣れれば出来るようになるよ。それまでは食事をとるようにしようか」
ぐぅと鳴るお腹に手を当てて、そんな事が出来るようになるのだろうかと不安になる。
「雪は幼子だから、いろいろ知らなくても仕方ないね。僕が親代わりに教えていかなくてはいけないな。まずは食事をしよう。何か鈴に用意してもらうから待っていなさい」
「はい」
そう言うと、朔夜は立ち上がり障子を開けて鈴を探しに行ってしまった。





