雪
「召喚者は金の卵」が途中ですが、最後まで書ききることができたので公開します。今日から数日に渡り公開していく予定です。
鬼の世界をご堪能下さい!
「雪と申します。此方にお嫁に参りました」
ぺこりと頭を下げれば、雪解け水の泥と埃で汚れた草履が目に入る。着ている着物も所々汚れてしまっていた。
目の前にいる屋敷の主人は何も言わない。
その沈黙が怖くて雪は頭を下げたまま、じっと耐えた。
雪は実家を出てからひと月ほど掛けて、ここまで辿り着いた。直前に湯を借りることが出来たなら、もう少しましな姿で目通り出来たかもしれない。
「お前、白夜の娘か?」
問われたその名は雪の父親の名前だった。
「はい。白夜は私の父でございます」
思わず顔を上げれば、目の前に佇む男と目が合った。
肩に掛かる黒い髪を緩く束ね、額から二本の長く艶のある白い角が生えていた。金色の目は細められ眉間に皺が寄っている。男の美しい顔で睨まれ思わず恐怖で身か竦んだ。
(ああ。私は歓迎されていないのだ)
心が冷えていくのを感じた。
けれど仕方ないと自分を慰める。
(それでも、自分はここでやっていくしか道が無い)
□□□
雪は自分を送り出してくれた父を思い出した。
銀髪を獅子のようになびかせ、額から2本の長く艶のある白い角を生やしていた。金色の目に日焼けした肌は紅里に住む一族の中で、唯一の姿だった。
大柄で雪が小さい頃に高い高いをしてもらった時など、高すぎて怖い思いをしていた。
そんな父に瓜二つの姿をした雪は一族の中でも浮いていたように思う。継母に妹、他の縁者も黒髪に赤い角を生やした赤鬼だったから。雪だけゴツゴツとした小さい2本の角だったことも、原因かもしれない。
一族の誰もが雪に一線を引いていた。
雪を生んだ母は紅里の長の娘で、父が婿入りして結婚した。母は雪はを生んだ後、産後の肥立ちが悪くすぐに亡くなってしまった。そんな生い立ちからか、父と雪の間にも溝が出来上がっていた。
雪の母が亡くなった後、白夜は母の妹を娶り、雪に腹違いの妹が生まれた。継母と死んだ母は姉妹で瓜二つな顔立ちをしていたらしい。生まれた妹は継母に似ていたから、父の愛情は継母と妹に注がれていた。
雪は継母に折檻される事がしばしばあり、大きくなると母屋から離れへと追い出されたが、父は何も言わなかった。
(私は、疎まれているのだ)
仕方ない、仕方ない、と言い聞かせては目立たぬように息を潜めて生きていた。嫌なことは目を閉じ耳を塞ぎ、ただ過ぎ去るのを待つことで、やり過ごした。
そんな父に嫁に行くように言われたのは、ひと月ほど前のことだった。
母屋に呼ばれて部屋に入ると、父と継母と妹の希代が座っていた。
「俺の故郷に朔夜と言う縁者がいる。そこに嫁いでくれ」
いきなりの話で、ぽかんと口を開けたまま父を見上げてしまった。そもそも毎日をやり過ごすことしか考えていなかったから、嫁に行く日が来るなんて思いもしなかった。
「もし断られても、ここへは戻ってくるな。側女か下女に納めてもらうんだ」
その言葉に脇に控えていた継母と妹の希代が、クスクスと笑っている。
「わたくしが結婚するのに、姉が嫁いでいないなんて外聞が悪いのです」
「旦那様のご実家は、かなり田舎ですから。貴女のような不器量者でも置いて貰えるのですよ」
継母の言葉には、雪だけでなく夫である白夜への蔑みも含まれている。
しかし白夜は妻と娘を諫めず、ただ無言でやり過ごすのだ。外からの婿入りで肩身が狭いからか父はずっとこの調子だ。
「用事はそれだけだ。後で嫁入りの荷物を持っていく」
「はい」
雪は返事をすると、離れの部屋へと戻っていった。
部屋に戻った雪は荷物をまとめた。離れの小さな部屋には、必要最小限の物しか無い。数枚の着物と下着を風呂敷に包んでいると、白夜が部屋を訪れた。
父は一着の訪問着と分厚い文を雪に渡した。
「月白里まではひと月ほど掛かるから、あまり荷物は持って行けまい。不足は向こうで揃えて貰いなさい。手紙に重々書いておいた。必ず朔夜に渡してくれ」
「はい」
「雪。父は朔夜に負い目がある。不義理を働いてしまったのだ。父の代わりに償ってきてはくれまいか」
頼むと頭を下げられ、弾かれたようにそちらを向いた。
(お父様が私を頼ってくれるなんて・・・)
それは虐げられ続けた雪の心に、小さな喜びの火を灯した。それはじわじわと広がっていき僻みや拒絶心を飲み込んでいった。
(こんな私なんかでも、役に立つことが出来るのかしら・・・)
嬉しかった。自分の生きる目的を与えられたかのように、体を高揚感が包んでいく。
ただ追い出されるかのような嫁入りが、途端に父親のための善行へと変わっていった。
「謹んで、お受けいたします」
白夜に向き直り両手をついて頭を下げた。
あまり幸せではなかったが、それでもここまで育ててくれた父親に感謝した。
(こんな私が役に立つなら、このお役目を最後まで全うしよう)
道中、雪が野垂れ死なずに済んだのは、白夜と交わしたこの約束のせいに他ならなかった。
□□□
朔夜の拒絶に怯みながら、けれど雪もここで引くことが出来ないでいた。
雪はのろのろとしゃがみ込み、その場で土下座し、額を土に擦り付ける。
「私の父が、朔夜様に不義理を働いたと申していました。雪に一生を掛けて償わせて下さいませ。側女でも下女でも構いません。ここに置いて下さいませ」
暫くの沈黙の後、朔夜は屋敷の奥へと引っ込んでしまった。
それでも雪は頭を上げず、その場にとどまり続けたのだった。