009
睦月蒼士は卑屈な少年だった。
中学二年の蒼士は同学年の圭人や古森によく絡まれていて、特に古森とは仲が良いようだった。
蒼士は人当たりの良い性格では無く、見知った相手であっても素っ気ない態度を取ることが多い。
そんな蒼士の言動は、周囲を避けているとは言わないまでも、どこか距離をあけている節があった。
そんな蒼士と、俺は真夜中の体育館で向かい合っていた。
「心太さん、俺を殺してよ」
そう告げる蒼士の瞳は、絶望と呼ぶにはまだ明るい目をしていた。
「馬鹿なこと言うなよ。と言うか、そんなんで誤魔化されないぞ。なんでこんな場所に居るんだ? もう日付も変わるってのに……」
「明日は本番だから、ちょっと様子を見に来たんだ。体育館は帰りに鍵を開けといて、忍び込んだってわけ。それよりも、さ。俺を殺してよ、心太さん」
……何を馬鹿な事言ってんだ、コイツは。
元々根暗で関わりたくないとは思ってたけど、こんな気味の悪い奴だとは思わなかった。
「……一応、理由だけ聞いてやる。どうして、そんな事言い出したんだ?」
「理由? 疲れたんだよ、生きるのに。毎日毎日疲れるばっかで、やりがいが無い。だから、もう終わりにしたいんだ」
「やりがいが無いのは目標が無いからだ。何か目標を見つけたらどうだ? 何だったら、明日の劇を無事に成功させることだって、立派なやりがいになるだろ?」
「……ならないよ」
蒼士はおもむろに舞台上に上がり、大袈裟な仕草で俺へと向き直った。
「どうして、俺は劇なんかやろうと思ったんだろうね。役者は俺一人、脚本も俺、美術も俺。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」
「……それは、俺には分からないけど。もしかして、他の誰かに提案されたんじゃないか?」
「それは無いよ。劇をやろうって言い出したのは俺だ。それだけは確実に言えるよ。心太さんには想像できないかも、だけど」
蒼士の顔には自信のようなものが表れていて、とても嘘を吐いているようには見えない。
だとしたら、蒼士が劇をやりたがった理由は一体何だ?
笹森みたいに脚本を書けるわけでもなく、心ちゃんみたいに楽しいことが好きなわけでもなく、圭人みたいにピアノが弾けるわけでもなく、世良さんみたいに毎日を楽しく生きたいと望んでいるようには見えない。
「……どうして、劇をやりたいだなんて思ったんだ?」
「どうしてだろうなぁ。それが分からないから、多分やりがいを感じないんじゃないかな」
何だ、コイツ。段々腹立ってきたな。
多分と言うか絶対、俺が他の生徒たちを殺したせいで記憶の混乱が起きてるんだろうけど。
だとしても、コイツは許せない。
「お前は、生きるべきだよ」
「……どうして?」
「笹森は自分の脚本が評価されるのか気にしてた、古森は島を出て野球することを不安に思ってた、心ちゃんは劇を楽しみにしてた、圭人は好きな人に告白するんだって意気込んでた、世良さんは明日も楽しい一日になるようにって頑張ってた」
「……何の話? 誰だよ、その人たち」
「みんなっ! 明日の話をしてた! 不安だったり楽しみだったり、色々な事を考えてたけど、皆生きたがってた! 分かるか!?」
「だから、何の話だって――」
「みんな生きたいと思ってたんだよっ!!」
気が付けば、叫んでいた。
柄にも無く、彼らとはそんなに深い関係には無かったのに、彼らの言葉が自然と思い返されていた。
自然と動き出した足は、蒼士の元へ向かっていた。
胸の高さほどある舞台によじ登り、震える手で蒼士の襟を掴んだ。
「生きたいって言えよ! 腐った振りなんかすんなよ!!」
その瞬間だった。
カチリと、左腕に着けていた腕時計の針が、三本とも重なった。
その音は、気味の悪いくらいに俺の耳に届いた。
「――なんだ、これ」
蒼士の体から、淡い光が溢れ始める。
その光は宙を舞い、やがて霧散した。
ああ、そうだ。
コイツの名前は、もう書いてある。
だから、今からコイツは、死ぬんだ。
「――ああ、そっか。俺、死ぬんだ」
自分の死期を悟ったのか、蒼士は穏やかな顔をして呟いた。
けれど、それはほんの一瞬の事で。
「……やだ。……嫌だ! 死にたくない! まだ、まだ俺はっ!」
やがて、蒼士の顔が土色に変わりだし、次第に悲鳴のような叫びを上げ始めた。
腕を振るう、脚で俺の腹を蹴る。
俺の手から逃れれば生きながらえると思ったのか、蒼士は何とか俺の拘束を解こうと試みた。
けれど、そんな事は無駄だった。
そもそも俺はもう襟を掴む手に力を入れていなかったし、蹴られた腹には弱々しい衝撃しか伝わってこない。
最早、蒼士の死は俺にもどうすることは出来なかった。
一通り足掻いた後、蒼士は指ひとつ動かさなくなった。
力無く、その腕を下ろした。
「……どうして、俺だった? 俺たちだった? 俺たちが何をした? 何がっ、悪かったんだよっ!!」
蒼士から生まれる光の粒が、より大きな物へと変わっていく。
それはつまり、蒼士の死が近づいている事を意味していた。
そして、最後に絞り出された言葉は、彼らの絶望を何よりも言い表していた。
「どうして、俺たちを選んでくれなかったの?」
――その言葉を最後に、睦月蒼士は息を引き取った。
いつか聞いたその言葉は、俺の頭の中で何度も反芻された。
「終わったぞ、死神様」
「お疲れ様です」
俺が呼ぶと同時に、鍵尻尾の黒猫が体育館の舞台に姿を現す。
「無事に任務を終えられたようで、何よりです。才能、あるんじゃないですかねぇ?」
「世辞はいい。それよりも、早く教えてくれ」
「教えてくれ、と言いますと?」
「とぼけないでくれ。俺の罪に関してだ」
そのためにこんな仕事手伝ってきたんだ。
こんな……こんな仕事を。
「分かりました。それでは、おさらいしてみましょうか」
「……おさらい?」
「ええ。貴方の過去を」