005
古森謙治は活発な少年だった。
背は百八十センチと大柄で、中学二年生だとは思えないほどに体格も良い。
なんでも父親の経営する工務店の作業を手伝うことが多いらしく、おのずと筋肉が付いていったのだとか。
そんな古森と、俺は学校の校庭でキャッチボールをしていた。
「山田さんは、野球好きなんスか?」
右手に握るボールを俺のグラブへと放り込み、肩をならしながら彼は聞いてきた。
「どうしてそう思った?」
「いや、何となくッスけど、軽めとは言えキャッチボールが成立してますし、野球やったことあんのかなって」
「……昔、ちょっとやってたんだよ。クラブチームに入ってたわけじゃなくて、せいぜい友達と川原で遊ぶ程度だったけど」
「なるほど、合点がいきました」
そう言って納得した古森を見て、一先ず安心する。
勿論、俺には生前の記憶など無い。
だから、本当に昔やっていたかなんてこと俺には分からない。
けど、古森の言うようにキャッチボールが成立しているところを見るに、案外的外れでは無いのかもしれない。
「結構居るんスよ、キャッチボールも出来ない人。俺の親父とか、コントロール悪くって」
「分かる分かる。後ろに転がすと取りに行くのが面倒なんだよな」
「そうそう。特にこんな田舎だと畑に落ちることも多くて。その度にボール無くすんスよね」
古森の話に適当に合わせながらキャッチボールをして、共に笑い合う。
どうやら気の良い少年らしく、俺に気を遣っている様子も見られなかった。
「それはそうと、こんな所でキャッチボールしてていいのか? 劇の作業がまだ終わってないだろう?」
俺の言葉を聞いて、古森は僅かに気まずそうな表情を浮かべ、それを振り払うように右腕を振るう。
先程よりも速い球が俺のグラブに吸い込まれ、少し手が痺れた。
「……苦手なんスよ、細かい作業。手先が器用じゃないし、俺、ガサツっていうか……」
「にしては、さっきからちょくちょく変化球混ぜてくるな。一体誰の手先が器用じゃないって?」
「……ボールは別指ッスよ」
「なんだそれ、スイーツでもあるまいし」
「良いじゃないッスか。俺が居ても足引っ張るだけなんで、力仕事以外はこうして校庭でサボってるんスよ」
サボってるって……コイツとうとう白状しやがった。
せっかく皆で力合わせて頑張ろうって時に、まったく、困った奴だ。
「でも、ああいうのは全員の力を合わせてナンボの話じゃ無いのか? 上手い下手に関係無く、六人全員でやるから良いんだろう?」
「……六人? ……ああ、山田さん入れてって話ッスか」
……そうか、そうだった。
笹森は、昨日俺がシニメモに名前を書いたんだった。
死神が言ってたように本当に対象者の記憶が忘却されるなら、当然古森は『元々居たはずの六人目』を覚えていない。
でも、それはきっと仕方の無いことなのだ。
短期間にクラスメイトの死が続けば、その悲しみも深いものになる。
どうせ死んでしまうのだから、ある程度の記憶改変はむしろ善意だろう。
死に行くコイツらのために、死の忘却は必要なんだ…………と、思いたい。
「そうだ……よっと! 何だ何だ、早速俺を仲間外れか。寂しいじゃないか」
「そう言うなら、山田さんだってサボってるじゃないッスか。俺を説教出来る立場には無いと思いますけど」
「バァカ、お前を連れ戻すためにサボってるんじゃないか。一緒にすんなよ」
「……サボってるって自白してる時点で俺と同類ですって」
うるせぇよ、と言葉を返して、また無言のキャッチボールに意識を戻した。
「……山田さんは、どうして教師になろうと思ったんスか?」
「どうした、急に」
「別に……ただ、なんつーか、分からないんスよね、将来の事とか」
そう言った古森の顔は、なにか踏ん切りがついていないように曇っていた。
なんか悩んでるわけか、まあ思春期だもんな。
第一中学生から自分の将来を考えろってのも大概無理な話だわな。
「何、悩んでるんだ?」
「……俺、このまま行くと、親父の会社を継ぐことになるんスよ」
「悪い話じゃないだろ? ある程度土台は出来てるわけだし、仕事仲間だって気心が知れてるだろ?」
「……それは、そうっスけど。俺……俺……」
何かを言いかけて、口ごもる古森。
キャッチボールに誘ってきた快活な笑顔には、色濃い不安が表れていた。
こういう時はしっかり言葉にするのを待ったほうが良いんだよな、多分。
無理して問い詰めるつもりはサラサラ無いし、自分から口にした方が気が晴れることもある。
そうして待っていると、やがて古森は決心をして俺のグラブにボールを放り込んだ。
「俺、島を出ようと思ってるんスよ。中学卒業と同時に本土に行って、野球しようと思って」
「……そうか、良いんじゃないか? たった一度の人生だ、やりたいことをやれば。親に反対でもされてるのか?」
「いえ、賛成してくれてます。友達も、俺を送り出すために色んなこと考えてくれて……」
俺の投げたボールを、古森のグラブが取りこぼした。
その一瞬古森の動きが止まり、地面に転がるボールを古森は見つめていた。
「……これで、良いんスかね? 俺、皆を裏切って島を出て好きなことに打ち込んで、良いんスかね?」
……ああ、なるほど。コイツ、相当に真面目な奴なんだな。
自分の好きなことをすることに、躊躇いを覚えてる。自分が皆の元から離れることを裏切りだと考えてる。
……そんな自分を祝福してくれる友達に対して、罪悪感を覚えている。
背中を、押してやりたい。
たとえ、もうすぐ死ぬ運命だとしても。
「良いんだよ、好きなことをしても。それは友達に対する裏切りじゃない。むしろ、祝福してくれてるのにそうしないのは、裏切りだ。友達と、自分に対する裏切りだ」
「……裏切りっスか」
「好きなことをしたらいい。お前がこの島を出たって、アイツらが死ぬわけでも無いんだ。そして、お前がアイツらに会いたいって思えば、また会いに来れるんだ。そんときはアイツらの知らないお前の話をして、笑わせてやればいいさ」
そうだ、まだ中学生なんだ。
世間体だのなんだのを過剰に気にする歳でも無い。今は、もっと自分の好きに生きればいいんだ。……生きて、いいんだ。
「……そっスね。ありがとうございます、ちょっと、気が晴れました」
古森はおもむろに地面のボールを拾うと、俺に向けて投げてきた。
その球は今までで一番重く、速かった。
「痛ぇよ、加減してくれ」
「お礼の気持ちっスよ、山田先生。そのボールとグラブ貸しとくんで、明日もまたキャッチボールしましょうね」
「バカ、明日こそは劇の手伝いしろよ」
「ははっ、そっスね。まあ、あげますよ、それ。家に余るほどあるんで」
その言葉を最後に、古森は帰路についた。
その後古森にどんな心境の変化があったのかは分からない。
けれど、最後に見送った古森の後姿は、どこか晴れやかだった気がした。
――その日、古森謙治は息を引き取った。
『どうして、私たちを――――――――――?』