003
目を覚ますと俺は、見知らぬ学校の校門に立っていた。
天気は晴れ、ほどほどに日差しは強くて、肌が焼けそうだ。
俺(用意された体)は夏用のスーツを着ているし、多分夏だろう。
夏休み前か、後かは分からないけど、教育実習ってことは少なくとも夏休みじゃないだろうな。
「起きましたか、おはようございます。無事完了したようですね。どこかに不備はありませんか? 頭痛がするだとか、視力があっていないだとか」
声のしたほうへ振り向くと、校庭の塀に黒猫の姿をした死神様がいた。
えっと、いや、問題ないみたいです。
ただ、ちょっとだけ喉が熱いっていうか、んん、乾いてるのか。水が飲みたいです。
「問題なさそうですね。水なら後で買えばいいでしょう。活動費は支給されていますから、バカみたいな買い物じゃなければ構いませんよ」
分かりました。
それで、俺は今から何をすればいいんですか?
「それについては、歩きながら説明します。今から三十分後に教室の生徒との挨拶がありますから、まずは校内に入りましょう」
死神様に促される通りに、学校の中へと歩いていく。
その間、死神様はこの場所の情報を教えてくれた。
「ここは日本本土から離れた離島です。人口が少なく、学校もこの一校のみ。生徒数も六人だけ。教育実習生らしいことは何もしなくていいので、貴方はその六人と関係を築いて死期を決めてあげてください。分かっていると思いますが、死は重いです。慎重に決めてあげてください」
俺が緊張して唾を飲み込むと、少しおどけた口調で死神様は言ってくれた。
「そこまで緊張する必要はありませんよ。言い忘れていましたが、この世界で死んだ者は、忘却されます。その者に関する周囲の記憶が、完全に消失します。ですから、貴方が罪悪感を感じる必要はありません。ただ、適当に命を扱わないでくださいという話です」
大丈夫、誰も貴方を責めませんから。
死神様がそう言うと同時に、目的の場所にたどり着いた。
校内一階にある待合室で、中には中年の教師が待っていた。
死神様を廊下に待たせて、教師と顔を合わせた。
数分ほど他愛ない話をして、ほどなくして話は本題に入った。
なんでも、今から一週間後にこの学校で学園祭をやるらしい。
生徒達の希望から、今年は体育館を使って劇をやることになり、今まさに追い込み作業中なんだとか。
しかし生徒数が六人しかいないこともあり、イマイチ納得出来るレベルまで達していないらしく、俺にも手伝って欲しいとのことだった。
教育実習生としての仕事は無いらしいし、生徒と交流するいい機会だな。
断る理由がまるで無い。
二つ返事で快諾すると、そのままの流れで生徒の居る教室まで案内されることになった。
教師と共に廊下に出ると、丸まって体を休めていた死神様と目があった。
そう言えば、猫を学校内に連れ込むのってアリなのか?
「大丈夫ですとも。私レベルになると人間に見つからなくなるくらいの技術は身に付けていますので。なお、この会話も念話のようなものなので聞かれていません。貴方の心の声は聞こえますので、何か質問があれば今まで通り心の中で話してください」
便利なもんだな、死神って。
というか、今まで俺、死神様相手に喋ってなかったんだな。
あまりにも自然すぎて全然気付かなかったわ。
「それほどに私が有能なのです。ささっ、この話はこの辺で切り上げて教室に入りましょう」
死神様に促されてハッとしたが、どうやらもう教室に着いていたらしい。
ドアの窓越しに見える教壇には、先程の教師がこちらを向いて手招きしていた。
招かれるままにドアを開けようとして、ふと足を止める。
そう言えば、俺の名前ってなんだっけ?
さっきの教師が一度も名前を呼ばなかったから気にならなかったけど、流石に自己紹介くらいするよな?
「名前……ですか。そうですねぇ……その体は一時的に貴方の魂を入れる器として用意しただけですから、お名前は貴方の好きに決めれば良いかと。貴方が決めた名前で教師たちの記憶も改変しておきますよ」
好きに、ね。分かりましたよ。
んじゃ、山田太郎でいいや。
覚悟を決めてから、教室へのドアを開いた。
ドアを開くと、ごく一般的な広さの教室が俺を出迎える。
ただ、教室に置かれている机はたったの六つで、見知ったはずの広さの教室が異様に広いように思えた。
教室の後方にはロッカーが並んでいた。辞書や分厚い教科書が詰め込まれていて、その上には段ボールで上手く作られた図工の作品のようなものが置かれている。
更にその上には習字が壁に掛けられていた。
寛大な心、一心一投、繋がる心、心機一転、心、心太……、なるほど、『心』の文字が入った習字を一人一人書いたわけか。
なるほど、これは生徒たちの人柄を見るのに役立つかもな――って、と、心太?
なんだ、なんでなんだ、どうして一人だけ心太なんて書けるんだ?
他の生徒はあんなに真面目に書いている中で、どんな神経してればそんなふざけた真似が……、
「――ささ、自己紹介して、君」
「あ、はい。すみません」
あまりの動揺に教師の言葉が聞こえておらず、肩を叩かれてハッとしてようやく正気に戻った。
ええと、どうするべきか、そうだ、まずは黒板に名前を書いて……っと、
『山田 心太』
…………あ、やっちまった。
心太が頭から離れなくてついやっちまった。
なんだよ、やまだところてんって。ふざけた名前にも程があるだろう。
落ち着け、落ち着け、大丈夫さ、名前が多少おかしくても問題ないさ。
あまりのバカげた失態に硬直していると、背後、生徒たちの方から声が上がった。
「しんたっ! 山田、しんたっ!!」
慌てて振り向くと、そこにいたのは俺を指さしている一人の少女。
歳はおそらく最年少で、小学校二年生ほどの幼さが伺えた。どういうわけか、目を輝かせて俺を見ている。
……と、そんなことよりも、今なんて言った?
そうだ、『しんた』だ。確かにそう読める。よし、それ貰った!
「初めまして、山田心太です、今日からみんなの劇の準備も手伝わせてもらうから、よろしくな」
生徒から歓迎の拍手が起こる。
一礼して、改めて生徒たちの顔を見た。
……今日から七日間で、俺はこの子たちを殺す。
正確には殺すわけではないけれど、彼らの死期を俺が決める以上、それは人を殺すくらい恐ろしいことだ。
でも、やらなきゃならない。やらなきゃ、俺はどうして地獄に落ちるのかも分からないんだから。
「大丈夫ですって、彼らは死ぬ運命にあるんですから。彼らが死ぬのは貴方の罪じゃありませんよ」
わかってるます、死神様。
そもそも俺は地獄行き確定の人殺しだろ? そんなことで今更動揺しないって……多分。
「ならいいんですけどね。くれぐれも無茶はしないように」
こうして、俺の死神としての七日間がはじまった。
きっとこれは天恵なんだ。
人殺しなんて馬鹿なことをした俺に、自分の罪を思い出させるために神様が与えてくれたチャンスなんだ。
だから、きっとこの生徒たちを殺すことは正しいことなんだ。
――だから、俺は悪くない。